第7話


 休日の過ごし方は主に二つ。家でゆっくり休むか、時間がある時にしかできない仕事をするか。最近珍しい薬を使う客ができたので、本日は材料を補充するために森へ来た。

 先日、花の騎士ことエクトルが森での採集の護衛をするなどと言い出したため、日の出より前に店を出てさっさと森に入ることでそれを回避しようと、そう思ったのに。



「やあ、おはよう」


「……ええ、本当におはようございます」



 薄汚く見えるマントを身に着けた、華々しい顔の麗しい男と森の入り口でばったり出くわした。木の陰に身を潜めて気配を消して隠れていた彼に気づいたのは、予想線が視界に入ったからだ。

 頭のてっぺんから垂直に伸びる予想線は物理的に干渉できるものではない。エクトルは身を隠しながら様子を窺おうと頭を傾けたのだろう。そのせいで隠れていた木の幹を突き抜けて視界に現れた色に心臓が止まるかというくらい驚かされた。

 そして笑顔で木陰から出てきた彼に声をかけられたので、心底面倒臭いと感じながらも挨拶を交わしたのである。……ああ既に帰りたい。


 あたりは日が昇り始めて明るくなってきたとはいえ、本当に早朝の時間。一体いつからここに居たのか、黄緑興味の感情色が見る度に長くなっているのはなぜなのか、この人はなぜそんなに私に関心があるのか。もちろん、自分に問うたところで答えはでるはずもなし。

 週に一度の休日に何故、見るだけで疲れる花の顔を見なければならないのだろう。神様は私の事が嫌いなのだろうか。


(いや、見るだけなら別に疲れない。ただ、私に関わろうとしないでほしいから疲れるんだ……)


 私とてエクトル本人が嫌いというわけではない。美しい顔も遠くから眺める分には目の保養になるだろう。ただ、表情と感情が噛み合っていない人間というのは相手にする時身構えてしまうし、疲れるから苦手なのだ。

 その上、彼と付き合いがあると知られると町中の女性たちから詰め寄られてしまい大変面倒なことになるので関わりたくない。極めつけは彼が国に忠誠を捧げる騎士であり、魔法使いであることを権力者に知られてはならない私としては近寄りたくない職種の人間であること。これだけの要素が揃っていて関わりたいはずがないのである。


(採集自体は楽しいのに……この人がいたら楽しむ余裕がない……)


 そんな私の心の声は、輝く笑顔の騎士には聞こえていない。私のように他人の感情が見える訳でもないし、できるだけ無表情を保っているので考えていることなど分からないだろう。

 彼は笑顔のまま、約束通り護衛をするからと言って私の横に並び立った。追い払えそうにないので、仕方なく並んで森の中へと歩み始める。



「昨夜は討伐任務だったからそのままここに残って野宿したんだけどさ。こんな朝早くに誰かと思ったら君だったから、驚いた」



 なるほど。魔獣討伐任務が夜遅くまであり、帰るのが面倒で野宿して、人の気配を感じて隠れたら私が来たので顔を見せたということか。おそらく嘘ではないだろう。私がエクトルの存在に気づいた原因の予想線も、急に伸びた薄黄色驚きの線だった。突発的で持続しない感情の予想線は一瞬で伸びてすぐ消える。あれは私が来たことに驚いたから見えた色だ。

 町の乙女たちは花の騎士エクトルがこんなに泥臭い仕事をしているとは想像もできないに違いない。かくいう私も、こんな時間にエクトルが外に居るはずがないという思い込みで行動していた訳で。


(早く来たのが悪かったんだ……もう少し遅ければこの人も家に帰っていたかもしれないのに)


 もしや早起きしてここに来て私が来るのを待っていたのでは、と多少疑いもしたがそうでなかったようで少しだけ安心した。顔がいいので忘れそうになるが、そんなことをしていたらストーカー扱いされるのが世の中というものである。……彼がそのような扱いを受けたことはないだろうけど。むしろストーカーされる側だと思う。



「昨晩までお仕事されていたなんてさぞお疲れでしょう。ご帰宅なされるのがよろしいかと思います」


「いやいや。騎士に二言は許されない。護衛をすると言ったんだから、絶対に守り通さなければね。今日は非番だからこのまま付き合うよ」



 そんなことを優しく笑いながら言う彼の頭上に伸びるのは好意を示すものでも誇りを示すものでもない、興味を示す色である。嘘つきだと分かっている相手の言葉を信じられるはずもなく、ついつい白けた目を向けてしまいすぐに逸らした。

 こうなったら安価で騎士という最高の護衛を得られたと前向きに考えて、いつもなら入れない森の奥に進み、思う存分採集をしてやる。そうしよう、それがいい。


(この人に使う薬も奥に進んだ方がいい素材が採れるはず。質がいいものを使えば、早く治るかもしれない)


 ちらりと隣に並ぶ騎士の頭の上に目を向ける。苦痛の色は相変わらずそこにあり、前回と長さはほとんど変わらない。薬を塗っている間痛みは軽減しているが、原因を取り除くのには時間がかかる。そちらはまだほとんど変化がないということだろう。

 包帯を巻くと目立つからか、彼は右手に籠手をはめるようになった。騎士として任務に出ている時は常につけていたのかもしれないが、町中で見かける時はいつも素手であったので変化が目に付く。事情を知っているから、余計に。……女性たちには格好いいと好評なので、右手の秘密について知られる様子はない。



「騎士様、今日は少し深いところまで行くつもりなのですが」



 護衛をすると言い張る相手なのだから、予定を話しておくべきだ。森の中でもその深さで危険度が違う。魔獣が居るような深い森の中は、何故かいい素材が自生しやすい。今日は危険すぎる場所には向かわないけれど、魔獣が出る可能性が高い場所には行くつもりである。

 森の深く入り過ぎないうちに話しておこうと思って説明したのだが、エクトルは頷いたものの、どこか不満そうな顔を浮かべて見せた。



「問題がありましたか? 深く潜るのは止めた方がよろしいなら、この辺りで採集を致します」


「いや、奥に行くのはいいんだけど……呼び方が他人行儀だなぁ。俺と君の仲じゃないか、もっと気軽に名前で呼んでよ」



 薬屋と客の関係であってそれ以上でもそれ以下でもないと思うが、何を言っているのかさっぱりわからない。聞き流してもう一度騎士様、と呼んだら彼は悲しげな顔をして見せた。

 悲しんでいないのは頭上の色で一目瞭然だが傷ついた美青年を演じる顔の完成度に感心したくなる。内情が伴っていないのを知っていても悪いことをしたような気がしてくるなんて、本当にとてつもない演技力とそれを引き立たせる顔である。



「……では、エクトル様」


「あんまり変わってないよね。あ、そうだ。俺が親しみを込めてシルルちゃんって呼べば君も少しは」


「エクトルさん。これ以上は無理です。その呼び方はやめてください」



 花の騎士に甘く優しい声で名を呼ばれれば喜ぶ、という者ばかりでもない。彼に恋する乙女たちならいざ知らず、そのような感情を持たない私からすれば一体何を企んでいるのかと訝しむだけである。

 彼は私に親しみなど抱いてはいない。興味を持っているのは確かだし、私の反応を面白がっているらしいことも予想線で分かるけれど。

 私の受け答えを見て、エクトルの表情は変わらないが楽しんでいることを表す黄色の線がひょっこりと伸びて消える。人で遊ばないでほしい。



「うーんまだ距離を感じるけど、いっか。それで、君はいつも森の奥まで材料集めに行くの? 魔獣が出たら危ないよね」


「自分の身を守るための備えはしてあります」


「ふぅん。ああ、でも君は危険が分かるから大丈夫なのかな」



 私は、私の予想線を見ることが出来ない。己の危険を察することは出来ない。しかし彼は私がある程度の危険を予測できると思っている。

 護衛を任せるならば、私が己の危機を察せないことくらいは話しておいた方がいいのかもしれない。だが、しかし。彼を信用できている訳ではないので、あまり公にしたくない力について話すのはいかがなものだろうという考えもある。


(でもな……多少危険な場所に行くんだから、やっぱり話した方が)


 普段なら。森の中で、考えに没頭するということはあり得ない。隣に護衛をしてくれる騎士がいたからこそ、私は考え事をしていて。生い茂る木々によってあたりが薄暗くなってきていたというのに辺りに意識を向けておらず、突然目の前に飛び出して来た猿を前に、思考が止まった。

 猿、といっても額に角の生えた猿だ。魔獣だ。それと目が合った途端、素早い動きで飛び掛かられて思わず後ろに倒れ込んだ。



「あっぶない……!!」



 爪が私に届くより先に、猿はエクトルの剣によって切り捨てられて地面に転がる。ほんの一瞬の出来事だったけれど、心臓はバクバクと音を立てているし、息も止まっていた。猿がもう動かないと理解して少しずつ、固まっていた体から力が抜けていく。


(吃驚、した……)


 普段なら。考え事などせずに常に当たりの気配を探り、魔獣のいる可能性を見逃したりはしない。魔獣は縄張り意識が強く、己が居る場所には何らかの痕跡を残していることが多い。今もよくよく辺りを見てみれば、近くの木には細かい爪痕がついているし、不自然に葉や枝が落ちている。何か居るというのは、気を付けていれば分かったはずで。



「君が何も言わないなら危険はないと高を括ってた、ごめんね。……怪我は、しなかった?」



 私の前に片膝をついて、そっと左手を差し出すエクトル。私の手はまだ少し震えていたが、彼の手を借りてゆっくり立ち上がろうとした。

 ……しかし足に力が入らなかった。情けないことに驚きと恐怖で腰を抜かし、まだ体に力が戻ってきていないらしい。ただ手を取ってしまっただけになったのが気まずくて、そっと手を離しながら目も逸らした。



「…………ありがとう、ございます。怪我はしていません」


「それはいいんだけど、どうして立たないのかな。……もしかして、立てない?」


「はい。力が抜けておりまして。申し訳ないのですが、少々お待ちくださ……」


「っ……はは」



 笑い声が聞こえて視線をエクトルに向ける。口元を押さえて笑いを堪えようとする姿が目に入った。それはいつもの魅惑的な甘ったるい笑顔とは別物で、普通の青年のような笑い方に少し驚く。そんな笑い方もできるのか、と。

 いつものあれは作った笑みであり、今は本当にただ笑っているだけなのだろう。腰を抜かしている人間を前にして失礼だとは思うが。



「ごめん、失礼した。でも君、ほんとに無表情だから、まさか腰を抜かしてるなんて思わなくて……危険が分かるのにそんなに驚いたの?」


「分かりませんよ、自分のことは」


「え?」



 つい、笑われることにムッとして反論してしまったが、これくらいいいだろう。先ほど魔獣に襲われて怖い思いをしたのは、私は騎士であるエクトルに任せきりで、エクトルは私なら危険が分かると思っていて、お互いに油断していたからだ。なら、私がどの程度のことが分かるのかくらい、話しておくべきである。



「私の力は貴方が思う程便利なものではないかと。他人が怪我をしそうだとか、死にそうだとか、それくらいなら分かります。でもその原因まではっきりとは分かりません」


「……あの日、俺を引き留めたときも?」


「貴方が歩く方向に向かっていくと死にそうだったから、とめました。何で死ぬのかまでは分かりませんでしたよ」



 内実を知らない人間からすれば、私には未来が見えているように思えるのだろう。そんな力を期待されても応えらえないのだから教えておくべきだ。……彼が私に興味を持っているのだって、そういう力があると思っているからかもしれないし。説明して、興味を失ってくれるなら万々歳である。



「海賊の時だって……あの日はやたらと怪我をしそうな人が多かったから、注意してほしいと伝えただけです」


「……そして、自分のことは何もわからない?」


「ええ。分かりません」


「それなのに、魔獣が居るくらい森の深い場所に薬草を採りに行くの?」



 まあ、そのとおりなので頷いた。だが普段ならもっと警戒をしているし、魔獣を退ける薬もたくさん持ってきている。今回は騎士がそばにいると思って油断しただけで、魔獣に襲われて腰を抜かしたのは初めてだ。



「……君ってもしかして、結構……命知らず?」


「違います」



 私だって好き好んで危険な場所に来ている訳ではない。ただ、魔獣が現れる可能性のある区域でないと採れない薬の材料があるのだから、仕方ないではないか。

 そろそろ立てるだろう、と脚に力を入れて立ち上がった。生まれたての小鹿とまでは言わないが、まだ膝が震えている。己の脚に活を入れるつもりで軽く叩いて、一歩踏み出した。するとエクトルもすぐに隣に並んで歩きだす。今度は剣の塚に手を添えたままなので、警戒をしてくれているのだろう。



「じゃあなんで、危険を冒してまで採集にいくのかな」


「……貴方の右手を治すのに必要な薬草は、多少森に入り込まないと採れません。一度手を出したことですから、責任を持って私が治します」



 きっと私しか、治せない。でも私なら、治すことができる。それが分かっていて投げ出すなんてことはしない。成り行きとはいえ一度手を出した仕事だから、やり遂げる。



「俺のために命をかけてくれるってこと?」


「いえ。店のためです。途中で仕事を放りだしたらベディートの名が泣きますので」



 つい「俺のため」なんて言いだした隣を歩く騎士の顔に白い目を向けてしまったが、彼はその視線を受けると驚いた顔をして、そして可笑しそうに笑った。

 俺のために?と訊いた時は興味の色が短くなりつつあったのに、私の答えを聞いたらまた伸びたのが解せない。私が冷たくあしらおうとすると興味を持たれるらしい。

 占いに来る乙女たちのような態度でないと興味を削げないということなのだろうか。私が彼のために命懸けで薬草を採りに来たのでは、と疑った時は興味の色が短くなったのだから恐らくそうなのだろうけど。……しかし想ってもいない相手に気を持たせるような態度を取るのは性に合わない。


(……褒めるというのはどうかな。それならいけそう)


 乙女たちはいつもエクトルを囲んでちやほやと褒めたたえている。それくらいなら私でもできる気がする。しかし褒めると言っても、何を褒めればいいのか。人を褒めた経験がないのですぐには思い浮かばない。

 容姿が整っているのは本人も当然理解していて、容姿の賛美はあまり誉め言葉にならない。剣の腕を褒めるのも、利き手が使えなくなっていることから考えるとあまり良いこととは思えないし。

 エクトルに目を向ける。彼はまだ小さく笑っていて、頭上にも楽しさを表す色が伸びている。表情と感情が一致していることが少ない人なので、そういう姿を見ると安心する。

 ……そうやって、楽しい時に笑って苦しい時に泣けばいいのにと、思う。



「今日は自然に笑ってくださるのですね」



 何か褒めるようなことを言わなければと考えていたのと、今のような自然体が好ましいと思ったのとが合わさって、思っていたことがするりと口から出てしまった。しかしそれは誉め言葉でも何でもない、純然たる事実を口にしただけで。

 他人を褒めるのは難しいなと思いつつ様子を窺った綺麗な顔は、驚きを浮かべた後にすぐ笑顔に戻って。そしてその頭上で黄緑興味が更に伸びた。


(……ああ、これは多分言葉を間違えたな)


 余計なことをしようとしてはいけない。慣れないことをしようとするのはもうやめよう。そう心に刻んだ。

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