第6話



 私、シルル=ベティートには、他人の頭の上にさまざまな色の線が見えている。

 開店前の時間。姿見の前で身だしなみをチェックして、いつも通り己の頭の上に何も見えないことを少しだけ残念に思った。他人の感情と近い未来を示すものは見えるのに、自分のものは全く見えない。便利なのか不便なのか分からない力だ。


(自分のが見えれば……少しは、心構えができそうなのに)


「おはよう。いい天気だね」



 例えば、開店中の札を掲げるために店をでたら薄汚れたマントでフードを目深に被った客が待っている、とか。その客は変装をした世間を騒がせる程の美形である花の騎士である、とか。朝一番の客が彼であることに私の気分が急降下するだろう、とか。そういう予想が出来れば良いのにと、そう思う。



「……おはようございます、店内へどうぞ」


「どうもありがとう」



 顔はフードで殆ど見えないが、形の良い唇に笑みを浮かべながらするりと店内に入っていく。その背中に溜息を吐きたくなるのは、彼と関わると面倒なことになりそうだからである。主に嫉妬に狂った女に嫌がらせをされるとか、下手すると刺されるとか、そういう女性関係の面倒事が起きないと誰が断言できるだろうか。

 自分の予想線が見えないので、ひやひやしながら誰にも見られていやしないかと気を配るしかない。ああ、自分の予想線が見えればよかったと心底思う。……見えたら見えたで事件の気配がする予想線が伸びていても困るけど。



「君の薬、よく効くよね。これ塗ってると全然痛くないんだ」


「……いえ。まだ痛いでしょう」



 そういいながら空になった瓶を取り出すエクトルにはまだ苦痛の色が見える。痛みが減っているのは線が短くなっているので事実だろうけれど、浮かべられた柔らかい笑みに私が騙されることはない。

 ……私の答えを聞いたエクトルの頭上で、黄緑の線がちょっと伸びたのは見なかったことにしたい現実である。


(この人に興味を持たれるとは……)


 苦痛と共にいつも見えていた嫌悪の色の代わりにあるのが、興味や好奇心を示す黄緑の感情色だ。対象が私しかいないので、私に向けられているもので間違いない。それはまあ、私が何らかの力を持っていることが知られてしまっているので仕方のないところもあるかもしれないけれど、不本意だ。

 出来るだけ早く帰ってもらうために、空になっている薬の瓶をさっと受け取ったらすぐに洗浄を始める。彼に渡すのは特殊な薬なので、詰め替えには少し時間が必要だ。



「薬を詰め替える間、奥の席でお待ちください」


「奥? ……ああ、席があるんだ。気づかなかったな」



 カウンターよりも更に奥に小さなテーブルと椅子を設置している。薬の試飲をしてもらったり、客の欲しい薬の話を詳しく聞いたりするために用意した席だ。衝立で仕切りをして、他の客から見えないように工夫してある。

 しかしこの薬屋では恋の相談が多いので、せっかく用意したその席が使われることは滅多にない。……占いを求めてくる客の話はカウンターで済んでしまうから。



「ここ、人目につかなくていいね」


「薬の相談を人に知られたくないお客様もいるでしょうから、配慮し……」



 配慮した空間にしております。そう言おうと思ったが、店内に鳴り響いたドアベルの音で口を閉じた。エクトルも席についたまま気配を消しているらしく、急に存在感が薄くなる。

 マントのフードで隠れてやってくるくらいだから、彼も出歩く姿を見られたくないし、この店に来ていることも知られたくないのだろう。その一点に関しては私も同じ考えなので、自ら隠れてくれるなら助かる。訪れた客に花の騎士が店中にいることを知られることなく、お帰り頂かなければならない。



「いらっしゃいませ」


「おはようございます。今日も来ちゃいました」



 はにかみながらそう言って、茶葉が並ぶ棚に向かって行ったのは常連と呼べる女性の一人だった。もちろん薬ではなく、茶葉を買って占いをしてほしいと言ってくる方の客である。

 頭上に伸びている予想線を見る限り、恋愛関係は上手く行っているように見えた。ただ、幸福な線が並ぶ中に一つだけ、よくない色が混ざっている。……濃紫の色は、病などの体の不調を示す予想線だ。まだ短いので病は発症したばかり、だろうか。



「今日はいつものお茶と、これをお願います」



 差し出されたのはこの店でも人気の高い安らぎ効果のあるハーブティーと、栄養剤。朗らかな笑みを浮かべている彼女の顔色は悪くないけれど、疲れを感じているらしい。



「……300ベルになります。余計なお世話かもしれませんが、一度医者に診てもらうといいかもしれません」



 予想線を見るだけでは何の病なのかはわからない。ただの風邪かもしれないし、もっと大きな病かもしれない。それを判断するのは私よりも専門家である医者の役目だ。

 代金を受け取り、商品を紙袋に詰めて渡す。それを受け取った女性はどこか尊敬すら籠った眼差しで私を見て、そしてその通り尊敬の感情色を伸ばしている。……そういう目で見るのは止めてほしい。大したことはできないのに。



「最近ちょっと体がだるいなって思ってたんですけど……シルルさんって本当に何でもわかるんですね。ありがとうございます、近いうちにお医者様にかかってみます。……あの、ちなみに……その」


「恋愛の方なら心配はないかと思いますよ」


「そうですか、よかった。じゃあ、ありがとうございました」



 店を出て行く女性を笑顔で見送って、扉が閉まったのを確認したら愛想笑いを止める。そして中断していた詰め替え作業を再開した。

 エクトルが使う薬は魔障を消すものなのだから、当然治癒の魔法がかけられている。このような魔法薬は、魔法を閉じ込める専用の器に入れなければ直ぐに劣化してしまうもの。魔法使いであれば普通の器でも魔力で包んで保護できるのだけど、それは普通の人間には不可能だ。


 魔法薬専用の小瓶、すなわち魔法瓶に薬を移したら魔力で保護をして蓋をする。これで次に開封されるまでは品質も薬の効果も悪くならない。一度開けてしまったら魔力の保護をかけなおさない限り一週間ほどで力を失うが、開けなければ何年でも持つのが魔法瓶の良い所である。

 普通の人間が見たところで魔力というのは目に見えないので、堂々と魔力を使った詰め替え作業をしていたのだが。突き刺さるような視線を感じて、堪らずそちらに目を向けた。



「……なにか?」


「俺には愛想笑いもしてくれないのになぁって思って」


「今更ですから」



 人相手に商売しているのだから、私も客には笑顔で接することを心掛けている。けれど、エクトルは出会い方というか、特殊な状況で客になったので笑顔を向ける余裕がなかったというか、最初から拒絶の態度を取ってしまっていたので今更客向けの笑顔営業スマイルなどを浮かべても違和感しかないだろう。



「事故と、海賊船と、怪我、そして病か。色んなことがわかるんだね」



 つい甘ったるい顔を睨みそうになって、というか一瞬睨んでしまったがすぐに目を逸らした。客を睨むなんて、客商売にあるまじきこと。先ほどの女性との会話に聞き耳を立ててしっかり私の力を把握しようとしている相手にいら立ったとしても、顔に出してはいけない。



「…………約束は」


「大丈夫、誰にも言わないよ。でも君のことを知りたいんだ。秘密にしておくから教えてくれないかい?」



 さすが軟派で女遊びが激しいと言われる男だ。まるで好意でも抱いているような台詞を平然と吐いている。

 確かにこのような言葉を甘い顔と声で囁かれると「もしかして」とドキドキしたり、期待をしたり、まあ色々と好意的に捉えてしまっても可笑しくない。感情が見えない普通の人間は、相手の態度でその人の心を推し量るしかないのだから。


(ここまでくるといっそ感心する。この人は自分の魅力を分かっていて、こうやって情報を集めてきたわけか……女嫌いなのに)


 彼が女性を嫌っているのは確かだろう。私に嫌悪が向けられていないのは不思議だが、基本的に女性が傍にいる時は嫌悪の感情が見えるのだから間違いない。

 この男はとんでもない大嘘つきだ。感情と言動が乖離しているのに、自然体でいる。嘘を吐きながらぎこちなさがない。罪悪感も勿論ない。だから痛みや嫌悪を抱えていてもずっと笑顔でいられるのだ。……どうしてそうなったのか分からないが、同情はする。その生き方は、決して易いものではないはずだ。



「うーん、反応がないとさすがに傷つくかな?」


「申し訳ありません、考え事をしておりました。それよりも薬の詰め替えができましたのでこちらへどうぞ」



 傷ついていないのは分かっているのでさらりと流して、カウンターに薬を置いた。また新たな客が来る前にさっさと支払いを済ませて帰ってもらわなければならない。花の騎士がこの店に来ると知られるのは、お互いに困るのである。



「この薬って、何が使われててこの値段なんだい?」


「この辺りでは売られていない薬草ですよ。森の少し深い場所にありますから危険手当も含まれます」


「もしかして自分で採りに行くのかい? 騎士に護衛を依頼したりは……」


「そんなことができるのは裕福な方だけでしょう。私はしがない薬屋ですから」



 騎士は戦闘のプロだ。街の警備から始まり、要人護衛は勿論のこと、戦時には兵士となり、魔獣退治もこなす。そんな彼らを雇うのは高いが、金持ちは彼らに護衛を依頼して森を抜けることが多い。金を惜しんで己の身を失っては意味がないから。

 けれど、私は小さな薬屋の店主。それなりに繁盛しているとはいえ、森に入るたびに騎士に護衛を頼んでいたら間違いなく破産する。だから私は細心の注意を払って森に入り、商売のために自分の手で必要なものを集める必要があるのだ。



「わかった、じゃあ俺が護衛しよう」


「は?」



 予想外すぎて間抜けな顔を晒してしまったのだろう。エクトルが可笑しそうに笑いだしたのですぐに表情を引き締めた。

 突然何を言い出すのだ、この男は。「こういうのは分からないんだ」などとつぶやいているが、わかるはずがない。興味と好奇心を持っているだけで、女嫌いの騎士が薬屋の小娘の護衛を買って出るなどという展開が予想できてたまるか。



「君は安全に材料を集められるし、薬を少し値引きしてくれるなら護衛の依頼料もいらない。どうかな、いい提案だと思うけど」



 それは確かに良い提案だろう。騎士の護衛付きで薬草の採集ができ、その対価が薬の値引きで済むなら喜んでお願いしたい。……相手が花の騎士でなければ。

 彼を連れて森へ採集に出かけるなんて、誰かに見られでもしたら色々なものが終わってしまう気がする。

 自分がどれだけ町中の女性から狙われているのか自覚しているだろうに。周りに及ぼす影響もしっかり考慮してほしいものだ。



「ありがたいですがお断りいたします。では、1万ベル確かに頂戴いたしました。お帰りはあちらです」


「わあ……予想外だった。俺と二人きりになる機会を悩みもせず断る子、初めて見たよ」



 また興味が一段と強くなったらしいのが一目で分かってしまい、眉を顰めたくなるのを必死に堪える。なぜ彼は私を気にするのか。放っておいてほしいのに。



「じゃあ、採集の時は声をかけてね」


「え、ちょっと」



 笑顔で店を出る前に放たれた一言になんだかとても嫌な予感がするのだが、それを残した人物は止める間もなく閉まる扉の向こうに姿を消した。


(……次の採集は早朝から出かけるとしよう、そうしよう)


 自分の予想線は見えないのに、なぜかその努力も無駄になる気がするのはなぜなのだろうか。私はまたカウンターに突っ伏した。


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