第5話



 女好きで遊び人、泣かせた女は星の数ほどいる。

 俺、エクトル=アルデルテは世間でそのように思われている。そう思われるように行動しているのだから当然だけれど。



(本当は嫌いだけどね、女なんて……)



 幼い頃からよく追い回されたし、荒い息で迫られて身の危険を感じたこともある。よっぽど俺の顔が女にとっては好ましいらしい。俺の中身などに興味はなく、綺麗だの可愛いだのと外見そとみだけをひたすらに持て囃し、追い求めてくる。獰猛な獣のような目をした女たちから逃げる方法ではなく、掌の上で思うままに転がす術(すべ)を覚えるまで、女という生き物が怖かったくらいだ。……今でも全く好きにはなれない。



(ちょっとした情報源にはなる、ってくらいかな)



 女は噂好きだ。だがあくまで噂、雑多で意味のない話も多い。しかし役に立つこともある。彼女たちから話を聞くために、軟派で誰でも口説ける男という立場は都合がよかった。己の容姿が女好みという自覚があったのでそれを利用してみたら、その効果は絶大で。おかげで素顔を晒して気ままに出かけるということができなくなってしまったけれど、後悔はしていない。


 まあ、とにかく。俺の顔や声は意識して使えば女に対して強い武器だった。若い娘なら殊更に効果があって、どれだけ気丈であっても甘く囁いてやれば顔を赤らめて動揺するもの。そうなった彼女らは己が知ることを、一生懸命に教えてくれる。



(今回の話は俺向けの案件だと思うんだけどな……調査は中止か)



 海賊が賑わう港を襲う、そんな未来を予知した人物がいるらしい。

 海賊の襲来を予知した人物については騎士団でも話題になった。それを予言したように、この国や町に迫る危険を予知できる者がいるならば、危険に立ち向かう騎士団としてその力が欲しい。未来予知の魔法使いでもいるのではないか。ならば、予言の人物を探し出すべきだ。――しかし、始まった調査は直ぐに取りやめになってしまった。


 何故なら調べて初めてすぐ、あれは危険の予言ではなく最近人気の占い師の発言だという話が出てきたからだ。

 よく当たる占い師がいて、特に恋愛相談に乗ってもらうと成功しやすい、その日は怪我をするかもしれないと言われていた、やっぱりよく当たる、などという話を聞かされて、皆が脱力した。

 予言ではなくただの占いか、ばかばかしい。なら海賊が現れたのも偶然か何かだったのだろうと白ける空気の中で、俺は先日出会ったばかりのある娘のことを思い出した。


 騒がれないため変装して町中を歩いていた俺を引き留めた、白い髪に赤い瞳をした若い娘。髪も瞳も珍しい色をしていたのでかなり印象に残っている。

 彼女は「そちらに行ってはいけない、死んでしまう」というようなことを叫びながら俺の腕を強く掴んで、無理やり足を止めさせた。フードの下の顔を見て驚いていたのだから、俺の正体を知って引き留めた訳ではない。そしてその直後、止まらなければ俺が歩いていただろう場所に、暴走した馬車が突っ込んできたのだ。

 あれは確かに危険予知だった。海賊の襲来の日に助言をした占い師というのも彼女に違いないという、確信に近い思いも持っている。


 騎士団は「占い」という言葉にまんまと騙されたようだが、あの力は女たちが好んではしゃぐだけのそれとは別物だろう。正式な調査は取りやめられたが、個人的に調べる分には何も問題はないはずだ。……だから、少し調べてみることにした。



「こんにちは、綺麗な蝶々さん。ちょっとお話を聞かせてくれないかな」


「エクトル様……!?」



 目的の占い師を探すだけなら簡単だ。道行く娘に笑顔で声をかけて、よく当たる占いについて尋ねればいい。「次の任務が危険な場所だから、気を付けることがないか訊いてみたいんだ」と笑いかければ親切になんでも教えてくれる。

 店の場所、占い師の容姿、その名前、評判。たった一人に尋ねただけでそれだけの情報を得ることができた。雪のように白い髪とリンゴのような赤い瞳を持った不思議な雰囲気のシルルという女性が、よく当たる占い師である。それだけ聞ければ充分だ。

 容易く女の口を軽くさせる己の容姿を便利だと思い、同時に容姿だけで心を許す女をどこか軽蔑しながら、笑顔を貼り付けて別れを告げる。それを二、三度繰り返す。


 必要な情報は得た。あとは人目につかないよう変装して、人がいないであろう時間に件の店を訪ねればいい。そのあとはいつもどおり。相手は若い娘なのだから話を聞くのは難しいことではない。



(笑って、優しく話しかけるだけでいい。俺は花で、彼女らは蜜を求めて集る蝶だ。……単純だ)



 自分で自分の容姿を利用しているはずなのに、それに釣られる彼女らを軽蔑してしまうのは矛盾しているのだろうか。

 皮(がわ)だけを見て、求める女たちを相手にしていると顔を歪めたくなる。右手に常に感じる、剣で貫かれているような痛みを堪えて笑みを浮かべるよりも、彼女らの態度に作った笑みが剥がれそうになるのを堪える方が難しい。

 ……でもこれが、俺の選んだ道だ。剣で役に立てなくなってしまったのだからせめて何か、自分の得意なものを使って、少しでも役に立ちたかった。



(市井の反応とか、噂話とか。そういうものを好むからね、あの王子様は)



 十五歳のある日まで、俺は第一王子であるカイオス=ジギ=ディトトニクスの友人兼、護衛騎士だった。皇子と幼いころから共に過ごして信頼関係を築き、生涯その身を守り続ける騎士。その役は皇子と同じ年回りである騎士家系の子供の中から、最も武芸に秀でた者が選ばれる。

 五歳となる年に引き合わされたカイオスと俺は、出会ったその日に大喧嘩して、その日のうちに親友となった。彼の心を友として支え、彼の身を命がけで守ることを当然だと思うようになったのはいつ頃からだったか。

 だから、後悔はしてない。カイオスを庇って、魔物に右手を貫かれたことは。



(護衛騎士にはもうなれないけど、親友をやめたつもりはないし)



 その事件以降、右手の傷が癒えた後も痛みは残り続け、まともに力が入らないため剣も握れなくなってしまった。利き手で剣を握れなくなったことが理由で護衛騎士を降ろされ、左手で剣を使えるように努力しても元の場所に戻ることはできず、騎士団に所属することになったけれど。それでも、後悔だけは絶対にしていない。


 カイオスはあれからずっと俺のことを気にしている。動かない右手について罪悪感を抱える彼に消えない痛みのことを悟らせたくなくて、笑顔を張り付けるようになった。痛み止めを服用しながらずっとこの痛みに耐え続けて、もうそれにも随分と慣れたものだ。

 今でもカイオスとは時々会って、くだらない話をする。護衛騎士を降ろされてから六年以上経つが、カイオスも、他の誰も、右手の痛みが続いているなんて気づいていないだろう。だが、それでいい。



(よく当たる占い師は、何か特別な力を持っている。……カイオスはこの話、きっと食いついてくるなぁ)



 占い師の話も、きっと親友が興味を持つと思ったから。話のタネにはなるだろうと、調べる気になったのもそれだけの理由だ。本当に軽い気持ちで占い師に会いに行った。


 店を開けようと表に出てきた占い師の娘に近づいて、俺に気づいた彼女が喜ぶどころか心底面倒くさそうに顔を歪めたのが印象的だった。

 その反応に驚きはしたが、所詮は若い娘だ。どうにでもできると思い、店に押し入ったような形で話をしてみたのだが。



(うーん、おかしいな。こういう対応をされたのは初めてかも)



 予想していたような反応は返ってこない。むしろかなり素っ気ない態度を取られているし、欲しい話も全くしてくれない。というかそもそも、彼女は俺の顔をほとんど見ていない。時々、顔ではなく頭の上から向こう側の景色に視線を向けているように見えるが、わざと目をそらしているのだろうか。



(なるほど、みんな俺の顔を見て動揺するんだから、見ようとしなければ通用しない……のか、な?)



 大抵は目を吸い寄せられるように顔を見るものだから、この反応が新鮮だった。ならば無理やりにでも目をこちらに向けさせれば、他の女たちのように頬を染めるのだろうか。そう思って白い頬に手を伸ばしたのに、触れる前に反対の手、右手を掴み取られた。

 触られることで痛みが強くなることはないが、痛む右手を掴まれたことに驚いて一瞬、笑顔がはがれた。彼女は右手を注視していてそれに気づくことはなかったし、直ぐに笑みを浮かべ直したけれど。……何をするんだ、と声に出すこともできなかったのは、己の右手を見つめる赤い瞳が真剣そのものだったからだ。



「痛いなら痛そうな顔をしてください。分かりにくい」



 何故、分かったのか。顔にも出してないはずなのに、何年も誰にも悟られなかったのに。色んな衝撃で固まっている俺に、彼女は手際よく薬を塗って包帯を巻いた。

 ……不思議なことに、薬を塗り込まれた時から痛みがすっと軽くなって、それにまた驚いた。



(痛みは随分和らいでいるけど……この薬はいったい、何だろう)



 塗るだけで、原因不明の痛みが和らぐ薬。高価だが、それだけの価値はある。そんな薬の効果にも驚かされたが、それよりも。無表情で、淡々と話す娘の言葉に一番、驚かされた。



「貴方がそれを放置していたせいですよ。……痛いなら、無理に笑う必要もないでしょうに」



 痛いなら、無理に笑う必要もないでしょうに。そう言われて今度こそ笑うのを忘れてしまう。笑わなければならないと思っていた俺に、その言葉は不思議なほど染み込んできた。

 この人は一体、何者なのだろう。不信感ではなく、好奇心からそう思う。店を出ても頭の中は不思議な力を持つ彼女のことでいっぱいだった。



(何か特別な力を持っているのは間違いない。……可能性は薄いけど、ひょっとしたら……魔法使い、だったりして)



 魔物という、魔力を持つ生物が絶滅寸前であるように。魔法使いという、魔力を持つ人間も絶滅寸前と言っていい。魔法使いはその一族ごとに違った魔法を使うことができる特別な人間であったが――彼らの力は血族にしか受け継がれない上に、子供も必ず力を受け継ぐとは限らない。段々と数を減らしているところに、その力を欲した権力者たちに捕らえられ幽閉された歴史がある。

 だから彼らは己の力をひけらかさず、ひっそりと普通の人間に混ざって暮らし、普通の人間と交わることで更に血が薄まって急速に力を失っていった。もう百年以上、魔法使いという存在は見つかっていない。その力は絶えたのだと認識されている。



(でも、彼女が魔法使いかどうかは、この際どうでもいい。俺はただ……)



 互いの秘密を握ることになったので、カイオスにも彼女が持っているらしい力については話せない。それでもまた、薬を買うついでに俺は彼女に会いに行くだろう。

 俺はただ、シルルというその変わった娘が何を見て、何を思って過ごしているのか知りたい。どうしたら町の女性たちのように赤くなるのか。その時どんな顔をしているのか、見てみたい。

 それは純粋な興味だ。この日、俺は初めて女に嫌悪ではなく興味を抱いた。そんな日が来るとは思っていなかったので妙な心地だ。でも、不快ではない。



(俺が花で、集まる女が蝶なら……彼女は何になるのかな)



 そう思うと自然に、目深にかぶったフードの下で笑みが零れた。



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