第4話



 本当にどうしてこうなってしまったのか――時は三十分ほど前に遡る。

 朝、店内の掃除を終えて清々しい気持ちで一日の始まりを喜びながら、表に“開店中”の札を掲げた私の前に現れたのは薄汚いマントの男。

 それが視界に入った途端、不意打ちをうけた私の顔は感情を思いっきり表したことだろう。……やばい、とか。しまった、とか。そういう感情を。


 目深にかぶったフードの下で薄らと笑みを浮かべた男は、掲げたばかりの“開店中”の札をひっくり返して“準備中”の表示にした後、私の逃げ場を塞ぎながら店の中に押し戻し、自分も入ったと思ったら後ろ手に鍵をかけた。


(これはまずい状況なのでは……)


 男に押し入られたら貞操の危機を感じるものなのだろうが、相手が相手だけにそういうたぐいの危機感はない。だが、違う種類の危険を感じて冷や汗をかきながらマントの人物と距離を取る。

 不法侵入や押し入りという罪で訴えたいところだが、相手がその訴える先の人間であるのできっと不問にされてしまうのだろう。なんて理不尽な世の中なのか。


(逃げ道は……ないか)


 店の出入り口は当然使えないし、裏口に向かって逃げてもどうせ途中で掴まってしまう。逃げられる状況ではない。

 何故この人が自分の店にやってきたのか、思い当たる節はなくもないが理解できない、というか理解したくなかった。



「やあ、この前はどうもありがとう。お礼を言いに来たんだ」



 フードを跳ねのけながら輝くような笑顔を向けられて、そっと目を逸らす。甘く優しい顔をしているが頭の上は正直で、不信や警戒を示す灰色が伸びている。相変わらず苦痛の色も見えるので余程女という生き物が嫌いなのだろう。私は人の感情が見えてしまうのだから、どんな表情をしていても騙されることはない。

 というか強引に押し入っておいて騙されるはずがないだろう。その完璧すぎる魔性の笑みですべて許してしまうのは一部の人間だけだ。……これだけ顏がいいと割と許されそうな気もしてきた。頭の痛い話である。



「町の蝶々さんたちに有名な予言師が居ないかって尋ねたんだけど」



 再三言うが私は占い師ではないし、ましてや予言師なんてたいそうなものではない。魔法使いの末裔でちょっと特殊なものが見えるだけの薬屋の娘であって、それ以上でもそれ以下でもない。

 だが、それでも。町の女性たちは予言と聞けば、占いを思い浮かべるだろう。そしてほとんどの女性が、私のことを思い出しただろう。……不本意なことに。



「皆が口をそろえてシルルという、よく当たる占いをするがいるって教えてくれてね。雪のような白い髪に、リンゴのような赤い目をしているって。覚えがあったからさ、訪ねてきたんだ」



 私の髪の色も、目の色も珍しい。あれだけ印象的な出会い方をしたのだから、忘れてほしくてもすぐに忘れてくれるはずがない。

 客商売をする者としてはあるまじき行為だが、私は眩しい笑顔の客にお帰り願いたく思いながら目どころか顔までそらした。照れているとか、恥ずかしいとかそんな理由ではなく。

甘く優しい笑顔を浮かべているのに、見える感情が不信青紫苦痛濃紺嫌悪とマイナス感情のオンパレードだから怖いのである。表情と感情が全く合っていない。



「…………ここは薬屋ですので、お買い物でしたらごゆっくりどうぞ」


「そうだね、何か買っていこう。そうしたら占ってくれるんでしょう?」



 しっかり調べてありますという宣言だろうか。しらばっくれることは出来そうもない。店内を見て回った花の騎士もといエクトルは、暫くして痛み止めを手にカウンターまでやってくる。

 そしてにっこりと甘い顔で笑いながら港の事件を語りはじめ「君なんでしょう? 予言めいたことを言ったのは」と、先ほどの質問を投げかけてきたのであった。……どうしてこうなったのか。やっぱりわからない。



「俺を引き留めた時もそうだったけど、君には危険が分かるのかな。蝶々さんたちの話を聞くと、それだけじゃなさそうだけど」



 相手は優しい顔をしているのに、不信感を持たれているのが分かっているせいでまるで尋問でもされているような気分だ。

いや、実際これは騎士団からの取り調べなのかもしれないが、私は何も悪いことなどしていない。だから取り調べがしたくても詰め所まで連れて行くことは出来ず、こうして彼が出向くことになったとか、まあそんなところだろう。



「無言は肯定と取っていいかい?」


「……海賊が来ると分かっていた訳ではありません。貴方が馬車に潰されそうだとも、分かっていた訳ではありません」



 嘘ではない。私は何が起こるのか、正確に知ることは出来ないのだ。ただ、他人の大雑把な未来と感情が見えるだけ、それを見て予想を立てているだけのこと。

 もしかすると、危険に立ち向かうことの多い騎士団として、私の危機察知能力を欲し勧誘に来たのだろうか。そうだとしてもお断りしたい。私の能力はそこまで確実なものではないのだから。


(何をしに来たのか分からないから、どう対応していいのやら……)


 取り調べも勧誘も私の想像でしかないし、エクトルが本当は何を目的としてここに来たのかが分からない。私の力を調べているのは確実だろうけれど、その目的が分からない。個人的な理由ならいい、しかし国のために何かを暴こうとしているのなら――治癒の魔法使いであることだけは、隠し通さなければ。


 緊張や不安が顔に出ていたのか、彼は安心させるように一段と優しく温かい笑みを浮かべて見せた。頭上に優しい感情は見えないから作った笑顔なのは一目瞭然だが。……普通なら騙されるのだろう。不自然さを感じない完璧な表情だった。



「じゃあ、君には何が分かるんだい? ……俺に教えてくれないかな」



 きっと、町のほとんどの女性達ならば。その甘い顔で、優しい声で囁かれ、伸ばされた手で頬を撫でられると何でも喋ってしまう。

魅了の魔法を使っていると言われれば納得するくらい、目の前の男は暴力的なまでの魅力を備えている。エクトルはいままで己の魅力を使って情報を集めてきたのだろうし、私にもそうしようとしたのだと思う。


 けれど、私は自分に伸ばされた左手ではなく、身を乗り出そうとしてカウンターに乗せられた右手に目を吸い寄せられ、そして思わずその手を引っ掴んでしまった。相手は予想外の行動をとられて笑顔のまま固っているが、私も驚いてそれどころではない。おかげで不安も緊張もすっ飛んでいった。


(……よくこんな状態で笑っていられる。この六年、いつ見ても苦痛の色があったのはこのせいだ)


 じっと彼の右手を見つめる。驚くほど綺麗な手だ。剣のタコも小さな傷もなく、手の皮も厚くない。騎士としてはありえない程綺麗なその手には、目には見えない傷が残っている。

表面には痕すらのこっていないが、過去に大きな怪我をしたはずだ。……魔物に傷つけられて、魔障を受けるくらいの大怪我を。


(死の色に気を取られていたけど、そういえば事故の時も苦痛の色はあった気がする……まさか魔障だったなんて思いもしなかった)


 いつも女性に囲まれていて、いつも苦痛の色がある。だから女が嫌いで、女と接するのが苦痛なのだと思っていた。精神的な苦痛も肉体的な苦痛も同じ色だから、勝手に女と過ごすのが精神的に苦痛なのだと思い込んで。

あんなに自然な笑顔を浮かべながらずっと痛みを堪えていたなんて、信じられない。


(何でもない顔ができるような痛みじゃないはずなのに……それにしても、どこで魔物に会ったのやら)


 魔物というのは動物や魔獣と違って決まった形を持たず、知性や理性というものもない、他の生物はなんでも襲うただの化け物だ。その生まれ方は特殊であるため、新たな魔物が生まれることもなく、狩られ続けた結果もう絶滅寸前まで数は減っている。しかし寿命もないので討伐されていない個体が極僅かに生き残っていたのだろう。……よっぽど運が悪くなきゃまず出会わない。


 魔物につけられた傷は魔力を帯びることがあり、傷が完治してもなお体内に魔力が残留し、様々な害を引き起こす――それを魔障と呼ぶ。彼の右手にはその魔障が残っているのだ。

 彼の場合、その魔力が右手の神経を覆っているように見えた。故に右手は動きにくく、剣を持つこともままならないから綺麗な手をしている。そして、神経を害する魔障はずっと強い痛みも与え続けているはずだ。

 私がエクトルを初めて見たのは六年前で、その頃にはもう苦痛の色があった。少なくともこの状態で六年以上放置されているのは間違いない。……我慢強いにも程がある。



「こんなに放置するなんて……貴方に必要なのはその薬ではありませんね、しばしお待ちを」


「え、あ、うん?」


「痛いなら痛そうな顔をしてください。分かりにくい」



 つい八つ当たりのようなことを言ってしまったが、彼が痛みを表情に出していればもっと早くに気づけたし、六年以上も放置などさせなかった。……苦痛の色は見えていたのに気づかなかった自分が不甲斐ないだけで、エクトルは別に悪くないのだけど。それでも言わずにはいられなかった。

 これは医者も原因が分からなかったのだろう、何の処置もされていない。まあ。当然である。魔障は普通の人間が見て分かるものではないから仕方がない。魔力に敏い、魔法使いでなければきっとわからない。

 ただの後遺症だと思って、ずっと痛み止めを飲み続けていたのではないだろうか。見当違いの対処療法だ。


 店の棚には並べていないが、体内に異物となって残る魔力を取り除く薬がある。どんな薬でも急に必要になることがあるから作っておけ、という親の教えに従っていて良かったと思う。

こんな使いどころの限定された薬を使うことなんてあるのかと思っていたのに、父が言っていた「備えあればうれいなし」という言葉は正しかったようだ。

 そんな薬を奥の棚から取り出して、状況を飲み込めず笑顔のまま固まっているエクトルの手に了承も得ずに塗り込んだ。混乱しっぱなしで動かないのをいいことに、そのまま丁寧に包帯を巻いていく。せっかく塗った薬が取れてしまったら勿体ない。



「高い薬ですが、騎士様なら払えるでしょう。一日に一回こうやって塗り込んで、後は包帯か何かで包んでください。一週間分で1万ベルになりますが、痛みがなくなるまでは使い続けてください」


「……一月分で4万ベルか。払えなくはないけど、高くないかい?」



 5万ベルあれば一月暮せることを考えると高額の薬といって過言ではない。だが、騎士は高給取り。このくらいの金額は余裕で出せるはずである。危険手当も含まれているので、これ以上安くすることはありえない。下手をすれば私が命を落とすような材料集めをしなければいけないのだから。

 それに、魔障というのは時間が経てば経つほど治療の期間も長くなってしまうもの。薬が大量に必要な分、費用も嵩んで当然なのだ。



「貴方がそれを放置していたせいですよ。……痛いなら、無理に笑う必要もないでしょうに」



 そこで初めて彼が貼り付けていた笑顔を消して、心底驚いたように私を見た。当たり前の話をしているはずだが、何故驚かれるのか。この人が痛そうな顔をしていてくれれば私だってもっと早く気づけたのだから、おかしなことは言っていないはずだが。



「痛みが完全に取れるまで一年はかかるでしょうし、その後リハビリも必要でしょう。根気強くがんばってください」



 ……本当は。私の治癒術があれば、もっと早く治る。それを隠しているのが少し申し訳ない。だが、それでも私は自分が魔法使いであることを知られたくない。

 無言で1万ベルの代金を差し出して塗り薬を受け取ったエクトルは戸惑うように私を見て、そしてどこかぎこちない笑みを浮かべた。



「……ありがとう。でも、右手のことは秘密にしておいてほしい」


「私のことを秘密にしていてくださるならば」


「……そうだね。うん、それは約束しよう。また来るよ」



 私がエクトルの右手について口外しない代わりに、彼も私が何かをわかってしまうということを口外しない。お互いの秘密を握っている訳だからきっとこの約束は守ってくれるだろう。


 フードを被り直し、女性の憧れである花の騎士とは思えないみすぼらしい姿になったエクトルが店を出て行く。それを見送ってすぐ、私はカウンターに突っ伏した。

 誤魔化せた訳ではないが、私の一番の秘密を騎士団に知られるようなことにはならないはずだ。きっと、多分。……その代わり暫く、花の騎士様が店の常連になるだろうが。


(……でも放っておけなかった)


 慣れてしまったのか何なのかしらないが、魔障を受け、常に強い痛みがあるはずの右手。彼は左手に剣を持つ騎士として知られているが、それは左利きだからではなく右手で剣を握れないからではないだろうか。

 私の薬を塗っている間は痛みも楽になるだろうし、徐々に原因である魔力も消えていくはずだ。長年動きを阻害されていた右手なので、失っている筋力を取り戻すために訓練は必要だが――治せるものだ。それを見て放っておけるはずもなかった。


(……治るまでの付き合い。訓練まで付き合う必要はないだろうし、一年くらいの付き合いだ)


 その間、彼がこの店に通っていることを――町の女性たちに知られないでいられるだろうか。そう思って、深いため息を吐いた。



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