第3話



 私には他人の感情や近い未来を表す、変わったものが見える。それは人々の頭上に、様々な色の線として表れるのだが。


(……今日は怪我の色をよく見るな……)


 店の前を行きかう人々のうち、十人に一人はけがの予想線が伸びている。怪我は事象を示す色なので、その長さで可能性の高さを示しているのだけれど。

 ある程度伸びた怪我の予想線が頭の上にある人間を多く見かけるということは、つまり。数時間後にどこかで大きな事故が起きるのか、もしくは――襲撃事件テロでも起きるのか。


 とにかく大勢が怪我をしそうな事が起きるのだろう。何にせよ不穏であることに違いはない。怪我をしそうな人物の一人一人に声をかけて注意をしたいところだが、どうするべきか。店の前で仁王立ちになりながら悩んでいたら、横から声をかけられた。



「よお、シルル。占いの調子はどうだ?」


「薬屋の調子を訊いてくださいよ、ジャンさ……ん……」



 聞き慣れた声に向き直りながら答えて、見慣れた顔の上に伸びる色に固まってしまう。

 たくましい体がよく日に焼けていて、それなりに年齢を重ねているはずなのにまだまだ若々しく見える壮年の男性。この町の顔役であり、大工であり、父と親交の深かった人物。それがこの人、ジャン=ドバックだ。

 いかつい顔に無邪気な子供のような笑みを浮かべる彼の頭上には、真っ赤な予想線がしっかりと存在していた。



「親方、急に走らないでくださいよ! あ、シルルさん。こんにちは」


「……こんにちは」



 ジャンの背後から走り寄ってきた、見習いの青年の頭上にも同じものが見える。二人のこれからの予定の中に、怪我を負う可能性がある行動が含まれている、ということだ。

 今日、彼らを含む大勢の人間が向かう場所といえば――月に一度の大市場が開かれる港が怪しい。そこで何か起きるのだろうか。



「どうした、腹でも痛いのか?」


「いえ、どこも痛くありませんよ。……それよりちょっといいですか」



 気づかぬうちに眉間に皺が寄っていたようで、ジャンが心配そうに上から覗き込んできた。それには首を振って答え、軽く手招きをして耳を寄せてもらう。彼は大柄なので、小声で話すなら頭の位置を下げてもらわなければならないのである。



「これから、どこに行って、何をする予定ですか。怪我をするかもしれません。……今日は、多いんです。怪我をしそうな人が」


「……成程、今日の港は危険ってことだな。分かった、注意しておく」


「お願いします」



 私とジャンの様子を見習いの若者が不思議そうに見ている。会話の内容は聞こえていないはずだが「もしかして、占いってやつですか!俺もお願いします!」などと言い出したので聞き流しておいた。

 ジャンは父の友であり、私が物心つく前からお世話になっている人だ。深く長い付き合いがあって、私が見えるものも知っている。……貴重な、私の理解者の一人。



「今日は騎士団も動いてる。そんなに心配そうな顔すんじゃねぇよ」


「うわっやめてください!」



 大きくて固い手がわしゃわしゃと私の真っ白な頭を撫でまわす。もう十八になったのだから、いい加減子ども扱いは止めてほしい。

 乱された髪を手で整え直しながら、不満げに彼の顔を見上げる。そこにあるのは我が子を見るような慈愛に満ちた目で、そっと目を逸らした。両親を失ってから、彼とその家族にはたくさん世話になった。店を継いで一人で暮らす私を、ずっと気にかけてくれているのは知っている。私にとっては、第二の親のような相手だ。



「んじゃ、行ってくるからな。店頑張れよ」


「はい。ジャンさんもお仕事、頑張ってください」



 見送った二人の怪我の線が短くなっていることに少し安心する。あの線が長ければ長いほど可能性が高い、逆に言えば短くなるほど可能性も低くなる。ジャックはこの町の顔役なのだから、町の人々を誘導することはできるだろう。何か起こるのは間違いないが、皆が出来るだけ無事であるように祈っておくとする。


(念のため、傷薬は棚に多めに補充しとこうかな)



―――――



 その日、港では大きな市が開かれていた。誰でも簡単に店を開ける、月に一度の大市場。この国の王子もお忍びで視察にきていたという。



「おい、なんだあの船。あんなデカさの船がくるなんて聞いてねぇんだが」



 港にはすでにたくさんの船が泊められている。それらは事前に停泊の許可を得ている商船がほとんどで、今日の市のためにやってきたものだ。しかし、海の方からやってくるものは数十人の人間が乗れそうな大型船で、所属を示す帆印もつけられていない。そんな船が来るという話は誰も聞いておらず、船に気づいた者は首を傾げた。

 人々でごった返す港にむかって近づいてくる登録のない、不審な船。その報告を受けた町の顔役の一人が顔色を変え、すぐに町人を避難させはじめた。



「海賊船が来るぞ! お前ら、すぐに町の中に避難しろ!」



 そう叫ぶ彼が信頼の厚い人物であったから、人々はその言葉を信じて港から逃げ出していく。

 何故、近づいてくる船を海賊船だと思ったのか。王子の警護のため町人に紛れ込んでいた騎士が理由を尋ねると、さる人物から危険の可能性を告げられており、港に向かってくる船が怪しいから避難させただけだと言う。



「今日は港が危ないらしいからな。何もなけりゃ勘違いでした、で済む話だ。何かあった場合がいけねぇから、この場から全員逃がす」



 一体何の世迷言を、と騎士は思った。突発的に訪れる海賊なんてものを、一体誰が予想できるのかと。顔役の男の話を聞く限りどうも確かな情報がある訳ではなさそうなのに、彼は危険がやってくると信じている節があり、迷いなく避難誘導を続けている。



「……今日は騎士団もそばに控えてるって話だから、本当に何かあったときはそちらが処理してくれるだろう。王子様も、こんな風になったら帰るしかないだろうしな」



 しっかりと目を見てそう言った様子から察するに、彼は目の前の人間が町人でなく騎士であると分かっていたらしい。顔役の男はそう言い残して逃げる人々の列に向かっていった。

 王族がその場に居るのだから、市民から告げられた危険の可能性とやらを伝えない訳にもいかない。騎士が顔役から聞いた話を報告したところ、王子もお忍び視察を中止する決断をして、その場には騎士団に所属する者のみが残ることとなった。市民からの訴えを無視するわけにはいかないから、船が何者であるかを確認し、危険であれば処理するように、という王子の命令のために。

 馬鹿馬鹿しいという空気が満ちた騎士団が待ち受ける港へ到着した船の上から、一人の男が声高々に告げた――俺たちは海賊だ、金目のものをよこせ、と。



「その場に居るのは町人に扮装してる、鍛えられた騎士だけだったからさ。海賊達はあっという間に捕らえられて、市民の皆さんは全員無事に済みました、めでたしめでたしという話なんだけどね」



 市民への被害は全くなく、強いていうなら避難の際に転んだ子供の擦り傷くらいのもので。一般人を守りながら戦う必要もなかった騎士団も、余裕をもって海賊を捕らえることができたという、前代未聞の海賊襲来事件。


 私も港で何があったのか気になってはいた。気になってはいたが、目の前の男から聞きたいとは微塵も思っていなかった。ジャンが次に会った時にでも詳しく語ってくれただろうし、何なら町の噂でそれなりに事情を理解することもできただろう。



「そのあとはまあ、海賊がくる危険を予言した人物は誰かって騒ぎになった訳だけど」



 きらきら輝く金の髪。甘いはちみつのような色の瞳。耳から溶かすような優しい声に、目を吸い寄せられそうになる花のかんばせ

 花の騎士ことエクトル=アルデルデが何故、私の店に居て、私に笑いかけながら事件の詳細を語って聞かせてくるのか――今のこの状況が全く理解できなかった。



「ねえ、君なんでしょう?予言めいたことを言ったのは……何で、分かったんだい?」



 カウンターの向こう側から、甘い笑顔で優しく尋ねられるこの状況を、きっと占いに訪れるほど彼が好きな女性たちなら喜べるのだろう。誰に恋をしている訳でもない年頃の乙女でも、ちょっとはしゃいでしまったりするのかもしれない。

 それほどに整った、魔性すら感じてしまうような容姿を持つ男を前にして、私は無表情を保つのが精いっぱいだった。


 綺麗な顔が苦手だとか、嫌いだとか、そういう訳ではない。ただ、その綺麗な顔に浮かべられている表情と、見える感情の色が全く違うからひたすら苦手に感じてしまうのだ。……顔と心の色が一致しない人間は、総じて嘘つきだ。苦手に思って当然だろう。


(なんで、どうしてこうなった……)




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