第2話




 日が沈む三時間前には店を閉める。花の騎士エクトルが現れてくれたおかげで、今日は茶葉類の売り上げが大変よかった。まあつまり、占いに来た女性が多かったのである。その恋は実らないという言葉を何度繰り返したかわからない。

 花の騎士に恋することほど不毛なことはないと、乙女たちが分かってくれたらいいのだけど。


 店の入り口に掲げている開店中の札を準備中に変えたら、買い出しに出かける。食料品や日用品、購入できる薬の材料などを買って回るのだが、行く先々の店主から相談を受け、予想線を見て何か答えるとお礼と称したオマケを貰ったり値引きをしてもらったりして――帰宅するころには両手にいっぱいの荷物がある。

 ほんの少しの買い出しのつもりが、なぜか毎回こうなってしまう。そして占い師としての評判がまた上がる。……まったくもって不本意だ。私は薬の効き目をほめてほしいのに。



(でも今日は早く帰れたな……これなら森に行ってもよさそう)



 今日は比較的早く買い出しを終えることができた。日没までまだ二時間はあるだろう。普段は夕食の支度をしてそのあとは薬の調合をするのだけれど、たまに時間があるときは薬の材料を採集するため森へ向かう。

 この町は海と森に面しており、薬を作る者としてはかなり理想的な住処である。海があるおかげで交易も盛んだし、直ぐ傍には薬の材料になる植物がたくさん育っている森が広がっていて、買うにも自力で集めるにも便利な土地なのである。



(軟膏の材料が減ってきてるし、これは採ってきた方がいいね)



 購入できる材料もあるが、自分で採集しなければ効果が出ないようなものもある。それはおそらく私が持っている魔力に関係しているのだろう。他の人間にとっては何の役にも立たないような草が、私にとってはいい薬の材料になるという訳だ。こればかりは自分で集めなければならない。


 応急処置ができる薬や何かに襲われた時に便利な薬を腰のポーチに詰めて、採集用の仕切りが多い鞄を背負う。時間が短いので森の中には入らず、その入り口周辺で採集することになりそうだ。本当は森の中の方が材料も豊富なのだけど、日の光が届きにくい場所には魔獣が居る。何かあって日没まで森を出られなかったら、襲われる可能性がグンと上がってしまう。



(自分の予想線は見えないから、安全対策は万全にしないと)



 魔獣という生き物は元々ただの動物であった。それがあることをきっかけに変異して生まれ、繁殖したのだ。

 今はもうほとんど滅びたとされるが、一昔前までこの世には「魔物」という魔力を持った化け物がいて、それが動物と交わることで魔獣が生まれたとされている。魔獣は繁殖力が強く、そして生まれる子は動物に戻ることはなく、ひたすら魔獣が増え続ける。


 動物と魔獣はほぼ同じ姿形をしているが、魔獣には必ず捻じれた形の角が生えているため見ればわかる。そして何より、魔獣は狂暴だ。空腹の魔獣は必ずと言っていいほど襲い掛かってくるのである。

 騎士団の重要な仕事の一つがその魔獣の駆除で、かなりの頻度で狩られているはずなのにその数が減る様子はない。けれど放っておくとどんどん増えるし、森の動物が減ってしまい、食料である動物がいなくなれば人間の街も襲われかねないので、狩り続けるしかないのだ。


 ただ、魔獣は明かりを嫌う性質があるためほとんどは木が生い茂る暗い森の奥から出てこない。稀に迷ったのか町の近くに現れることもあるが、そういう魔獣は騎士団がすぐに処理するし、少しなら森の中に入っても危険は少ないのだけれど。念には念を入れて、日が沈む時刻が近ければ森には入らないようにしている。

 雑草扱いされている植物であれば、森の周辺でも充分集められる。自分しか利用する人間が居ないものは取りたい放題、というわけだ。




(……うん、上出来。今日はこれくらいにしておこう)


 日が赤く染まる前には帰路についたが、町に帰り着いた頃にはもう空が藍色に染まっていた。家々に明かりがともされ、街灯も光っているので暗いとは感じないけれど、夜が近い。

 どこかの家から漂ってくるスープの香りに食欲を刺激され、早く帰って夕飯にしようと少し速足になった時。それは横道からふらりと現れた。


 背を丸めてのそのそと歩く、薄汚れたマントに身を包んで目深にフードを被った男。猫背でわかりにくいが、かなりの長身だ。一見浮浪者にも見える姿だけれど、マントの下からちらりと覗く服は綺麗なものであり、訳あって浮浪者に扮しているだけだと察した。なんとも怪しげな男である。

 しかし、私がその男から目を逸らせなくなったのは服装とか、怪しげだからとか、そういう理由ではない。男の頭の上に、驚くべき予想線が伸びていたからだ。



(あれは、死の色……!?)



 それを初めて見た日のことはよく覚えている。両親が揃って出かける日、二人の頭上に伸びていたのは真っ黒の、どこか不気味な予想線。初めて見たその色が何を示しているのか、私は分からなかった。分からないまま「良い子で留守番してるんだよ」と言う両親を見送って――二人は物言わぬ死体となって帰ってきた。

だから見間違えることは、ない。あの男はこのままだと死んでしまう。



(あの人、なんで死ぬの? 助ける方法は何かある?)



 マントの人物が一歩踏み出す度に、死の予想線は伸びていく。倍以上の速度で、怪我の予想線も伸びる。彼はそちらに行ってはいけないのだ。死ぬか、死ななくても酷い怪我をすることになる。ならば止めればいい。



「待って!! 止まって!!」



 声をかけても当然、止まらない。自分に声をかけられているとは思ってもいないのだろう。私の声に反応するそぶりもなく、歩み続ける彼の線の成長も止まらない。だから思わずその男の元まで走って、腕を掴んで強く引いた。



「そっちに行っては駄目!! 死んでしまう!!」



 後から考えてみれば、突然腕を掴んでそのようなことを言ってくる女というのはとても不審だっただろう。無理やり引き留めたその相手も、深くかぶったフードの下で驚いた顔をしていた。そしてその顔を見た私もとても驚いた。……はちみつ色の目を大きく開いた、花に例えられるほど美しい顔がそこにあったから。



(花の騎士……!?)



 私も彼も混乱して固まって、数秒後。劈くような嘶きがして、そちらに視線を吸い寄せられる。

道路を走る車を引いていた馬が、突如暴れて御者は道路に放り出され、統制を失った馬車が道を外れ、勢いよく石壁に向かって突っ込んでいった。

 この男――エクトルを私が引き留めなかったら、彼が歩いていたであろう場所へ。おそらく、この事故が彼を死なせる原因だった。彼の頭上から死と怪我の色が消え失せているのが何よりの証拠だ。



「君は、いったい」


「そんな事よりも救護が先ですよ!! 応援呼んでください!!」



 ぽかんと事故を見つめ、そして自分が巻き込まれていたかもしれないと気づいた彼が訝しみながら声をかけてきたが、それを遮る。私は不審人物かもしれないけれど、人命救助が先だ。

 私は薬屋であり、治癒の魔法使いである。医療の知識は多少なりともあったし、いざとなったらこっそり力を使うしかないと思いながら事故現場に駆け付けた。



「大丈夫ですか!!」



 馬は馬車と壁の間で潰れて痛ましいことになっていたが、幸いにも中には誰も乗っておらず、暴れた馬のせいで御者台から投げ出された男性が打ち身を負っただけで済んだらしい。緊急の怪我人が居ないならば、あとは専門家が処理すればいい。

 重篤な状態の人間がいないことを確認した私は、男性を道路から引きずって端に寄せた後、騎士団が来て医者に診てもらうまであまり動かないように言い含め、そっと打ち身に効く薬を握らせた。そして、逃げ出すようにその場を去った。というか、実際逃げた。


 怪我人を置いていくのは忍びないが、事故処理に騎士団が到着するより先に姿をくらませたかったのである。薄汚れたマントで変装していた騎士は応援を呼びに行ったのか、見つかりたくなかったのか分からないが既にいなかった。私も野次馬をすり抜けて、店までひた走る。

 息を切らしながら自分の店に帰りつき、扉も鍵も閉めてからずるずるとその場に座り込んだ。なんだか酷く疲れた気分だ。



(よりにもよって今日、関わりたくないと思ったばかりの相手を助けてしまうとは……)



 まさか華やかさの象徴のような男が、汚いマントを被って街を徘徊しているとは思わなかった。何をしていたのかは知らないし、知りたくもないが、驚かせないでほしいものである。



(……ちょっと顔を見られて、ちょっと不審な行動をしてしまっただけ。きっと、たぶん、大丈夫。私から関わることは二度とないし……)



 花の騎士エクトル=アルデルデとの出会いは、そうやって幕を閉じた。関わるのはこれが最後のはずだと、自分に言い聞かせたその言葉は見事に打ち砕かれることとなる。





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