【クランチ文体】文庫・電車・コースター

 少女の右手には――銀色をしたスキットル/既に開封済み。


 左手には緑色をした表紙――恐らくはサイズ的に文庫本/外された帯やカバー/日焼けのした紙質/すりきれたタイトル/指先の跡/使いふるされた痕跡。


 共通しているのは刻まれたロゴ。

 丸地に三匹の狼が、互いの尾に喰らいついている。 


『目標接近まであと十五秒。アルファ、準備は良いか……九、八、七』

「オーケー。もう黙っていてね」


 ヘッドホンから聞こえる音声を無視して――確認。

 周囲の人影=なし。

 通る車≒なし。


 しばらくすると、単線路を挟む眼前の踏切から(カンカンとした警報音+左右に点滅する赤色の灯り+ゆっくりと降りる遮断器)=電車の接近を知らせる調べ。


 スキットルをグイっと煽る。

 月の光に照らされた金属製の容器は、さながら夜を吸い込む様に。

 喉元を過ぎる熱を帯びた液体。

 堪えるのは炎にむせる感触。

 鼻孔の奥からせり上がるのはいつになっても慣れないヨードチンキみたいな香り。


 少女は一歩だけ後ろに下がる/少しキツめの目元/顔は前を向いたまま/ふわりと肩口で揺れる黒髪/夏仕様の白を基調としたセーラー服/ふわりと上がるスカートの裾/アスファルト上の砂利が鳴る/下ろされる右手から捨てられるスキットル/こぼれる液体/近づく電車の規則的なガタンゴトン。


 二十メートル×六両編成、その先頭が時速七〇キロメートルで踏切部分へと進入するその刹那、途端に力の入る少女の右足。

 視線=力強く。


 タイミングを合わせて踏み込む/跳躍。


 少し垂れ下がった黄色+黒の遮断器を踏み台に=更なる跳躍。


 右手一本で掴むパンタグラフ/突如時速七〇キロ/左手の文庫本/たなびく黒髪/風圧が視界を奪う/歪む表情/右手に力を込めて/立て直される体制/右足を引き寄せると、ようやく安定した姿勢を保つ。


「無茶をするのは、あまり好きじゃないんだけど」


 諦める様な口調+少し高揚した口角。


 車両が大きなカーブに差し掛かる/左側の重力/重心は右側に/手を放せば終わり/終わるつもりは毛頭ない。


 さながらジェットコースター(-(安定した座席+身体を固定するベルト+笑顔で案内する係員+絶叫))と戦いながら、左右からの揺さぶりに耐える。


「そろそろ目的地点ね」


 少女=強まる瞳。

 暗闇の中、疾走する車両の上で両足立つ。


「さぁ、出番よ。仕事をしてちょうだい」


 左手の文庫本、その表紙に描かれたロゴが光を放つ。

 踏切のランプよりも赤い/朱い/紅い/血の色。


 直線に突き抜ける車両の遥か前方=ヘッドランプなど届かない視界の奥に蠢く何か。


 ここが北海道であれば、ヒグマに思えたかも知れない。

 ここが北欧であれば、ヘラジカに見えたかも知れない。


 大きな大きな闇夜に溶けた巨体=殺意の塊りじみた物体が、血液よりもなお赤い光でこちらを=少女を=文庫本を睨みつけている。

 音にもならぬ――――咆哮。


 遥か前方からワイヤーじみた殺意が準音速で射出/少女をめがけて。


「月夜、月世、月代、月鸒」


 タイミングを合わせるように少女が言葉を紡ぐ。

 左手から閃光/噴出される炎/渦を巻いて/三本の帯/狼のカタチ/相対速度一二〇〇キロメートル/絶対速度一二七〇キロメートル/やがて糸の様に収束する/液体/光。


 少女は顔を少し横に傾げる/もみあげが少しだけ被弾して散る/同時に前方の巨大な物体は、内側から貫かれたかの様に雲散霧消。


 通過する車両は、何事も無かったかの様に。


「あ、まず……!」


 直後、訪れる左側からの強烈な重力。


 一瞬の気のゆるみがカーブに差し掛かった事に気付くのを遅らせ/掴もうとする右手/より早く動く身体/手に取れないパンタグラフ/虚空へと舞う視界/視界の端に見える田畑/受け身さえ取れれば/左手の文庫を胸元に抱える/スキットルは既に捨てていた/絶対時間は約五秒/相対時間は無限/あとはタイミングを合わせる/接地箇所は身体の外側を意識/体制十分――――――――再開された時間はスローモーションが解けて加速し体感として光よりも速く打ちつけられ(速度×体重)による慣性に従って意思とは無関係に転がる/青い稲の香り/土の香り/少し噛んだ口元の血の匂い/月光/星々/湿っぽい手足の感触/泥だらけの少女。


「いてて……ちぇっ、この制服、気に入ってたのに」

『任務の遂行を確認。アルファ、身体は無事か』

「無事じゃないわよ。制服が破けたせいで心が」

『救護班を向かわせる。もうしばらく待機だ』

「オーケー。鉄道保安員アルファ、あと五分だけ待機してあげる」

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