【現代F】文化祭・先輩・雨

 教室の窓から見える夜の山間やまあいは灯りも少なく、空と同じ暗さに染まっていた。

 山と夜空の境目を示すのは星の有無だけ。琥珀や紅玉、瑠璃の破片を散りばめたみたいな輝きが、塵の様に瞬いている。


 自然豊かな奥地に建てられた県立・野辺利高校では、年に一度の文化祭――通称『ノベリ祭』が今年も無事に終わりを迎えた。


 校庭で後片付けをしている生徒たちの顔には、まだお祭りの残り香が漂っている。

 スピーカーから響くのはRADWIMPSの『前前前世』。少し前に流行った音楽のピアノ・アレンジが、止まない喧噪によく似合っていた。


 文芸部の私たち二人は、教室で最後の荷物を纏める所だった。時計の針は20時を指していて、大した出し物なんかしていないから、これでも早く終わった方だと思う。


「先輩、もうこれを片付ければ終わりですから……どうかしました?」


 私が声を掛けた先では、どこか思いつめた様子で、先輩が窓の外を眺めていた。


「ううん、ちょっと考え事」


 差し込む明かりに照らされる横顔は、同性から見ても綺麗だと思う。

 肩まで真っすぐに伸びた黒髪、少しの茶色を湛える凛とした瞳。しなやかに覗く細い首筋に、窓辺に溶けてしまいそうな淡いシルエット。


 静かに本を読む姿が、私にとって密かな憧れでもある文芸部の先輩。

 そんな彼女が、思わぬ言葉を口にした。


「私ね、龍神様の生まれ変わりだと思うんだ」

「…………はい?」

「だから、龍神様の生まれ変わり。最近、やっと分かって来たんだ」

「そうですか。じゃあ私、ゴミ片付けて来ますんで」

「うん、行ってらっしゃい。じゃなくてスルーしないでよ三上さん」

「そりゃスルーしますよ。真面目な顔して何を言い出すんですか、先輩」


 別段、イタい発言をする人でも無かったと思うけれど……流石に文化祭の疲れが出たのだろうか。エキセントリックな疲れ方だな、と思ったけれど、疲労困憊なのは私も同じなので、あまり深く考えない様にした。


「じゃあ、行って来ますんで」


 と、部室の扉を開けた瞬間、ドンっと空気を振るわせる低音が轟いた。

 慌てて部屋に戻って外を見ると、校庭の隅で朦々もうもうと黒い煙が舞い上がっていた。出店で使った火元が爆発したのかも知れない。怪我人はいるのだろうか。先生たちが消火器を手に慌てて走っていた。


 そんな光景を見ながら、先輩の口元が僅かに上がったのを、私は見逃さなかった。


「え、先輩……?」

「こういう時こそ、私の出番ね。三上さん、ちょっと見ていて」


 窓際に向かって胸を張り、彼女は天を仰ぐようにして両手を広げた。


 その視線の先、ガラス越しに映るのは雲一つない夜の天蓋てんがい。ほんのりとした虹色が、いつの間にか上った月の輪郭を囲む様に広がっている。

 目を凝らせば流れ星だって見つかりそうな、雲一つない初夏の星空。


 だというのに、どこからともなく湧き上がった水蒸気が、次第に大きく、大きく姿を現した。月の明かりはすぐに隠されて、浮かぶ星座も輝きを消す。大気を振るわせる低いゴロゴロとした音が、遠い場所から校舎を揺らした。


 ぽつ、ぽつと滴る水の音。

 空で形を成した灰色の塊から一つ、二つ……本当に雨が降り出し始めた。


「ほらね、だから言ったでしょ?」


 私は声も出せずにいた。だって、信じられるハズがない。目の前の人が雨雲を呼び起こすだなんて。きっと、何かの偶然だとか、そんなミラクル的なものなんだと思う。

 けれど先輩の顔は自信満々で、清々しいまでのドヤ顔だった。

 こう、右頬に『ド』・おでこに『ヤ』・左頬に『アッ』って書いてあるみたいな。


「さて、これで火も落ち着くわ。雨が上がるまでここで見ていれば……あら?」

「先輩?」


 怪訝な瞳が窓の外に向けられ、つられた私も視線を移す。


 見ると、降り始めた雨は短時間でその様相を変えていた。

 細い雨糸は麻を思わせるほど太くなり、数を増し、校庭のハロゲン灯に照らされるしだれが絶え間なく降り注ぐ。地面へと激突する水滴は地面を抉り、まるで無数の針金が突き刺さっているみたいだ。


 校庭にいた生徒たちも急いで校舎へと避難を始めた。あまりに突然の出来事にパニックが広がり、水たまりに足が取られて転ぶ者、稲光に声を失う者……所々で上がる悲鳴さえも、土と水の衝突音にかき消されている。


 雨音はショパンの調べ、なんて言葉を聞いた事があるけれど、これじゃあまるで津軽三味線のじょんがら節だ。


「三上さん、逃げようっ」

「え、逃げる!?」


 先輩は脳内三味線をかき鳴らした顔をして私へ呼びかけた。この光景を見るに耐えかねたのか、顔面からは血の気が引いて薄い唇がふるふると震えている。

 彼女にとって、このゲリラ豪雨を呼び起こしたのは外ならぬ自分自身だと思っているのだろう。


「ちょ、ちょっとやり過ぎちゃったかな。あは、あはははっ」


 校舎を出ると傘が突風に吹き飛ばされた。風とも水ともつかないつぶてが体身中をビシビシと叩く。それでも疾走を止めない先輩を一人に出来ず、私たちは雨に打たれ……いや、撃たれながら走り続けた。


 刹那、一際大きな閃光が夜空を走る。

 灰色の夜空を引き裂くような稲光。

 その雲の隙間に。

 私は確かに、ふわりと浮かぶ龍が見えた。













――後夜祭・おわり


*****


・イメージミュージック1『前前前世 ピアノVer』

 https://www.youtube.com/watch?v=_w0Hx5I5AdA


・イメージミュージック2『津軽三味線じょんがら節』

 https://www.youtube.com/watch?v=y18geQEg9pM&t=315s




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