第71話
...どういう状況だろうか。
リハーサルをしていたら、中川朱美さんが入ってきて、俺の顔を見るなり突然泣き崩れた。別に、泣き叫ぶという訳ではなく、静かにその場に膝をつき、顔を覆っていた。
俺は、どうしていいか分からなかった。
とりあえず微笑みかけて見たものの、状況は更に悪化、小さく
「え、あの...朱美さん?大丈夫...ねぇ」
「う、うん...でも...いづぐしまくんが...居ると...ハァ...思わなかったから...」
「分かったから、お願いだから泣かないで...」
「...」
「ごめん、ごめんて...あの誰か、ハンカチとかティッシュとか...」
泣き止まぬ彼女の背を擦りながら、俺はひたすらに慰めることに徹した。
71
用意された真新しいスーツの袖を通す。典型的な紺色の、ストライプが入ったスリーピースのスーツだ。アイドルの中でスーツを着ているのは俺だけなのだという、あまりにも大人っぽすぎるが故に、ファン層が主に若者に偏りがちなアイドルには、スーツは不評のようだ。
自分の場合は、デビュー当初からスーツを身につけているが故に、必然的に様になっているらしい。
宇治正さん曰く、服に着られない貫禄があるとの事だが、雰囲気が老けているの間違いじゃないか不安である。
少々話が脱線してしまったが、スーツを着た俺はそのままスタジオへと向かった。
今から1時間、生放送だ。
きっと、テレビをつけている人間は驚くだろう。死んだやもしれぬ男が、なんの前触れもなく生放送の音楽番組に現れたとなったら。ひょっとしたら幽霊と勘違いされるかもしれない。放送中に局内の電話に問い合わせが殺到するのは確実だろう。
いずれにせよ、唐突に復帰している俺に対して世間がどのような反応をするのかすこし楽しみであった。
「本番5秒前、4、3、...、...」
スタッフの掛け声とともに番組が始まった。スタジオ奥に作られた階段のセットを降りる司会者2名、そこから他愛もない雑談が繰り広げられ、ついに出演歌手が登場する。
リレー形式で曲を順番に歌い、歌手にマイクを渡していく、この番組独特のオープニングは今やパロディが作られるほど定番と化している。
「厳島さん、こちらです」
スタッフの案内で定位置についた。
「続きましては、見事に復帰された厳島裕二さんです」
前に歌っていた歌手からの紹介を受けた俺は、マイクを手に取った。──────────────
バンド、マーブルズとしてデビューしたのがつい数ヶ月前のこと。雑誌やテレビは俺達のことを近年稀に見る超新星の一つとしてはやし立てた。
中川朱美、今泉涼子、水谷きみえ等も超新星として位置づけられているが、なんと言っても別格は厳島裕二だろう。
マーブルズもデビューしてからかなり早く、日の目を浴びることが出来たものの、昨年の彼の快進撃ははっきり言って異常だった。何せ、オーディション番組の段階で既に注目を浴び、デビュー前にもかかわらず既に親衛隊が出来ていたほどだ。
俺は彼に憧れている節がある。アイドルとしてでなく、1人のミュージシャンとして、彼の作る独創的な曲と彼自身の魅力、正直いって逆立ちしても勝てない。俺が初めて彼を見たのは、そう昨年の7月頃だった。
1982年7月2日
空には、ながらく動かないでいる大きな雲が真っ青なライトブルーに白を添えており、赤白く光り輝く太陽は天高くその猛暑を我々の肌に叩きつけていた。
俺は、この日のために休日を全て返上して練習に挑んできた。笑われてもいい、ただ芸能界という輝かしい世界への切符を勝ち取りたい、その一心で今日に至るまで努力を重ねてきた。
俺の通っている高校の同級生は、ほとんどが既に進路を決めつつある。もちろん、進学や就職といった無難なものが大半を占めていた。芸能界で一山掘り当ててやろうという大きすぎる夢を抱いていたのは、俺だけだった。
幸い、両親は夢を全力で応援してくれているものの、スネをかじるような迷惑はかけられない。裕福な家庭に産まれた訳でもないので、これで終われば素直に地元の企業に就職しようと考えている。
もう後戻りは出来ない。3度目、いや5度目の正直。今まで何度も落ちてきたこのシビアすぎる大会に俺は決死の覚悟で挑んでいた。
スター降臨予選大会に。
会場として使用された品川区の商業高校、その控え室に俺は通された。首には出場者を示すプラカードが下げられている。番号は195番、少なくとも200人は受けているこの大会、決勝に進めるのはわずか5、6人程度、決勝に進んだとしてもデビューできるのはほんのわずか、針穴を通るほどに狭き門だ。
「フゥ...」
思わず息をついた。
何度経験してもこの緊張感には慣れない。控え室でガヤガヤと話している人間の気が知れない。きっと、このスター降臨の恐ろしさを知らずに来たのだろう。
指先が震える。何度もトイレに行き、鏡を見つめ心を落ち着かせた。時が経つにつれ、次第に教室にいた参加者は減っていった。
先程までの騒々しい空間が嘘のように静まり返っていた。今頃、大半の参加者は帰宅している頃だろうか。
ふと、教室の隅に小さく縮こまり、ギターケースを片手に本を読んでいる青年を見つめた。
「...」
異様だった。彼を包み込む青く冷たい幻影は、独特の雰囲気を体現しているようだった。カリスマ性というのだろうか、この男は予選で何かとんでもないことをやらかしそうな、そんな感じだった。
「えぇと、195番から200番の方どうぞ」
係員に呼ばれ、我々は教室を後にした。
教室のカーテンが風になびく、まるで戻ってこいとでも言っているかのように、誰もいなくなった教室の不気味さをどことなく感じさせた。
それからしばらくして、通っている高校の進路指導室で、俺は就職先を吟味していた。
「技術職なんてどうだ、ほら前に機械いじりが好きだって言ってただろ」
「そうですね...一応候補には入れておきます」
進路相談の教員からいくつかの企業を勧められた。いずれも中小企業ばかりだ、手取りもそこそこ、暫くは実家から通う予定なので距離的にそこまで離れていない企業を選定している。
眉間に皺を寄せ、苦悩しているところ唐突に横槍が入った。
「すいません、藤本いますか」
進路指導室の扉が開いたことにより、ストーブを焚いていた暖かい部屋に、冷気がなだれ込む。時期は冬だ、廊下は極寒に近い。
「バカ!閉めろ、寒い寒い!」
「すんません...急用なもんで。」
「んで、藤本だったな...ここにいるぞ」
「あぁ、やっぱりここか..鈴木先生、少しの間だけ借りてもいいですか」
「んだ、授業の準備とかか」
「いや、実は来客があって...校長に言われて呼びに来たんです」
「そうか、なら遠慮するこたぁないな。藤本、今日のところはここら辺でお開きにして、お前は校長先生の所に行ってこい」
「はい...」
鈴木先生から今川先生に俺の主導権はバトンタッチされた。彼の後ろを着いていくとやがて応接室へとたどり着いた。校長室の真横にある、来賓や来客をもてなす部屋だ。生徒がそう入れる場所ではない。
「失礼します、藤本です」
「どうぞ」
ノックをしドアを開け中に入る。部屋の中には校長と、男女がいた。片割れの女性が椅子からスっと立ち上がると、唐突に握手を求めてきた。
「こ、こんにちは...」
「よろしく。君が噂に聞く藤本くんか...なかなかの上玉じゃないか...。
「ありがとうございます...スター降臨の予選でたまたま目につきまして」
「いい審美眼だ、今度寿司でも奢ってやろう」
「ありがとうございます」
目の前で俺の手を握る女性は、方や椅子に座っている男性と主従関係を結んでいるように見えた。堅気な女社長といった雰囲気だ。身なりもかなり良い。
学校の応接室に通され、わざわざ校長が接待をするのも納得がいった。
「君のことは、あの出柄史が夏に行われたスター降臨で見かけたみたいでねぇ、結果は予選落ちだったが、磨けば光ると言われついぞや私も興味を抱いた次第だ」
「は、はぁ...」
「まぁ、単刀直入に言うと私は芸能事務所の部長兼マネージメントをしている
「俺を...スカウトですか」
「そう、君にはバンドを組んでもらう」
そう、俺は彼女の鶴の一言でデビューすることが決まり、人生が180度回転した。彼女が手腕を振るう『マーブルズ』は今や注目の的だ。打倒、厳島裕二を掲げ、超新星の一つに名を刻みこんだ。
が、現実はそう甘くなかった。
フレッシュドール賞の話題賞にノミネートされた俺たちマーブルズは、ホテルニューオータニにやって来ていた。
楽屋で玉睦マネージャーとともに、受賞の際の打ち合わせをしていた時である。
突如楽屋の扉がノックされた。
玉睦さんが「どうぞ」と言った瞬間、扉は開いた。白髪混じりのダンディな中年男性が現れた。
誰だろうかと呆気に取られていると、いの一番に玉睦さんが席から立ち上がり、腰を綺麗に90度に折り曲げた。
「おはようございます!」
「おぉ、おはよう...って言っても時間帯的には、こんにちはかな」
「はっ...えぇと、こ、こんにちは!」
「はは...そう畏まらなくても」
「いえいえ、宇治正さんには日頃からお世話になっていますので...」
いつもは飴と鞭で言ったら、どちらかと言うと鞭の多い玉睦マネージャーが、この謎の男性を目の当たりにした瞬間、借りてきた猫のように従順に大人しくなっている。
驚愕のあまり、俺はマーブルズのメンバーと目を合わせた。
「本日は...お日柄もよく...」
「だから、そんな畏まらなくてもいいのに...それより、この子達が君のマネージメントしているマーブルズかい?」
「は、はい」
「そっか...うん、噂はかねがね聞いているよ。いい人材を掘り当てたね」
「お褒めに預かり恐縮です」
男性は、ゆっくりと歩みを勧め俺の眼前で止まった。
「自己紹介が遅れたね、私は宇治正健吾、マネージャーをしている者だよ」
「よ、よろしくお願いします...」
握手を求められ手を握る。玉睦さんと違った包容力を厚みのあるてから感じた。
「いやはや、玉睦はもともとうちの事務所で見習いをしていた子でね...今は君たちの事務所で働いているけども、一昔前は随分といろはを教えこんだもんだよ」
「そうなんですか...玉睦さんが...教わる側」
「まぁ、今となっては私が教わりたいくらいだがね」
「う、宇治正さん...冗談きついですよ...私の方こそ教わりたいです」
「玉睦、そう謙遜することは無い、君の手腕には目を見張るものがあるから、私もそれを吸収したいんだよ」
「そ、そうですか...微力ながら参考になっていれば嬉しいです」
宇治正さんはその後、しばし話した後、楽屋から去っていった。
「玉睦さん」
「ん?なに」
メンバーの一人が思い切って質問をした。
「あの人は一体」
「宇治正さんのことか?」
「はい」
「あぁ...あの人は、君たちが打倒を掲げている強大な相手を裏から支えている大天才だよ」
「...強大な。まさか」
「あぁ、かつては一世を風靡したホワイトバルーンのマネージャーを務め、現在は皆が知るかのカリスマ 厳島 裕二のマネージャーを務めてらっしゃる。
「...なんか、すごい人でしたね」
「そりゃそうさ、あの人ほど優秀たるマネージャーはこの世にはいないよ。実質プロデューサーと言ってもいい、タレントの方向性を見極め最も売れる方法を見出す。それに、なんと言っても宇治正さんの人脈の広さは以上だ。どれも各界の大物ばかり、巧みな話術と交渉術には私も舌を巻くばかりだよ」
「カリスマを天才がマネージメントしてるわけですか...」
「あぁ、まぁそういうことだな」
「鬼に金棒どころじゃない...」
自分たちが打倒しようとしている人間がどれだけ強大であるかをこの日初めて認識した。
そして俺は今、テレビを見ながら苦笑いを浮かべていた。スタジオの真ん中でスポットライトを浴びながら、歌う彼、厳島裕二。
歌声、演奏、パフォーマンス、全てにおいて入院前のそれとは遥かにパワーアップしていた。
「はは...すげぇや...」
テレビ越しから伝わる迫力、そして初めて耳にする複雑かつ斬新、前衛的な曲。ポップスの新たな新境地を目の当たりにしている気分だ。
こんな曲を、若干17歳が書き上げてしまうことが恐ろしい。
『ネオンを編む』の衝撃は、復帰早々、彼のイメージを大きく一新すると共に、今までのアイドルという枠に収まっていた、彼の才能の真髄を我々に叩きつけた。もはやアイドルという存在では推し量れない、彼は今、世界に通用する曲を我々日本のミュージシャンにこれでもかと見せつけていた。
こいつはいつか絶対にグラミー賞をとりやがる。そう確信させるほどだった。
────────────────────
マネージャーの名前の由来は日本茶です。今回登場した玉睦は、玉露本山茶が由来です。
ちなみに宇治正は宇治茶です。中川朱美のマネージャーである碁石は碁石茶です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます