第72話
復帰後は宇治正さんの計らいか、想定していた仕事量を大きく下回り、さほど疲れを感じない毎日を過ごしていた。
仕事の傍ら、傷の経過観察を見るために通院している。待合室でバレないように変装するのはなかなか骨が折れる。ただ、人間普段からあまり周りのことを見ていない生物なのか、マスクと伊達メガネという簡易的な変装でも案外バレない。
恐らく「ここに厳島裕二がいるわけがない」という先入観が邪魔をして、疑うことすらないのだろう。ただ週刊誌の目が怖いので、変装するに超したことはない。
復帰から数週間後、傷を覆っていたガーゼも取れ、痛みも感じなくなった。医師からも完治のお墨付きを頂いた。これでようやく100パーセントの実力が発揮できると、息巻いていた矢先、俺にとんでもない仕事が舞い込んできた。
「ラジオ...?」
「そうそう、夏頃から新パーソナリティに厳島くんをって」
「...生放送ですか」
「いんや、全部収録。厳島くんになるべく負担をかけないような形でなら出演をOKしますって、私の方から予め言ってたからね。」
「...なるほど」
「しかし聞いて驚きな、かの『オールナイト日本』だよ」
「...ほんとですか」
「ホント。いやはや、デビューしたての若手には大役だよ」
オールナイト日本、恐らく日本でいちばん有名なラジオ番組と言っても過言ではないだろう。その歴史は長く、番組開始は1968年、現在に至るまで約15年間、平日及び土曜日に放送されてきた人気番組だ。
この番組は曜日ごとにパーソナリティーが変わり、さらに定期的に入れ替えることで聴取者を飽きさせない工夫を施している。番組の内容はパーソナリティーの色が濃く出ることが大半で、当然笑いに長けたお笑い芸人が担当する番組は数年続くほどの人気を博している。
そんな中にパーソナリティーとして割って入らなければならないことにかなりプレッシャーを感じる。
未だ高校生の俺にはあまりにも荷が重すぎる仕事に、若干、苦笑いをうかべた。
72
俺は珍しく、気分が高揚していた。
仕事以外で来れる機会が無いこの場所、見渡す限りメルヘンチックな建物が並び、絵本の世界に迷い込んだのかと錯覚させる独特な雰囲気。この場所だけまるで世界のどの場所からも切り離されたような、そんな印象を受ける。
つい最近、千葉県に開園した遊園地。
世界的な人気キャラクター達をモチーフにした世界観を徹底して作りこんだその景観は、ブラウン管越しには感じられない迫力があった。
オープン前からかなり話題になっていたが故に、一度でいいから行ってみたいと思っていたのだが、まさか今日叶うとは思いもしなかった。
「すんごいな...」
「一体作るのにいくらかかったのやら...」
「本場アメリカにあるテーマパークはこれの数倍の広さだって聞きましたよ」
「アニメーション会社がここまで発展して、遊園地を作るまでに至ってしまうとは...アメリカの娯楽産業がどれだけ巨大かが分かるね」
「...多分、この景色見て産業うんぬん考えてるの宇治正さんだけですよ」
「職業病ってやつだろうね...」
宇治正さんは、自前のフィルムカメラで至る所を撮影していた。海外等の経験も豊富である彼からしても、やはりこの忠実に作り込まれた世界観はどこか目を引くものがあるらしい。
「さてと、こう呑気に突っ立っている訳にも行かない。ここには仕事で来たんだから。」
入場ゲートを進んで直ぐにある大通りのど真ん中で、撮影隊が機材を組んでいく。
我々以外誰もいない園内は、なかなか壮観であったが、若干の寂しさを感じた。
園内に設置されている銅像の前では、テーマパークのマスコットおよび、世界的にも有名なキャラクター達がリハーサルを行っていた。
スタッフからこと細かく指示を受ける彼らの様相は傍から見て少し面白い光景だった。
そんな俺も、撮影前にスタッフから指示があった。
「本日はよろしくお願いします」
「あ、こちらこそお願いします」
「早速ですが厳島さんには、こちらの商品を持っていただいて。物撮りをお願いしたいんですが」
「はい、分かりました」
カメラの前で、商品のお菓子をシャカシャカと振るう。2回振ってからしっかりと商品のパッケージを見せるように指示された。
これが結構難しい。カメラに映る位置にピンポイントで商品のパッケージを止めなければならないため、腕に力が入る。
一度目はNGだったが、2度目で成功し、次のカットに入った。
商品を一口食べてセリフを言う。ただそれだけだ。
「はい撮影行きます。4、3、…、…」
「1口サイズの小さなビスケット。...甘いのが好きな人は確実にハマるかと...」
「.......はいOKッ!!」
こんなのでいいのだろうか。もっとこのテーマパーク全体を活用した最適なCMを撮影した方がいい気もするが、撮影側の意図は分からない。
最後に、テーマパークのキャラクター全員が集合するシーンの撮影を行った。
「エンジェルマークが目印ですっ!!!!」
お菓子の製造元である江永製菓のマークを指し示し、セリフを言ったと同時に、キャラクター達が一斉に俺に向かって駆けてきた。
ドラマ『3年B組 銀八先生』のオープニングさながら、キャラクターたちにもみくちゃにされる俺。巨大なクッションに圧迫されたような気分になった。
恐らく、キャラクターたちに押し潰されるなんて経験をしたのは、後にも先にも俺だけだろう。
その後、放送されたCMを見てみたが。かなり良い出来だった。商品の魅力と、キャラクターたちの可愛さが全面に押し出されたものになっていた。
ちなみにこのCMを撮影した時間は早朝6時である。そして撮影時間は脅威の30分だ。たったそれだけの尺で、高クオリティなCMを作り出す制作会社の技術には感服するばかりである。────────
「厳島くんってさ、泳げる?」
「はい?」
復帰から早2ヶ月が過ぎ、時期は夏。7月に突入した。今年はオホーツク海高気圧の影響で、夏らしい突き刺すような暑さは訪れず、避暑地並みの冷夏になるらしいと新聞で読んだ。
衣装がスーツ故か、夏の暑さにはめっぽう弱いため、涼しい方が仕事的にも捗るし、かなり助かる。
もう夏かと、移動中の車内で少し感傷に浸っていたが矢先に、宇治正さんから「厳島くんってさ、泳げる?」という唐突な質問が飛んできた。
「ほら、海とかプールとか。もしかしてカナヅチ?」
「いや、多分泳げるほうだとは思いますけど...いきなりどうしたんです?」
「泳げるなら安心したよ...いやね?実はついに例の仕事が舞い込んできてね」
「例の仕事...?」
「厳島くんってデビューが8月だったでしょ?」
「そうですね」
「だから去年は出場できなかったんだけどさ...今年こそは、ようやく出れるってわけよ」
「何にです?」
「夏の風物詩。オールスターアイドルだらけの...」
「水泳大会。」
「そう、それ!」
オールスター水泳大会。毎年夏に放送される、もはや風物詩と言っても過言ではない特別番組だ。出場するのは若手のアイドルやお笑い芸人、白組と赤組に両軍別れてプールにちなんだ競技で競い合う、若手にとっては登竜門的な番組である。
「厳島くんはアイドルとしての毛色が違うから、正直オファーの話は無いと思ってたんだけど、数日前に番組のプロデューサーから直々に電話があってさ。是非出場してくださいってよ」
「...出場できるもんならしたいですけど。」
「なら決まりだね。早速予定に組み込んどくよ」
「わ、分かりました...」
何故か出場に前向きな宇治正さんを尻目に、俺は久方ぶりに泳ぎの実力を発揮できると心の中で息巻いた。
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