第69話

自宅療養期間とは名ばかりに、ただ家の中でゴロゴロするような毎日を送るわけでもなく、そのほとんどの時間は復帰後の準備に費やされた。


1ヶ月以上の活動自粛の関係で、飛んだスケジュールは大量にある。テレビ番組の収録や雑誌の取材は、バーターが立て替えられたが、CMの撮影やブロマイド、ポスター撮影等の、スケジュールをずらすことが出来る仕事は、必然的に復帰後に行うという形になっていた。


ただそうなると、4月に元々入っていた仕事とCM撮影などが完全にブッキングしてしまうので、自宅療養期間中なのにも関わらず、実質仕事を再開せざるを得なかった。


もちろん、体調を考慮した上での仕事の消化となるので、さほど辛くはなかった。ズレたスケジュールの仕事を、宇治正さんが小分けしながら組んでくれたため、療養の傍ら仕事をこなすことが出来た。


ただ、復帰後に待ち構える怒涛の仕事ラッシュは想像もしたくなかった。療養中の軽く、やんわりとしたような拘束時間も少ない仕事が永遠に続けば良いのにと切に願うばかりである。








69








サプライズでもされた気分だった。

久方ぶりにW&Pの社屋に向かってみると、宇治正さんから一本のカセットテープを手渡された。


事務所の傍らにおいてあったステレオにカセットを入れ再生ボタンを押す。するとスピーカーからは、妙に聞きなれたような音が流れてきた。

直接的に耳にしたことは無いが、よく知っている音、しばらく思案した後、サビに入る際の盛り上がりの部分でようやく思い出した。



「ネオンを...編む」


「ご名答、君が休んでいる間。私は勝手ながら音源の録音に勤しんでいたわけさ」


「凄いです...思い描いていた音のまんま...ぴったりと...」


「ご希望に沿ったようでなにより...いやぁ、イメージと違うって言われると思ってたから少しだけホッとしたよ」


「大満足ですよ」


自分の知らないところで、こうして誰かが頑張ってくれたおかげで、曲が形になるという経験は何者にも変え難い喜びがあった。


これであとは歌を入れるだけ。たったそれだけで自身の最高傑作と自負していた待望の曲が完成する。譜面上に書き起こし、これはいい曲ができたと喜んだあの日とは違う、快感と、喜びと、期待がどっと胸中に押し寄せた。


武者震いがとまらない。


俺はこの曲で、日本レコード大賞を獲得してやるという強い信念が、この時芽生えた。






唐突だが、厳島が退院するよりずっと前のこと。


彼の友人である草薙は、宇治正の運転する車に揺られホテルニューオータニにやって来ていた。

本来ならば、厳島が出席するはずだったフレッシュ・ドール賞の授賞式に、宇治正の付き添いという形でやってきた彼は『場違い』という心境にならざるを得なかった。


宇治正に、なぜ自分が付き添いなのかと問うてみたところ、「経験になるから」という、あまりにも要約しすぎた一言で返されるばかりで、納得する理由を探せずに不安を抱いていた。


フレッシュ・ドール賞といえば、その年の活躍した著名人に送られる由緒ある賞なのは、周知の事実である。であるからに、出席する人間は草薙の知るような有名人ばかり。草薙が緊張しないはずもなかった。


「深呼吸、そんな緊張せずとも芸能人とて同じ人間なんだから」


「同じ人間でも...テレビで見てた人たちですよ。緊張する他ありませんて」


「厳島裕二っていう芸能人に普段からしょっちゅう会ってるじゃないか、だからそんな緊張する必要も無いって」


「僕は有名人の厳島裕二じゃなくて、同い年の高校生である厳島裕二に会ってるつもりなんで、同じ気概で挑めないんです」


「屁理屈はともかく、リラックス。緊張しいのは分かるけど、いざアイドルなんかと会って小便チビり飛ばしたら、逆に恥ずかしいよ」


「わ、分かってますよ...」



車を走らすことしばらく、ホテルニューオータニに到着した草薙らは、早速入口からロビーを抜けてエレベーターに乗り、会場となる大宴会場、鶴の間へと向かった。


受賞者及びその関係者はあいにく、豪華絢爛な鶴の間に入ることは叶わず、関係者用入口から控え室へと通された。


「なんか、パッとしないですね...」


「仕方がないさ、会場の観覧席はあくまで一般の方と取材陣のためのもの。我々受賞者側は豪華絢爛な鶴の間を堪能する暇もなくとっとと賞を受け取って帰るのみさ」


「歌手が受賞したら、歌とか歌うもんなんですか」


「歌わないよ。音楽を主体とした賞じゃないからね」


「そうですか...生歌見たかったな」


「厳島くんの復帰後はテレビ局にも同行してもらうし、目が肥えるほど見られるから、そう落ち込むことないさ」


「好きなアイドルの歌は何度だって見られるもんですよ」


「数年経てば飽きるもんさ。さて...授賞式も始まる頃合いだからそろそろ着替えよう。と言っても草彅くんはあくまで付き添いだから関係ないけど」


「舞台袖から見てますよ。緊張に震える宇治正さんを」


「残念ながら僕は緊張にもっぱら強いで有名なんだ。受賞のスピーチも雄大に言ってしんぜよう」


「その自信...心臓が鉄で出来てるんですか」


「あぁ、特別製さ。しかも炭素が大量に混じったね」


「硬いってことですね」


「そゆこと」



宇治正が着替えている間、草薙は楽屋から出てしばらく適当にほっつき歩いてみることにした。

しかし、以外にもすれ違う芸能人はゼロに等しく、本当は控え室にいるのが自分たちのみではないかと少し不安になった。


歩き回るのも飽きたところで、楽屋に戻ろうと道を引き返した途端、とてつもない力で草薙は部屋に引きずり込まれた。


声を出せぬほど一瞬の出来事。何事かと目を回しながらじっくり見てみると、そこにはよく見知った顔があった。正確にはテレビでよく見た顔があった。


「えっ...あ、あの」


「シーッ...ほんと時間は取らせないから」


「え、あ...はい」


ドレスに身を包んだショートカットの美少女、今泉涼子と呼ばれる人気アイドルが眼前にいた。


「きみ、草薙くんだよね」


「はい...え、今泉...涼子さ...」


「そう。...ごめん、見つけた途端...今しかないと思って」


「あ、あの、なんですかいきなり...」


「厳島くんのことなんだけど...」


「...厳島のやつが何か...?」


「彼、今付き合ってる人いる?」


「は?え?」


「付き合ってる人」


「いや、居ないと思いますけど...」


「そっか...ねぇ、彼を落とすにはどうすればいいと思う?」


「落とす?恋にですか?」


「そう」


「...あいつ単純ですから。自分の事、好きなんだなって分かった瞬間、あからさまにその人のこと意識すると思いますよ」


「なるほど...じゃあ、単純に好きだって言えばいいわけか」


「...あの、さっきからどうしたんですか」


状況がさっぱり読めない草薙に、今泉は言葉足らずだったと謝罪した後こと細かく概要を話した。


「実は、中川朱美ちゃんが厳島くんのこと...ほら、大好きだから。なんとか2人をくっつけたいって思ってて」


「え?中川...朱美、あの中川朱美がですか?」


「そう、だからいい案は無いか悩んでたんだけど...思い当たらなくて...そんな時に目の前に厳島くんの友人が通りかかったから...つい控え室に引きずり込んじゃったってわけ...ごめん、マネージャーさんが戻ってくる前に話したかったから」


「あの、なんで俺の事...」


「あぁ...厳島くん仕事の時とかよく草薙くんのこと話すからさ...それで容姿とかも大体把握してるし...しかしびっくりしたよ。厳島くんの言ってた通りの見た目だね」


「あいつ...僕のことなんて言ってたんです?」


「ん?あぁ、き、気にしないで...」


「...正直に」


「.....き、筋肉ごりら...とか、その割にガリ勉とか...」


「よぉぉぉし、今から病床のあいつを一発ぶん殴ってやろう」


「べ、別に悪いふうには言ってないの...草薙くんのこと凄く誇らしげに、ユーモラスも交えながら話してるだけで」


「...ちょっと待ってください。てことは、かのアイドル今泉涼子は僕のことを見て筋肉ゴリラだと思ったわけですか」


「ま、まぁ...同年代でこれだけ体格のいい人は初めて見たし...なによりメガネもかけてたから」


「...マジですか。好きなアイドルにそう見られてたなんて明日から僕、生きていけませんよ。ひょっとして僕のこと、蒲田...清子ちゃんにも話してたり...?」


「してる...」


「ああああっ!あいつ何してくれてんだァ」


「ま、まぁ...みんな悪くは思ってないよ。それだけは言っておくね」


「終わった...俺の人生終わった。」


「それで、話の続きなんだけどさ」


「あ、続けるんですね...」


気を取り直してといった雰囲気で、今泉は草薙に向き直った。


「厳島くんを確実に落とす...なんかこう、決定打になるようなアイデアってない?友達の草薙くんなら少しはわかると思って」


「...アイデアって言っても、あいつ高校の女子に人気だった割に恋愛に関してはからっきしでしたし...なによりあいつ鈍感なやつなんで...そうですね、正面から好きということを伝えることと...あとは雰囲気ですね」


「雰囲気?」


「そうです、デートにはお化け屋敷とかホラー映画が良いってよく言うじゃないですか。ドキドキしてる感情が、ひょっとして好きなんじゃないかって勘違いしてるみたいな」


「吊り橋効果?」


「あぁ、そう言うんですね...」


「恋愛をテーマにした雑誌で見かけたことがあるから...で、その吊り橋効果をどうやって...」


「...そんなもの、今泉さんがじっと見つめれば誰でもドキドキしますよ。その時にズバッと中川朱美がお前のこと好きなんだけどって言えばもう確定です」


「じっと見つめる?ダメダメダメ...万が一私に好意が向いちゃったら全部台無しになっちゃう」


「大丈夫です。あいつ告白されなきゃ付き合わないタイプですから、恋愛に関しちゃチキン野郎なんで」


「そっか...」


「それに、中川朱美から告白されたら断るなんて選択肢は無いに等しいですよ...いずれにせよ中川朱美に好かれているという事実をあいつは知る訳ですから...少なからず意識するようにはなるんじゃないですか」


「そっか...」



しばしの沈黙。



「草薙くん、このことくれぐれも内緒でね」


「もちろんですとも、週刊誌なんかに撮られたら大変ですからね」


「うん」



こうして、草薙と今泉は、互いの友人同士をくっつける共同戦線を構築することとした。



厳島と中川が付き合う4か月前の出来事である。




「あ、すいません...後でサインください」


「...うん」


草薙は抜かりなく今泉涼子からサインを貰った。

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