第68話

「そう言えば最近、ブッシュメンが来日したらしいよ」


「ブッシュメン?誰ですそれ」


病室で唐突に謎の人物について語り始めた宇治正さんに、疑問を呈さざるを得なかった。


「アフリカの民族が主人公の映画だったかな...その主人公の人がブッシュメン」


「へぇ...海外の人が来日するなんてそう珍しい事じゃ無いですけど、有名なんですかその人」


「有名って言うより...存在が珍しいというか、ブッシュメンは主人公を演じた単なる俳優って訳じゃなくて、彼自身本物の民族だから、相乗されて今はだいぶ名が知れてるね」


「なんで来日したんですか」


「新作映画の宣伝、日本の色んな番組に出演するらしい。」


「へぇ...」


事件がなければ、もしかしたらテレビで共演していたかもしれない。自分の音楽が、アフリカの民族の方にどのような印象を与えるのか、是非とも伺ってみたいところだが生憎、そのブッシュメンが帰国するまでに俺は病院すら出られないだろう。


貴重な機会を逃したと少しだけ落胆する。


「あと、ついでだけど...今年目覚しい功績を残した人物に送られる『フレッシュドール賞』ってのがあるんだけどさ」


「はい」


「それ、音楽部門の新人賞受賞したから...一応伝えとく」


「授賞式どうするんです」


「私が行くよ、賞状とトロフィーは病室に飾った方がいい?」


「いや、事務所か家に飾っといてください...多分同業者もこれからお見舞いに来ると思うんで、あんまりトロフィーを見せつけるような真似はしたくないんですよね」


「あい分かった、さてと...一張羅にアイロンかけなきゃな」


宇治正さんはどこか張り切った様子で病室を後にした。


俺が居ない間に世間で様々なことが起きていることは、テレビや宇治正さんの言伝で聞いている。復帰後、俺の存在が忘れ去られていなければ良いが...と不安に思う、病床上の日々だ。









68






病室内にフラッシュが焚かれた。

週刊誌にすっぱ抜かれたとか、記者会見をしているわけでもなく、宇治正さんに連れられてやってきたカメラマンが、先程からパシャリパシャリと、何度もシャッター切っている。


こんなカオスな状況を作らざるを得なかったのも、一概に俺が病床に伏しているからに他ならない。


というのも、今年の夏に発売する予定であった厳島裕二ファースト写真集の撮影が、刺傷事件の関係で頓挫した結果、ページ数が圧倒的に足らないということになり、致し方なく病室にいる俺を撮影することになったのだ。


本来なら、全国各地の観光スポットをバックに撮影する予定だったのだが、このままでは夏までに刷り終わらなくなるため、苦肉の策を強行した次第である。


きっと写真集を買った読者は困惑するだろう。


今まで仙台や京都といった、観光名所をバックにした俺の写真から一点、ページの後半になると、病室で苦笑いをうかべる俺の写真に様変わりを遂げるのだから。


穴があったら入りたい気分だ。



「はい、もうちょっと笑ってー」


「はい...」


「オッケー、そのままそのまま」


ベッドの上で上体を起こし笑顔を取り繕う俺、いつまでこのカオスな時間が続くのか、天を仰ぎたい気分である。







そんなことが約1ヶ月前の出来事だ。



入院生活は代わり映えのない日々で退屈を極めた、リハビリと編曲作業にほとんどの時間が取られ、1ヶ月何もせず過ごしてきた自分に少しだけ呆れすら感じている。


これだけの時間が与えられたのだからなにかすることがあっただろうと責め立てるも、病室から出られない日々を送ってきた事を思い返すと、致し方のないことであったと、ため息をついた。


傷の具合もよく、医師から退院しても良いとの報せを受け、その日のうちに病室から出ることとした。

暫くは自宅療養するようにと言われたものの、退屈なあの場にいるよりかは自宅で閉じこもっていた方が数段マシであった。


芸能人によくありがちな退院会見はしないことになった。わざわざ病院を出るのに、記者を集めること自体が大変であることと、復帰した姿を見せるだけで十分との判断を宇治正さんが下した結果である。


退院は特別措置として、人気ひとけの少ない関係者出入口からとなった。病院の患者をパニックにさせないためだという。しかし、まぁ今日こんにちに至るまで入院先を週刊誌から隠し通せたものだと感心するばかりだ。


車に揺られしばらく、両親と共に目黒のマンションへと帰宅した俺は、早々に自室へと向かいギターケースを開けた。


指にサックをはめ、少しだけ弾いてみる。


「鈍ってんな...」


1ヶ月のブランクに戸惑いながら、明日から本気でギターの練習をせねばと気合いを入れ直した。──────────────






厳島が入院している間、芸能界の縮図が一つの超新星によって変わった。今まで、圧倒的人気を誇っていた厳島が1ヶ月も表舞台から姿を消した事実に、世の若者は彼の変わりになる天才を本能的に求めた。


結果、この1ヶ月で急激に知名度を伸ばし、彼にも迫る人気を得ようとしているグループが生まれたのだ。名を『マーブルズ』という。


そもそも、彼らはアイドルではなくれっきとしたバンドとしてデビューしたつもりであるが、厳島と酷似するかの如くアイドル的人気を獲得しつつあった。


デビュー僅かにしてランキング・テンにランクインし、多くのテレビ番組に出演、飛ぶ鳥を落とす勢いで人気街道を突っ走っている。

厳島とてここまでの勢いをデビュー当初見せたことは無かったことから、芸能雑誌はこぞって厳島のライバルと彼らを位置づけた。


いよいよかの厳島を負かすタレントが出てきたかと、業界内でも話題になるほどだった。



「まずいな...」



怒涛のマーブルズの勢いに宇治正は頭を抱えた。82年の暮れから現在に至るまで、厳島裕二の人気は不動のものであった。デビュー僅かにして社会現象とも言えるような人気を獲得し、日本中にその才能を遺憾無く轟かせていたのが一転、今やその地位が取って代わられようとしている。


ただ厳島のネームバリューは絶大であるが故に、必然的に復帰後の人気は徐々に回復することが見込まれるものの、それではマーブルズの人気に付随する形になってしまうのは目に見えていた。



ただ、対抗策が無いわけでもなかった。



思い立ったが吉日、宇治正は早速厳島の自宅に電話をかけた。


「もしもし」

「うん、そう...あれ」

「病室で書いてたでしょ」

「そう...ネオンを編む」

「それ、復帰後の新曲として発表したいから...完成次第コピー送って貰えると助かるんだけど」

「もう完成してる?そっか...なら」

「至急、音源のレコーディングしちゃうから」



翌日、楽曲『ネオンを編む』のコピーを受け取った宇治正は、その日のうちにレコーディングを開始した。厳島の自宅療養期間が終わると同時に、歌をれるように調整することが今の彼に課せられた最大の任務であった。



ちなみにこの曲をきっかけに、厳島は見事レコード大賞を獲得することになるのだが、後日談として厳島は「受賞するどころか、ノミネートすらしないと思っていた」と語っている。







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