第67話

入院してから早1週間が経とうとしていた、病床に伏す毎日は退屈でありつつも、膨大に与えられた自由時間だとポジティブに捉えている。今のうちにゆっくり休み、沢山寝て英気を養わなければと、1ヶ月の猶予があるのにも関わらず若干焦りを感じている今日この頃である。


退院後は恐らく、歌声や演奏技術が衰えているだろう。生憎ここは病院のため、ギターの練習やボイストレーニング等の自主練は他の患者の迷惑になってしまう。それに比べ、他の同業者は着々と実力を身につけているため、復帰後に彼らと差が開かないか不安だ。


早く治って欲しいという思いと、復帰後の衰えに対する恐怖が、ペンをノート走らせた。

不安に苛まれている時間があるなら、とっとと新曲の編曲作業に取り掛かれと、自身に発破をかけている今日この頃である。







67






「どうも」


「あ...」


病室の扉を開けたのは随分と見知った顔だった。変装のためか、大きめのサングラスとベレー帽を被り、白いコートを羽織っていた。


随分とオシャレな私服でやってきた今泉涼子さんは、見舞い品として定番のフルーツのバスケットを片手に椅子に腰をかけた。傍らには彼女のマネージャーが佇んでいる。


「あー...ごめんもうフルーツあったのね...」


ベッドの傍に置かれたフルーツの盛り合わせを見て溜息を着く、残念ながら病室を彩るフルーツは既に宇治正さんが差し入れていた。


「今度、別のお見舞い...持ってくるから」


「いやいや、全然...本当に来てくれただけで十分嬉しいから」


「そう言って貰えると何より...そう言えば厳島くん、傷の方は」


「治りつつある...刺された部分が浅かったことと致命傷になるような位置に刺さってなかったからなんとか幸い...」


「よかった...このこと話していい?厳島くんの情報が全く入ってこなくて、みんな本当に心配してるから...朱美ちゃんなんか少し前から顔色も冴えないし...」


「そうなんだ...もちろん、話していいよ」



いつものような、気軽な会話とはどこか違った。今泉さんの俺に対する憂慮が垣間見えた。



「厳島くん...このノートって」


「うん...新曲」


「へぇ...あ、触らない方がいいよね。多分機密事項でしょ...」


「いや、全然見てもらってもいいよ」



今泉さんは、ランプシェードの下に置かれたノートに触れるとゆっくりとページをめくった。



「...これ、書かれてるのコード進行?」


「そう」


「そっか、書いてあることがさっぱりわかんない...」


「まぁ、編曲作業もまだ途中だしね...普段からコードに慣れてる人ならわかると思うけど。」


「編曲ってことは...もう既に出来てたってこと?」


「うん」


「相変わらず...凄いね。こんな複雑なの、どうやって思いつくのやら...」


「経験を積めば殆どの人が出来るようになるよ」


「でも、厳島くんの場合はそれに才能が加わってるわけでしょ?」


「うーん、どうだろ」


今泉さんはノートをゆっくりと閉じると、椅子に座った。


「復帰...首をながーくして待ってるよ」


「...ありがとう」


「...厳島くん」


彼女は改まった様子で真っ直ぐとこちらを見つめた。


「すいません、嬉野さん...少しの間だけ席を外して貰えませんか」


「分かった...じゃ、厳島くん。お大事に」


「はい...」


今泉さんのマネージャーである嬉野さんが、病室を出ていった、部屋の中の平均年齢がグンと下がった。何事かと微動だにせず固まっていると、不意に今泉さんの両手が俺の頬を包み、顔を近づけた。


「...っ、なに...」


「...綺麗な目」


「.....」


「...厳島くん」


「は、はい...」


彼女はしばし口を噤んだ後...小さく囁いた。


「...キスをしようって訳じゃないの。ただ伝えておきたいことがあるだけ」


「う、うん...」


「厳島くんのこと...本当に好きなんだ。中川朱美ちゃんが...」


「ぇ?」


「厳島くんは...朱美ちゃんの気持ちに、気づいてた?」


「いや、全く...」


「じゃあさ、朱美ちゃんに想いを伝えられたら...厳島くんはどうする?」


「いや、どうするって...」


唐突な告白に驚きを隠せなかった。中川朱美さんに好かれている。おそらくニュアンス的に単なる友情でなく恋愛感情を抱いているという意味だろう。


あの中川朱美さんだ。同期のアイドルの中でも一つ抜きん出た才能を持ち、男女問わず好かれ、絶大な人気を誇るトップアイドル。そんな高嶺の花が俺を好いているという事実を今突きつけられたこと自体が、とても信じられなかった。


「...」


「...朱美ちゃんが、俺の事を好きなんだよね」


「うん...」


「で、告白してきたらどうするか?」


「...ん」


「...100%OKするでしょ、そんなの」


「...良かった」


誰もが憧れるトップアイドルに告白されて、断る奴はこの世に居ない。俺も例外ではない。

思いの丈を正直に伝えた途端、今泉さんはホッと胸をなでおろした。


「実の所さ、私協力してるんだよね朱美ちゃんに」


「協力?」


「そう、厳島くんをどうやって落とすかって...」


「...」


「私なりに考えたんだ、厳島くんにいっその事、朱美ちゃんの想いを伝えちゃおうって。そうしたら、少なからず厳島くんも朱美ちゃんを意識するようになるでしょ?」


「そうだけど...策士だね今泉さん」


「えっへん!」


その後、現在の芸能界について、今泉さんの近況について等々、雑談をした後、彼女は病室を去っていった。────────────────



夕食前、面会時間終了ギリギリに草薙が尋ねてきた。


「あ、フルーツ増えてる」


「好きなの食べていいよ」


「包丁持ってきてないんだが...」


「男なら皮ごといけ、皮ごと」


「相も変わらず、秋田出身の野生児は言うことが違うな」


「こういうのは皮に栄養があるんだから、それと野生児関係ねぇから、単なる健康志向」


「健康ねぇ...そういや、このフルーツ誰が?」


「今泉さん」


「今泉...あぁ、今泉涼子か...ははっ」


「なに、笑ってんだよ」


「いんや、友達が芸能人だと...アイドルも普通にお見舞いに来るんだなって...あまりの現実味の無さに苦笑いが出ちまった」


「そろそろ慣れてくれよ、俺の復帰後は多分テレビ局にも来てもらうんだから」


「土日限定だけどな」


「あぁ」


そう言いながら、草薙はバスケットからリンゴを取り出すと、結局皮ごとかぶりついていた。


「厳島、そういやお前...好きな人とか出来たのか」


「...っ!?はぁ!?」


「んだよ、そんなビックリする質問か?」


ついさっき中川朱美さんの件を聞いたばかりの俺にとって、草薙の何気ない質問はとても偶然だとは思えなかった。


「なんで、んなビックリしてんだ」


「いや...なんでもない、た、ただホコリでせただけだよ」


「たくっ...たまには窓開けて換気しろよ、これで肺に何らかの影響があったら泣きっ面に蜂どころじゃねぇぞ」


「善処するよ...」


自分も年頃の男子、そろそろ恋人と言えるような相手が欲しいのが本音だ。今まで、職業柄恋愛に対する意識が低かったせいか、今泉さんの暴露に続き草薙の何気ない質問が、強い鼓動となって体内に響いた。


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