第66話

「良く噛んで、食べてください」


「ど、どうも」


早朝、見回りに来た壮年の看護婦さんが朝食を運んできた。メニューは朝食らしく、味噌汁と焼き魚、漬物にご飯だった。

病床の傍らに置かれた荷物入れには、大きめのカバンが置かれていた。なんでも、入院することを見越して、既に宇治正さんがある程度の必需品を置いていったらしい。カバンの中から財布を探り当てた俺は、中から百円玉を取り出し、これまた傍らに備え付けられたテレビのコインタイマーを作動させた。



100円で1時間。

少々ぼられた感があるが、見られないよりかはマシなので仕方なく体を痛めながらコインを投入する。親切設計なのか、ちょうど手の届きやすい位置にあったテレビのチャンネルを回し、ニュース番組に切りかえた。


「やっぱり...」


映ったニュースには、俺の顔写真とともにテロップで『刺された厳島裕二氏』という生々しい文字が記載されていた。


『容疑者である佐藤 剛は調べに対して、有名なアイドルを殺せば自分も有名になれると思ったと供述しており、一貫して容疑を認めております』


「...怖」



初めて知った犯行動機に思わず冷や汗が出る。幸い、事件時は宇治正さんや草薙がいたため直ぐに犯人を取り押さえてくれたが、もしも自分一人だったらと考えると末恐ろしい。全身を針山のごとく刺されて死ぬなんて御免こうむる。


俺は絶対に老衰で死ぬと決めているのだ。

気を紛らわせるために、次々とチャンネルを回すものの、いずれも俺の話題を取り上げるニュース番組ばかりであった。


「はぁ...」


若干鬱な気分になる。あの時の刺された感覚が鮮明に腹部に伝わった。身震いをしつつ、俺は食欲すら感じぬまま、焼き魚の欠片を口に放り込んだ。


「うまっ」


腹が減っていたせいか、鬱な心情とは真逆に、俺はいつの間にか朝食を堪能していた。








66






朝食を食べてからしばらくして、母が病室にやってきた。



「あんた、刺されたんでしょ」


「うん...」


「手首怪我して、頭から流血して...今度はお腹刺されて...しぶといわねぇ」


「そんな簡単にくたばってたまるか」


「まぁ、その意気なら良し。元気そうでなによりだわ。あんた今年厄年だっけ?」


「さぁ...」


「一応、厄除けとか行きなさいよ。あんたそういうの余り信じないタイプだろうけど、神頼みも案外悪くないものよ」


「空いてる時に行くよ」


「ならちょうど今頃がベストタイミングって訳だ」


「流石に、腹から血を垂れ流しながら厄除けは行かないよ」


「んな事わかってるってぇの」


「ホントかよ」



母は、あまり過剰に心配しないタイプだ。

俺なら大丈夫だろうと過信しているのか定かでないが、過保護であるよりかはこういったドライな方が俺としては嬉しい。


もちろん、陰ながら支えてくれているので信頼のおける母親であると思っている。



「宇治正さんとかも、後でお見舞いに来るってさ。あんた有名人だからさ、他の患者さんとかを興奮させないように気をつけなさいよ」


「分かってるって、じゃあ」


「うん、また明日も来るから...欲しいものあったら今のうちに言いなさいよ」


「あ、じゃあ...小説買ってきて。出来れば海外の」


「OK、適当に見繕ってくるわ」



滞在時間にしてわずか15分、専業主婦故か家事が忙しいのは分かるが、あまりにも短すぎる面会時間に少々苦笑いを隠せない。こんなことならせめて大部屋の病室にして欲しかった、個室に一人病床に伏しているというのは案外退屈である。


大部屋に移して貰えるよう頼んでみようと密かに画策した。


のだが。



「それは...ダメでしょ」


「えぇ...」


宇治正さんがお見舞いに来たのは昼前の事だった。片手に大きなフルーツバスケットをぶら下げてやってきた彼は、慣れた手つきでリンゴを剥いた。

俺は宇治正さんに、大部屋に移してもらうよう承諾を懇願したが、上記のように呆気なく断られた。


「厳島くんが大部屋に移ったら大変なことになるよ、看護婦さんたちでさえ君がこの部屋にいることを知ってるのはごく一部なんだから」


「...でも、孤独で死にそうなんですよ」


「確かに退屈なのは分かるけども...病院内をパニックにしないために君自身も気をつけないと」


「はぁ...」


「まぁ、一応私も毎日お見舞いには来るから、そこまで不安にならなくてもいいんじゃない」


「...」


「...」


「あ、近いうちに今泉ちゃんがお見舞いに来るって」


「ホントですかっ!」


「ねぇ、なんかテンション違くない?私がお見舞いに来るって言った時とテンション違くない?」


「いやぁ...今泉さんが来てくれるとは」


「無視!?酷いよー!キミ」



宇治正さんを軽くあしらいつつ、俺はリンゴを頬張った。



「しっかし...俺が刺されたことで仕事にもだいぶ影響出てますよね」


「お、おぉ...急に話変わったな。ま、まぁね、コンサート後に来てた仕事はほとんどが、おジャンか大幅に予定がズレることになったね」


「なんか、申し訳ないです」


「まぁ、そんな自責しなくても世間は誰も厳島くんを責めたりはしないから」


「だといいんですが...」


「大丈夫だって、業界内だって仕事の予定なんかよりも厳島くんの安否の方をずっと気にしているんだから」


「それは有難いんですけど.....なんか、悔しいですね」


「うん、それは分かる。せっかくこれからって時にまさか入院なんて、私としても非常に悔しいよ」


「はぁ...どれぐらいで退院できるんですか」


「少なくとも1ヶ月かな、ただ仕事に復帰するにはそれから大体半月程度必要かも、ほら厳島くん仕事上歌うでしょ?そんときにお腹に力込めたりとかするから念の為退院後も自粛した方がいいってさ」


「1ヶ月半...長いなぁ」


「あんだけ、仕事を毎日のように嫌がってたのに、今となっては恋しくなってない?」


「まぁ、否定は出来ないですね」


1ヶ月半もの間、芸能活動が出来ないとなると、かなりの損失をW&Pに与えてしまうのではないかと不安が拭えない。発表したばかりの『ヴァルハラ』とアルバム『クリエイション・セレナーデ』の売上にも大きく影響してくるだろう。



「そう言えば、転校に関してだけど」


「はい」


「手続きとか面倒なことは諸々ご両親とこちらの方で一通りやってしまうから」


「すいません、何から何まで」


「マネージャーとしてこれぐらいは当然のことだから、安心して」


「ありがとうございます...あの、一つ頼み事があるんですけど」


「何?なんでも言って」


「俺の家に作曲ノートが何冊かあるんですけど...その中から『作曲ノート その6』って言うのを持ってきてくれませんか」


「いいけど...そのノートがどうかしたの」


「まぁ、暇つぶしも兼ねて少し...」


「分かった、任されたよ」


その後、宇治正さんと数十分談笑した後、彼は仕事のため病室を去っていった。


今回の事件で、仕事からプライベートまで何もかも予定が狂ってしまった。


「出すなら今しかないかな...最高傑作。」


今まで作ってきた曲を事細かく記してきたノートがある。作曲ノートという安直な名前のそれは、我が家の一角を占める厳島裕二の部屋、その机の引き出し奥深くに封印してある禁断の書だ。


記載されている曲は駄作から平凡な作品が大半を占めるが、稀に自身の中でも傑作と名高い作品が全7冊の所々に点在する。その中でも最高傑作と自負している作品が『作曲ノートその6』の53ページに記載されているのだ。


今から約1か月半、復帰後の起爆剤として俺はその最高傑作『ネオンを編む』の編曲作業に費やすことに決めた。



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