第64話

「おはようございます」


「何しに来たんだお前は...」



早朝、我が家に来客あり。



「朝っぱらからなんの用だよ...これから仕事なんだから付き合ってる暇ねぇぞ俺」


「生憎おれも仕事でよ。お迎えにあがったわけさ」


「はぁ?あぁ、そうか...W&Pの見習いになったんだったな」



早朝からむっさい男の顔は見たくない。という本音を胸に俺は草薙を渋々、我が家に招き入れた。



「寒かったろ...」


「あぁ...まさかこんなに寒いとは」


「春に入ったとはいえ、冬の残火がまだチラついてるからな…」


「お前は平気だろ、秋田の野生児」


「雪国の人間とて寒いものは寒いんだよ、温室育ち」



一通りの馬鹿らしい会話を済ませ、玄関で待つように促す。さすがに寝ぼけ顔の父親と、すっぴんの母親がいるリビングには大の友人とて入れることは出来ない。


身支度を済ませ外出用の普段着に着替える。普段着は、基本的に母親の買ってきたものばかりだ。あまりファッションに興味が無いのと、服を買いに行く時間すらないから致し方ない。

幸い、母は流行に敏感な人間なので最近はDCブランドの服ばかりが目立つ。芸能人故か、なるべく目立ちにくい、抑え目の色を取り揃えてくれるところは気の利く親だなと感心するばかりだ。


少し肌寒いので、上にパーカーと黒のロングコートを羽織り、ズボンは厚手の物を履いた。今日のコーディネートはなかなかマシである。



「待ったか」


「いんや」


「なら行くか...ていうか宇治正さんは?」


「ん?20分後に来るって」


「それを先に言えや。もう着替えちまったぞ...」


「じゃあ、外で待つ?」


「寒いからやだよ」


「弱音を吐くなよ秋田県民」


「秋田県民を樺太犬か何かと勘違いしてるよなお前...別にそんな寒さに強いわけじゃないのよ」



東京厚生年金会館でのコンサート当日、昨夜から緊張してなかなか眠りに付けなかった俺からすると、早朝に笑顔で出迎えてくれるような馬鹿な友人という存在が非常に有難かった。







64






会場に入ったのは朝9時30分だった。

道中、助手席に乗る草薙が宇治正さんに質問攻めしていた。アイドルファンである彼にとって、宇治正さんは芸能界の話を聞く上での格好の的であり、湯水の如く怒涛の質問ラッシュをかましていた。


それに対して宇治正さん自身も武勇伝の如く気持ちよさそうに話すものだから、完全に俺は蚊帳の外状態だった。後部座席から見る二人の関係性は、師匠と弟子というよりも、一種の友人関係を構築しているように見えた。アイドル好きの草薙と、ある種アイドルも好きで芸能界に精通した宇治正さんは相性がいいのかもしれない。


二人の関係性に今後ますますの発展を期待をしつつ我々は東京厚生年金会館に到着した。

朝の9時30分だというのに会場の前には既に当日券の購入を目的とした列が形成されていた。


「凄いですね...こんなに人が」


「そりゃ期待の新人の初コンサートさ、朝っぱらから人も来るでしょ」


「...最高のコンサートにしたいですね」


「もちろんだとも、こちらとしてもサポートは全力でやるつもりだから、厳島くんはステージの上で存分に歌うといいよ」


「はい」


裏口から楽屋へと入り、時間を空ける間もなく最終チェックとリハーサルへと入った。

開演は昼の11時、僅かな時間ではあるものの本番に向けて着々と最後の準備が進められた。





「私はちょっと会場周辺の状況を見てくるから」


「はい」


開演10分前、宇治正さんが楽屋から駆けるように出ていった。


「何かあったの」


楽屋に残った草薙に事情を聞いた。


「なんでも、会場の出口辺りで不正な露天商が現れたらしくて...親衛隊といざこざが起こってんだと」


「露天商?バナナの叩き売りでもしてんの?」


「違う違う、お前の写真とか非公認グッズとかを許可なく勝手に売ってんだよ。アイドルのコンサートとかによくいるんだよなァ、そういう胡散臭ぇやつ」


「...ひとのコンサートで何やってんだか」


「で、その露天商と親衛隊が現在いざこざ真っ最中と」


「親衛隊か...俺に親衛隊っていたんだな」


「気になるところそこかよ...まぁ、居るだろ。男のアイドルで親衛隊ってあんまり聞かないけど、お前の場合は男女問わずファンがいるからな...」


「ありがたい存在だけど、怖いんだよなぁ...見た目が」


親衛隊がいるという初耳情報に驚きつつも若干の不安が胸を襲う。親衛隊といえば、アイドルオタクの冴えない男性ばかりだと思いがちだが、実際は剃りこみにサングラスをかけた、不良っぽい雰囲気の人が多い。

この仕事をしてから知ったちょっとしたカルチャーショックである。野外で行われた新宿音楽賞のプレステージの時に、今泉涼子ちゃんや、中川朱美ちゃんに対して、いかにもバイクを乗り回してそうな不良が法被ハッピを着て声援を浴びせていた衝撃の光景は今でも忘れない。


そんな親衛隊と不正なことを平気でやるような露天商の衝突だ、一悶着どころでは済まないだろう。


「あと10分...喧嘩とか起きなきゃいいんだけど」


「親衛隊も、ちゃんとコンサートのこと考えてくれるような献身的なファンだから...多分そういうことはないと思うけどな」


「だといいんだけどな...」


緊張と不安が鼓動を早めた。







『ご来場ありがとうございます。只今をもちまして入場を締め切りさせていただきます。まもなく開演となりますので、しばしお待ちください』


会場に響くアナウンスは、観客のざわつきでかき消されていた。超満員となった大ホールを舞台袖の隙間から覗く、幕の向こう側には男女問わず多くの若者が今か今かと待ちわびた様相でソワソワしていた。


「フゥ...」


「やっぱ緊張すんのか?」


「そりゃそうだろ...今からあれだけの人の前に立つんだから」


「俺みたいなノミの心臓には到底無理だなコンサートなんか、緊張する程度で済むなんてすげーよお前」


「あんがと」


草薙との会話で少しだけ緊張が和らぐ。


「厳島くん、思う存分全力で歌ってきな」


「はい」


宇治正さんに肩を押され、ステージの中央へと歩みを進めた。眼前に垂れ下がる大きな幕が揺れる、肩からギターをぶら下げ、指にサックをはめた。


舞台上を照らしていた蛍光灯の光が消える、開演ブザーの低い音が会場を静寂にした。バッグバンドも準備万端である。

ゆっくりと幕が上がる、会場は暗闇に包まれ一寸先も見えなかった。


後方で、ドラムの音が鳴り頭上からスポットライトの光が一筋刺した。たったこれしきの事で、会場は静寂と共にとてつもない熱気に一瞬で染った。

空気感ゆえか大きな歓声こそ無いが、うっすらと自身を照らすライトの反射で多くの観客がこちらに手を振っているのがわかる。


ベースのスラップされた重低音が響くと同時に、俺はギターの弦を掻き鳴らした。

眼前が真っ白な光に包まれたと同時に、歓声が湧き上がり、俺はマイクに向かって声を発していた。



「ご清聴を、ヴァルハラ!」





1983年3月16日 午前11時00分、厳島裕二 人生において初コンサートとなる『クリエイション・セレナーデ』が開催された。





参加者のうち1名が負傷。



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