第63話

清里から東京へと戻った頃にはとっくに日は傾き、小中学生がちらほらと帰宅している時間帯だった。黄色い帽子に短パンで駆け回る小学生を見ると、不思議とノスタルジックな気持ちになる。


祖母の看病の関係で秋田の山村に移り住んだ頃、俺はまだ小学校低学年だった。東京という街で育ってきたからか、引っ越した先がわらぶき屋根ばかりが目立つド田舎だったことが大層退屈に感じられた。大人からしてみれば、自然に囲まれた理想の生活と感じられるだろうが、田舎の趣深い風情を感じ取れぬような子供からしてみれば、田舎とはただの娯楽のない閉鎖的な空間という認識の他なかった。


懐かしい。

夏場に短パンを履くのが嫌で嫌で、年がら年中長ズボンを履いていた思い出がある。田舎故か狩猟のシーズンになると、どこからともなく銃声が聞こえてきたことは今でも忘れられない思い出だ。当時は、幼いながら、日本なんて銃を持っていたら捕まるものだと思っていたから、この村はとんでもない非合法集落だとばかり思っていた。



田舎で育った少年 厳島裕二が、今やアイドルになっているなんて当時、自分自身含め誰が予想していただろうか。


あの村にはテレビらしいものがなかったから、きっと俺がアイドルをやっていることすら誰一人として知らないのかもしれない。知れる情報源と言ったら、新聞のテレビ欄かラジオ、はたまた噂話程度だろう。ある程度仕事が落ち着いたら、久方ぶりの帰郷というのも悪くないだろう。





63







厳島 裕二という男と出会ったのは去年の春、ちょうど高校に入学した頃だった。入学早々、慣れない大きめの学ランを着て登校した初日、クラス内のレクリエーションで奴は酷い秋田訛りの自己紹介をしたことで強い印象をクラスに与えた。


奴は人気だった。クラスの人間は寄って集って奴に秋田にいた頃の思い出話をせがんだ。

コンクリートジャングルに住む我々東京人にとって、山奥の村から出てきた人間というのはよほど珍しかったのだろう。


都会では考えられぬ広大な自然を、奴の思い出話から情景として思い浮かべるのが皆、気に入っていた。それに加えて、奴はモテた。多くの女性に告白されたという訳では無いが、奴の周りには必ずと言っていいほど女子が付き纏っていた。


今まで生きてきて、一度も彼女という存在ができたことの無い俺からしてみれば、奴は住む世界が違う人間とさえ感じられた。


そんな中、入学してから一週間後のことである。

その日は珍しく、昼頃から夜にかけて大雨が降りしきる憂鬱な日だった。事前に天気予報を見ていた俺はコウモリ傘を片手に下駄箱へと向かっていた。


節電のためか電気の消えた薄暗い校内を進み、やがてたどり着いた昇降口には、一人立ち尽くす厳島が居た。どうやら奴は傘を忘れたらしい。


前々から、女子に囲まれ黒一点状態の奴に鬱憤が溜まっていた俺は、ざまあみろと見せつけるかのごとく下駄箱で靴を履き替えた。


立ち尽くす厳島、悠々と立ち去ろうとする俺、今思えばなんとも惨めな様相だと赤面しかねない。


傘を片手に外を出る、大粒の雨がバケツをひっくりかえしたように降っていた。

分厚い雲が天を覆っていた。ふと振り返ると、学ランを脱ぎジャージに着替えている厳島がいた。まさか、この大雨の中を傘もささずに帰るつもりなのだろうか。


このまま奴を無視して帰るのも良しであるが、若干の罪悪感が否めず俺はついにやつに声をかけた。


「傘...駅までなら」


「...」


「傘、無いんだろ...ほら駅までなら一緒に」


「...ありがとう」


脱いだ学ランをカバンに突っ込んだやつは、駆けるように下駄箱で靴を履き替え、俺の横に収まった。近くで見ると、身長も高くて威圧感もすごい。

本能的にコイツと喧嘩したら絶対負けると悟った。


「俺...厳島、厳島 裕二 君は」


「く、草薙...」


「そうか...草薙くん。」


「あ、はい...」


「ありがとう」


「はい...」



さっきまで、ざまあみろと心の内で笑っていた俺は何処へやら。いつの間にか俺は、奴の何処と無く溢れるカリスマ性に当てられ、すっかり萎縮していた。


それ以降、奴は俺に頻繁に話しかけてくれるようになった。


俺のアイドル談義にも嫌な顔ひとつせず耳を傾けてくれたし、休日は二人で遊ぶ仲にもなった。

やがて、奴の秋田訛りが薄れ、すっかり東京色に染まりつつあった7月頃、俺は奴に『スター降臨』の予選に参加するよう勧めた。


初めは単なる興味本位で、厳島ならもしかしたら準決勝程度まで進めるんじゃないかという軽い気持ちで勧めたものの、奴は結果的に決勝まで楽々と進んでしまい、果ては優勝までしてしまった。


その時、リアルタイムでスター降臨を見ていたものだから驚きすぎて、食っていたカレーを危うく噴き出すところだった。


それと同時に、今まで親しかった存在の厳島が急に遠い存在に感じられて、少しだけ虚ろな気持ちになった。それからは早かった、奴はスター降臨で世間から注目を浴びたことを皮切りに次々とテレビ番組に出演するようになった。


最初は素人感丸出しだったが、直ぐに芸能人らしくカリスマ性も発揮しだして、いつぞや立派なスターになっていた。


よく、遠い知り合いに芸能人がいると自慢する人間を中学校時代に見かけたことがある。知り合いや周りに著名人の居ない俺からしてみれば、そういった人間の心情は一生、理解できぬものだとばかり思っていたが、今回、友人がアイドルになったことでようやく気持ちが分かった気がする。



遠い知り合いなら良かったのだ。知り合いとて、遠いなら他人に等しいもの、例えその知り合いがテレビに出ていたとしても他人行儀で観ることが出来る。ただし俺の場合は違う、『遠い知り合い』じゃない『近すぎる知り合い』に芸能人が居る。


話をしようと思えば電話一本で繋がれるし、会おうと思えば家に行けばいい。それほどに近しい存在が、今や国民的アイドルになりつつあるという現状が不思議でならなかった。


と同時に、俺という存在が厳島に何らかの悪影響を及ぼさないか怖くて仕方がなかった。

厳島が芸能人になってから、奴と繋がりたいという人間が俺の周りに集るようになった。大半が女子であったが、他校の不良も多かった。金でもせびる気なのだろう。


もしも俺がその圧力に屈して、厳島の連絡先を漏らしてしまったとしたら、多大なる影響を与えることは明確だ。俺は自制した。たとえ金を積まれようとも、色仕掛けをされようとも決して厳島と繋がりを持たせようとはしなかった。


おかげで現在も彼女という存在が出来ていない。畜生め。


厳島が芸能界で活躍を広げる中、俺は学業に専念し学力もここ半年でかなりつき、遂には定期テストで毎度1位を取るようになった頃、厳島から久方ぶりに連絡があった。



3月1日


『もしもし』


「もしもし...厳島だよな」


『あぁ』


「随分と久しぶりじゃないか。厳島」


『ずっと電話しようと思ってたんだけどな...まぁ、如何せん仕事が忙しいのなんの』


「そんなこと知ってるわ、こちとら毎日テレビ見てるからな」


『そっか』


電話越しに声を聞けただけでも嬉しかった。テレビに出ている厳島はどこか作り上げられた虚像感があって、元気にしているか少々不安だったところだ。声を聞く限り、生憎秋田男児の力強さは健在だった。


「で、なんで電話を?単に話したいからなんつー、カップルみたいな理由じゃないだろ」


『察しが早いな...まぁ、それ相応の理由がある訳よ』


「あぁ、そうじゃなくては困るな...なんせ今の時間は」


『ごめん、深夜11時にかけちまって』


「大丈夫だ、俺はこう見えても1日5時間しか寝ないから。ちょうど夜更かししようと思ってたところだし」


『悪いな...で、早速本題なんだが』


「おう」


『俺、今月中に転校する予定だから』


「ほぉ...」


『一応ご挨拶にと』


「...うーん、まぁ何となく予感はしてたから驚かないけど...今月中か。ちょうど進級のタイミングだろ」


『ご名答.....でよ、恐らく高校じゃもう会えないと思うから、何か記念にって考えて...一応今度コンサートする東京厚生年金会館の席を抑えてあるから...』


「そうか...」


『あまり、悲しまないのな』



不思議と寂しさはなかった。



「多分、お前学校ほとんど来てないからだと思う...転校してもどうせ今までと変わらんだろ」


『そっか...そうだよな。ま、電話もあるし...俺ん家の場所知ってるだろ』


「あぁ、高級マンションだろ」


『否定は出来ないが...まぁ、そうだな』


「暇な時に顔出すわ...たぶん家にほとんど居ないと思うけど」


『おう、会えたらまぁ、ラッキーとでも思ってくれ...じゃあ、悪いな夜遅く』


「気にすんな、また電話してこいよ」


『あぁ』



受話器を置く。電話の置いてある廊下には、壁にかけられた時計の音が響いていた。ふと、カレンダーを見ると赤く二重丸の記された日があった。────────








近く行われるコンサートに向けて次第にリハーサル量も増え、比例するように綿密な打ち合わせも行われた。今日はコンサート2日前、最終的な確認を簡単に済ませるために仕事の始まる前の朝、俺はW&Pのオフィスに訪れていた。


赤坂にあるオンボロビルに入り、オフィスの扉を開ける。中は、大量の書類が雑多に置かれており、昨今の忙しさを物語っているようだった。


パーテーションで仕切られた応接間へと向かう。薄い仕切りの向こうからは何やら宇治正さんと誰かが談笑する声が漏れていた。

おそらくコンサートの関係者だろうか。


大抵の関係者とは既に顔合わせも済んでいるし、面識もあるので律儀に挨拶する必要は無さそうだとばかりに、軽く会釈をしながら仕切りの隙間から足を踏み入れた。



「おはよう...」


「おはようござい...ッ!?」


「よぉ」


宇治正さんと対面するように鎮座していたのは、草薙だった。


「んで、居るの?」


「ん?アルバイト」


「バイト?」



芸能事務所でバイト。聞いたことも無い話だ。



「特別に厳島の友人ってことでアルバイトとして日給2000円貰うことになったから」


「ちょっと、待てよ...アルバイト?ここで?スーパーとかコンビニエンスストアじゃなくて?」


「あぁ、バイトって言っても半分勉強みたいなもんでよ。俺の将来の夢、芸能事務所のスタッフだからさ...厳島がいつぞや話してたW&Pに電話帳から電話して直談判したって訳」


「お前さぁ...宇治正さんもなんでこいつバイトで雇ったんですか」


「あいにく今は忙しくて猫の手も借りたい状態でね。土曜日の午後と日曜日限定で手伝ってもらおうって訳。まぁ簡単な雑務とか、書類整理とかを頼むだけだけど...場合によっては現場に同行もしてもらうし...厳島君にとっても心強いだろ?友人が近くにいてくれると」


「仕事に関しては邪魔者ですよ」


「なっ、酷いな厳島」


「事実だろ。多分、お前見るもの全てに興奮するタチだろ。所構わずサインとか貰いそうじゃんお前」


「俺は、んな自制も出来ない男じゃねぇ!」



胸を張って否定する草薙に、俺は簡易的な試験を設けた。



「ほんとか?じゃあ、目の前に蒲田清子ちゃんがいました、はいどうする?」


「サイン...は無理なんだろ、握手」


「はい残念、握手もダメです。それよか私語禁止な」


「はぁッ!?話しかけるぐらい別にいいだろうが!あちらとで毎日見てますとか耳にタコできるほど聞きなれた常套句みたいなもんだろうがい!」


その後、口論は続いた。

結局は、宇治正さんがしっかりと面倒を見るということで話はまとまり、草薙はアルバイトではあるもののW&Pのスタッフとなった。

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