第62話

フランスにコルマールという街がある。カラフルな建物が軒を連ねる情緒ある街並みが特徴的な美しい地域だ。そんな街の一角にある大きな湖の前で、現地の人間に何事かと奇怪な目を向けられながら俺は、コマーシャルの撮影に挑んでいた。


江永製菓の新商品である半生菓子『ボンジュール』本格的なフランスのケーキをイメージして作られた一口サイズのチョコレートケーキだ。

カメラの前でそのお菓子を一口かじりながら台詞を繰り返すこと数回、わずか1時間にも満たず撮影は終了した。

昼過ぎに終わった撮影を最後に、ヨーロッパでの仕事は幕を閉じた。その後はしばしの観光を楽しんだが、全てを満喫する暇もなく我々は帰国することとなった。







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コマーシャル撮影の翌日。日本に帰国した我々は旅の疲れをとるため1日の休養を挟んで仕事を再開した。いつも通りの多忙なスケジュールをこなす中、新曲そしてファーストアルバムの発売計画は順調に進められており、コンサートまでには十分に間に合うとの事だった。

自分も、周りの人間も忙しなく働いているという様相は、新曲の発売を控える時期の風物詩とも言えるだろう。


多忙なスケジュールをこなしつつ時は経ち、1983年3月に突入した。




東京から車で2時間半、山梨県北社市にある高原に向かった我々は、長いドライブの末にたどり着いた町を見て珍妙な眼差しを向ける他なかった。

何故、山の中にこのような原宿顔負けの町を形成しているのか不思議で仕方がなかった。


清里という町が若者の間で話題になったのはつい最近の出来事で、若者向けの雑誌が特集を組んだことから全国各地から10代20代の男女が詰めかけるまでに至った。1970年代中期から若者の間で旅行雑誌を片手に旅をするいわゆるアンノン族と呼ばれる女性らが足繁く訪れたこともブームの火付けに起因している。


現在では、駅周辺を中心に数多のお土産屋が乱立しており、観光客相手の宿泊施設であるペンションの数も年数を重ねると同時に比例するように増えてきている。観光客の数も凄まじく、アイスクリームを買うために数十分もの行列を成しているのだからどれだけの人間が年間に訪れるのかは瞭然と言えるだろう。


「人、多いですね...」


「まぁ、若者の町だからねぇ...しっかし人が多すぎて車もろくに進めやしないな...」


「これはお土産も買えなさそうだな...」


「お土産屋に入った瞬間に辺りがパニックになっちゃうから...今回だけはお土産我慢してくれるとありがたいんだけど」


「冗談ですよ、バレたら一貫の終わり。自ら死地に赴くような真似はしませんって」


「なら良かった」



お土産屋『ミルクポット』を通り過ぎ、しばし移動するとやがてこじんまりとした特設ステージが鎮座する広い平原が姿を現した。ステージのすぐ後ろには牛が放牧された草原が広がっており、組み上げられたステージとは裏腹のミスマッチな光景が形成されていた。


ステージ裏に横付けされた車から降り、待機用のテントへと足を踏み入れる。テントの中には二台の長机と4脚の椅子が置かれた簡易的な楽屋があった。



「お、厳島さんおはようございます...私、清里高原の自治体を任されている新垣にいがきと申します。本日はどうぞよろしくお願いします」


「お願いします。」


テントの中に居た初老の男性は、ここ清里の自治体の自治会長である新垣さんという方で、今日のリサイタルを実現するために多大なるご尽力をして頂いた功労者のうちの一人である。


「しかし、厳島裕二さんともあろう方が清里まで来ていただいて...リサイタルをしていただけるなんて...私としても感激しております。本当に感謝申し上げます」


「いえいえ、初めてのリサイタルをかの清里高原でやらせてもらえることは我々にとってもこの上ない喜びですよ。ご尽力いただいた会長さんには感謝しかありません」


「そう言って貰えるとありがたいです。告知は我々の方で既にしてあります。清里内にある全施設でビラを配布しておりますので集客はかなり見込めるかと」


「そうですね、私も超満員を目指して最高のパフォーマンスをする予定です。是非会長さんも最前列で楽しんでいってください」


「ありがとうございます。あぁ、そうでした...実の所私の娘が厳島さんの大ファンでしてな、リサイタル後で構いませんので是非ともサインを一枚ほど頂けませんか」


「えぇ、サイン程度なら何枚でも書きますよ」


「ありがとうございます」


社交辞令の応酬は続きリサイタルまで残すところ30分をきった。リサイタルの会場となる平原はかなりの広さを誇るものの既に半数以上が人集りで埋め尽くされていた。子供から大人まで、客層は老若男女問わずと言ったところで、観覧無料のリサイタルが故の集客率であった。


場所が場所なのでリハーサルもできないぶっつけ本番のリサイタルに思わず緊張を隠せない。テレビや賞レースで歌う時よりも緊張している。

落ち着く間もなく刻一刻と時間はすぎ、ついに公演間近となった。観客は超満員。わずか30分のリサイタルとしては異例の集客で、遠くの方まで黒山の人だかりが形成されていた。


下手したら清里にいた人間のほとんどが来場しているのではないかと錯覚してしまうほどの人の多さに思わず苦笑いをうかべる。宇治正さんもさすがにここまでの集客は予想だにしていなかったらしく、若干引き気味である。


あまりの人の多さに警備は今まで以上の厳戒態勢が敷かれ、ついに公演となった。スピーカーから曲のイントロが流れる。と同時に、多くの観客が声援をステージ上に投げかけた。


肩からギターをぶら下げそそくさと舞台袖から歩みを進める、会場の熱気からは考えられぬほどの拍子抜けな登場に心の中でツッコミを入れたくなるが、観客の反応は予想に反して興奮冷めやらぬ状態であった。むしろ先程よりも声援が大きくなっている気がする。その声援に応えるように俺はギターの弦をはじいた。



「聞いてください、東京ロープウェイ」








『2018年12月3日、世界最大規模の動画投稿サイトにてとある動画が投稿された。タイトルは『1983年3月4日 清里高原にて』というもので、動画投稿者がかつて、購入したてのビデオカメラで撮影した清里の様子が1時間強映されたものだった。

この動画はたちまち世界中で話題となり、わずか1週間程度で4000万回再生という脅威の数字を記録した。


SNSではいくつかのワードがトレンド入りし、動画のコメント欄は世界中の言語で埋め尽くされ、まさに近年、類を見ない大バズりを巻き起こした。

昭和の清里を映したホームビデオがここまで再生されたのにはれっきとした理由があった。


ホームビデオの後半部、約30分という時間に資料映像すら残っていない貴重な光景が記録されていたのである。

かつて、日本人で初めてグラミー賞の主要4部門を受賞し、脅威のアルバム総売上4億9000万枚を記録した世界的大スター、厳島裕二。そんな彼の初リサイタルを映した様子がカットされることも無く無編集の状態でありのままに収録されていたのだ。


観覧者数は1万8000人にのぼり、デビューしてからわずか半年程度でこれほどの観客を集めるそのスター性は現代のアーティストも舌を巻くほどであった。


思わぬ形で再ブームが巻起ころうとしている厳島裕二の今後の動向に我々日本人としても注目していきたい。』(ウェブニュースサイトから一部抜粋)






























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