第61話

まずスタジオの中に入って感じたのは年季だった。壁や床は古めかしいのに、それすら少し心地よいと感じてしまう。時に古いものは、ある程度の逸話や文化的な価値が付与されることがある。ただの古い懐中時計が途端にアブラハム・リンカーンが使っていたとわかると価値は高騰する。


それと同じように、俺の今いる空間はただの古めかしいスタジオなのにも関わらず、一種の感動さえ感じられるほどの逸話を残してきたのだ。

かつて音楽史を支えた伝説的ロックバンドがいた事は、恐らくほぼ全世界の人間が承知しているだろう。


『ザ・インセクトズ』


イギリスロックバンドの中でも多大なる影響を与えたロックバンドだ。

日本にバンドブームを巻き起こした要因とも言えるグループで、かつての来日公演の時にはそれはもう熱狂に包まれたという。


そんな彼らが最後のアルバムのレコーディングに臨んだとされるのが、ここアビーロードにある音楽スタジオだ。


そして、今日の俺の仕事現場でもある。


アビーロードスタジオでレコーディングが出来ると知らされたのは昨日の夜だった。突然、泊まっていた部屋に宇治正さんが来たと思ったら、いきなりそのスタジオでレコーディングをすると聞かされたがために、昨夜は半ばパニック状態だった。


ただ寝て当日になってみれば案外落ち着いてるもんで、朝食を食べて車に乗ったと思えばすぐスタジオに到着という拍子抜けな朝を過ごしたところだ。


夢見心地な気分でスタジオ内に入り、トントン拍子でレコーディングが始まった。だだっ広いブースでマイクに向かい一人歌うその様は俯瞰から見てさぞ物悲しく写っただろう。


レコーディングは昼過ぎぐらいには終了した。いつの間にか音響室にいた現地のイギリス人音楽プロデューサーが拍手しながら絶賛してくれたは嬉しかった。海外の人の感性に自分の音楽が通用することが証明できた気がして、少しだけ自信がついた。


ちなみにレコーディング後はアビーロードに横たわる横断歩道で記念撮影をした。日が傾いて夕方感が否めなかったので撮りたかった写真と出来上がりのイメージは大きく異なっていた。


イギリス2日目はこれで終了、翌日に少しだけ観光をしてフランスに向かう予定だ。






61






ロンドン橋は意外と地味だったこと、ビッグ・ベンの鐘の音色が学校のチャイムの音と全く同じだったことを知った翌日、俺はフランスにいた。



「パリ...だね」


「パリですね...」



どこからか、アコーディオンの音色が聞こえてきそうなオシャレな街並みの中にポツンと佇む我々は、遠目からエッフェル塔を眺めていた。

若干東京タワーに見えなくもないエッフェル塔はパリの中心に座す街のシンボルだ。すぐ近くには凱旋門が鎮座しており、近場にふたつも世界的な観光名所があることが、既にフランスという国の観光地としての強みを感じさせた。


路地に入れば小洒落た建物が並び、大通りに出ればオシャレなパリジェンヌが闊歩する街並みは、日本では到底味わえない趣があった。


こんなもの、どこでジャケ写を撮っても画になってしまうもんだから、先程から色々なところを巡っては写真撮影を行っている。オペラ座にシャンゼリゼ通り、セーヌ川にノートルダム大聖堂。ジャケ写を撮りに来たのに肝心の俺が写真の邪魔になりそうなほど圧巻の建物、景色の数々は本当に末恐ろしい。


パリの光景に圧倒されながらもあちこちで撮影を続けること5時間、ある程度の候補写真も撮れたところでお開きとなった。午後はパリ観光へと向かった。




午後5時、俺と宇治正さんはルーヴル美術館の前にいた。美術館の正面から庭園越しに見る豪華絢爛な建物は、かつてブルボン朝で贅沢の限りを尽くしていた王族貴族の生活が垣間見える雰囲気を帯びていた。



「モナ・リザって何度か盗まれてるんですよね」


「まさか盗もうって訳じゃないよね」


「そんな気さらさらないですよ...モナ・リザ初来日の時って宇治正さん何してましたか」


「ん?普通に今の仕事に就職してたよ。確か73年か74年位には初来日したかなモナ・リザ。ちょっとしたブームになってた記憶がある...モナ・リザのジグソーパズルが異常に売れてたなぁ」


「人間ってやっぱりブームに便乗する悪どい生物なんですね...」


「そんなもんだよ人間なんて。知ってた?厳島くんも何気に便乗されてるからね」


「えっ...」


「なんか最近、厳島くんのパチモンみたいなアイドルがデビューしてた気がするんだよね...まぁ、多分売れないだろうけど。それに厳島くんの非公認グッズなんがめちゃめちゃ出回ってるし」


「...複雑な心境です」


「まぁ仕方の無いことと思っといた方がいいよ、かつての清子ちゃんもパチモン生まれてたし...偽物が生まれるってことはそれだけ人気ってことだから、自信持ちな」


「...」


「随分と神妙な顔してるけど...」



自分の偽物が存在すると聞いて思わず顔を顰める。なんで俺の真似をしようと思ったのか、俺の真似をしてどのような得があるのか本人に聞いてみたい。

そもそも、パチモンとして売り出す事務所自体がおかしいと思う、どういう心境でデビューさせているのだろうか。



「パチモンで売れた人っているんですか」


「いるよ」


「えっ...いるんですか!?」


「フィンガーズ、70年代に売れた5人組の歌謡アイドルグループ」


「あれパチモンなんですか」


フィンガーズは70年代に絶大的な人気を誇った5人組の歌謡アイドルグループで、構成メンバーが全員兄弟であることと、高い歌唱力から大きな注目を集め、瞬く間に人気を博した。

秋田にいた頃、彼らのレコードはよく聴いていたし、当時通っていた小学校でも度々話題に上がる名前だった。そんな彼らがパチモンということを知り、若干のショックである。


「元々アメリカの5人兄弟グループ、ジャック5の名前を文字ってフィンガーズ5って名前で活動してたんだけど、あからさますぎるから後から変更してフィンガーズとして売ったわけ...そしたらあっという間に人気を博して売れっ子になった」


「名前変えたから売れたんですかね」


「いんや、タイミング的にちょうど売れるくらいに改名したから関係ないね」


名前や雰囲気をパクっていたとしても、実力が伴えば世間から注目の目を向けられることがハッキリした今、微小ながらに不安が浮かんだ。


「もしかして...俺のパチモンも売れるんですかね...」


「いや、絶対売れない。厳島くんのコピー品なんて需要ないでしょ、厳島くん自信が日本で活躍してるんだから。フィンガーズの場合は真似たのが海外のアーティストだったから人気が出たのであって、日本のアーティストを真似ちゃパチモンか物真似の域を出ることはまず無いから」


「...なんか安心しました」


「ま、厳島くんもそれだけ人気になったって事だから、もう少し楽観的に考えな」


「はい」



我々は、天下のルーブル美術館の前でパチモンやら偽物やら、一体何の話をしているんだと苦笑いをうかべた。



ちなみに、その後ルーブル美術館で見たモナ・リザの第一印象は『案外小さい』である。






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