第59話

私は衝撃を受けた。これが現役で活躍するプロの歌声なのかと。



厳島裕二くんの存在を知ったのは彼がデビューしてからすぐだった。夜はヒットスタジオが放送された翌日に、学校中で話題になったことから私の耳にも彼の名前が自然と入ってきた。


曰く、今までに無い曲を自ら作り出す異例の男性アイドルらしく、顔もかっこよくて身長も高いことから容姿で女性を虜にし、曲で男性を虜にしていた。デビューして早速新人アイドルの中でも頭角を現しているのだとか。


最初は名前を聞いて多少の興味を示す程度だったが、彼の曲をたまたま放送されたテレビ番組で聞いた時に直感的にファンになったのは今でも鮮明に思い出せる。今までの単調なアイドル歌謡とは違って、前衛的かつ複雑な音色が私の好みと合致した。


そしてデビューから現在に至るまで、私は彼の曲を欠かさず聴き、彼のグッズを買い漁った。レコードはもちろんのこと、ブロマイドやポスター、彼の出演しているCMの商品に至るまで、全てだ。


かつてここまで心酔したアイドルが過去にいただろうか。確かに百子ちゃんや清子ちゃんは私にとって憧れの存在だったし、レコードも何枚かは買っているが、これ程までに大ファンと公言できる人は今までになかった。




そして本日。

私は運良く当選したスター降臨の観覧チケットを利用して、後楽園ホールまで来ていた。会場には私以外の多くの観覧客が居て、目の前にはテレビで観たあのセットが組まれていた。


スター降臨と大きく掲げられた看板は、テレビで感じていた印象よりも遥かに大きかった。冷めやらぬ興奮を抱きながら私は番組の進行を見届けた。


ステージに上がる出場者の女の子たちは、これから芸能界という華やかな世界に旅立つ金の卵だ。もしかしたら今日デビューした子が、後に大スターになっているかもしれない。


初々しい歌声を聴きながら羨望の眼差しを向ける。やがて、1人の出場者が歌い終えると突如司会の男性がステージ上に飛び出し、声高らかに言った。


『いやぁ...ありがとうございました。素晴らしい歌唱でしたね。さて、ここで皆さんには悪いんですが急遽飛び入りの新人ということで、この番組を卒業した人物が来てくださっています。では登場していただきましょう、この方です。どうぞ!!』


次の瞬間、登場したのは私が愛してやまない男性だった。


「厳島...裕二だ。」


ぽつりと呟く。目の前に、あの憧れの厳島裕二がいるということが信じられず、さも冷静に言ってはいるが心臓の大きく鼓動する音が体内を伝って感じた。


会場に湧く歓声。彼は肩からかけたギターをかき鳴らすとマイクに近づいて歌い始めた。


凄い。


レコードと全く同じ歌声。それどころか、生で聴いた方がその迫力と高い歌唱力が肌で感じられる。鳥肌が立つ、プロの歌声がここまで凄いとは思いもしなかった。


感銘を受けていると、矢継ぎ早に彼はピアノの前に座った。会場は既に厳島裕二の魅力に掌握され、誰しもが息を飲みながら彼の演奏をただひたすら無言で聞いていた。先程までの歓声が嘘のように静まり返り、この場において彼に声援を送ることが場違いであるとさえ思えた。


大きく息を吸い込み、マイクに声をのせる。

瞬間的に、今まで聞いたことの無い曲だと分かった、もしや新曲では...。


的中だ。しかもピアノを弾いている。てっきり弾けるのはギターだけだと思っていたがピアノも弾けたなんて、ますます彼の株が私の中で上がった。


音楽に対して底なしの才能を持つ彼、私は先程まで歌唱を披露していた金の卵たちが少し可哀想に思えてきた。





59




新曲『ヴァルハラ』の演奏を終えた俺は、拍手に包まれる中、ステージを降りた。反応を見るにどうやら好評らしい。

少しの安堵と疲れに胸を撫で下ろしつつ、舞台袖で宇治正さんと合流した。


「お疲れ様」


「どうも.....はぁ、疲れた」


「ま、一番不安がってたピアノの演奏も上手くできたし。上々じゃない」


「まぁ、今回は上手く出来ましたけど...」


「ならいいじゃないか、一度できたんだから二度目も大して変わらないと思うんだけど」


「そういうもんですかねぇ」


「そういうもんだよ。場数を踏んで上手くなるのはプロもアマも一緒」


今回の曲はピアノの演奏を伴いながら歌唱をするため、なかなかに慣れない。ギターなら自分の領分なので大した緊張もせずに済むのだが、ピアノとなるとどうも肩が凝る節がある。



「そう言えば、この前言った予定。準備できてる?」


「はい、もう準備万端です。」


宇治正さんが思い出したように言ったのは、来週に控えるとある予定の事だった。その予定というのは...。


「しかし、イギリスにフランスですか...ついこの前アメリカ行ったばっかりですよ」


「新曲の発売やらが被ってる関係で仕方なくね。でも厳島君としては嬉しいことなんじゃないの、海外に行けるんだから」


「嬉しいですけど...でも行くのって仕事としてじゃないですか」


「ま、空いた時間に観光もできるから万々歳ってことでいいんじゃない?」


「観光できるならいいですけど」


3月に控える新曲、アルバムの発表のために俺はイギリスとフランスに飛ぶことになった。イギリスでは、アルバムの曲を録音するため、フランスには新曲『ヴァルハラ』のジャケ写を撮りに行くためだ。


来週に控える海外、非常に楽しみでならない。


俺は楽屋に戻るなり、今絶賛勉強中の英語の自習のため分厚い英単語帳を開いた。

野暮用で楽屋を出た宇治正さんを後目に、俺はまだ大分ページが残っているが分厚い単語帳に頭を抱えた。


・・・

・・



決勝大会に幕が閉じた午後9時、私は忘れ物をしていないか身支度を確認し、席を立った。長い公演に少し疲れたのか溜息を漏らす、ほかの観客もまばらであるが席を立っているようなので、混まないうちにとっとと会場から退散しようと思った。


会場の出口を開けロビーに出る。

明るい蛍光灯に目をしぼめながら、エレベーターへと向かった。

ここから水道橋駅まではさほど遠くはない、自宅のある亀戸までの切符も買ってあるので改札をぬけてあとはホームに向かうだけだ。


エレベーターを待っていると、ふと視線を感じたので振り返った。

そこには、上下に肩を動かしながら息を切らしている身なりのいいおじさんが、へたり込んでいた。どうやら走ってきたらしいが、身につけている高そうなスーツのせいでやけに不釣り合いに見える。


何となく怖いので、目を逸らしつつようやくやってきたエレベーターに乗り込もうとした瞬間、おじさんがか細い声で言った。


「ちょ、ちょっと待って...はぁ...はぁ...」


「...の、乗るんですか」


「はい...はぁ、乗ります...」


エレベーターの開くボタンを押しながら、おじさんが入ってくるのを待つ、近くで見るとつけている腕時計がブランド品であることが伺えた。相当なお金持ちなのだろうか。


「何階ですか」


「1階で...はぁ...」


「1階ですね」


ちょうど降りる先が同じだったので、1階のボタンを押し扉が閉まる。


「...はい、これ」


「?なんですか」


唐突と白いカードをおじさんに渡された。トランプよりも少し小さいものだった。


「名刺...」


「名刺?」


「はぁ...名前。読んで......」


「名前...株式会社W&Pプロダクション...マネージャー 宇治正 健吾.....マネージャー?」


「そう...マネージャー。」


「もしかして...芸能プロダクションの人...ですか」


「正解.....はぁ、ちょっと...待って。年甲斐もなく走るもんじゃないな...」


「あの、お水とか...どっかで」


「あぁ、気にしなくていいんだよ...ふぅ...大丈夫、落ち着いてきた」


相当、全速力で走ったのか疲れた様子の宇治正健吾さんは、ようやく息を整えると単刀直入に切り出した。


「アイドルやろう、君」


「はい?」


「...歌手、もといアイドルやらない?」


「アイドル?」


「そう、芸能人にならない?」


「アイドルって...もしかして、これって俗に言うスカウトってやつですか」


「そう、スカウト」


「...スカウト。でも、どうしよう」


「ん?何か事情でも?」


「あの...あたし、スター降臨の決勝が...決まってて」


「ん?」


「...辞退、した方がいいんですかね。」


「...えぇ」


宇治正さんはあからさまに予想外といった顔をしながら、唖然としていた。

エレベーターが1階に到着し、外に出る。


「いやはや...まさか、もうそこまでの実力者だったとは。やっぱり私の目は間違ってなかった」


「まぁ、そう言われればそうかもですね...おかしい話ですよね、出場予定の人間が観覧席にいるなんて」


「まぁ、下調べってことにしておいたら?」


「そうですね、そういうことにしときます」


短時間でいつの間にか打ち解けていた私たちは、しばしその場で立ち話をすることにした。


「電車は大丈夫なの」


「はい、本数はありますから」


「そう...。しかし決勝かぁ...頑張ってねぇ」


「はい...あの、素朴な疑問なんですけど...W&Pってどんな人が所属してるんですか」


「あぁ、うちはね...まだデビューしてる子が1人しか居ないんだけど」


「1人...少数精鋭ってことですね」


「そ、そういうことかな...でその1人ってのがほら、今日出演してた厳島裕二って子なんだけど」


「ッ...辞退します」


「え?」


「スター降臨決勝、辞退します、今、ここで」


「あ、いや...ちょっ...もう少し考えた方がいいんじゃないの?ほらせっかく決勝まで進んだのに...」


「いいんです辞退させてください、そしてW&Pに私を入れてください」


その時の私は必死だった。何せ目の前の男性がかの厳島くんが属する事務所の人間だとは思わなかったからだ。先程まで所属するか迷う素振りは見せていたが、今になって確信して言える。


絶対に私はW&Pに入る。その決意は硬い。


終始、困惑する宇治正さんは冷静になろうと宥めてくれた。


「多分、お嬢さんがウチに入りたいのは厳島裕二が所属してるからなんだろうけど...お嬢さん、スター降臨決勝まで行ってるんでしょ」


「はい」


「だから...その、決勝行ってから良く事務所は吟味した方がいいんじゃない?」


「いいえ、W&Pじゃなきゃダメなんです。多分どうせ決勝に行ったとしても、事務所選ぶ間もなくW&P選びますし、私」


「うん...一応決勝辞退は後で考えよう。もしかしたら親御さんも何か言うかもしれないし...」


「そうですか...やっぱりそうですよね。」


「...うん」


「...」


「...」


「...」


「...」



辺りに漂う気まずい雰囲気。

先程まで厳島くんの名前を聞いて興奮していたせいか、冷静さを欠いていた。もしかしたら、そのせいでスカウトを取り消されるしれない。

自身の過ちを今更、悔いた。


「...厳島くんのファン、なんだよね」


「はい.....あの、すいませんさっきは冷静さを欠いて」


「いやいや、いいんだよ。それよか、せっかくファンなら...本人に会ってみる?」


「いいんですか」


「もちろん」


「ありがとうございますっ」


私たちは再びエレベーターに乗った。

エレベーター内で終始宇治正さんに質問攻めをしていたのは言うまでもない話だ。



―――――――――――――――――――――――


後で修正or消すかも、この話。





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