第53話
夜。ニューヨークはミンスコフ劇場周辺には、多くの規制線が貼られ、正しく厳戒態勢と形容できる状態が瞬時に形成された。
この劇場が、タイムズ・スクエアのど真ん中に鎮座しているとあってか、煌びやかにそびえ立つビル群の間を縫うようにレッドカーペットは敷かれ、その周辺は高い柵で囲まれていた。
またこの様子をいち早く伝えようと、テレビカメラが何十台も設置され、ブロンドの髪を大きくウェーブさせたニュースキャスターが、マイクを片手に現場の様子を伝えていた。
夜7時から始まる第24回グラミー賞授賞式。1982年の洋楽チャートの総評が発表されるこの音楽賞は、アメリカのみならず全世界が注目する祭典である。我々は今から、この豪華絢爛な会場に足を踏み入れようとしていた。
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実感が湧かない。その一言に尽きる。
今、俺はかのグラミー賞の会場に足を踏み入れようとしている、という事実と自身の想像していたスケールとが噛み合わず、ある種のトランス状態を作り上げていた。
禁足地という訳では無いが、何処か神聖で、俺のような小童がレッドカーペットを踏み歩くことが果たして許されるのだろうかと思ってしまう。招待された側であるのに、過剰な遠慮をしてしまうこの会場の雰囲気は正しく異様と言えた。
辺り一体には屈強なボディガードが立ち並び、スターの姿を一目見ようと多くの観客がカーペット両端を埋めた。モーセの十戒が如く、赤いカーペットを避けるように割れた人混みをゆっくりと進む。
関係者と思われるタキシードを着た方々が談笑をする中、我々はいち早く会場に向かうことにした。一刻も早く椅子に座り、心を落ち着かせたいという一新だった。
緊張、興奮、熱狂、全ての感情が入り交じり息が苦しくなる。このような空気の中を悠々と歩くスターたちを眺めると、やはり世界の広さを痛感せざるを得ない。カメラマンのフラッシュがたかれ、観客の歓声が地面を揺らす。
日本じゃまず見ることも叶わないであろう景色、レッドカーペット上で相見えるスターの数々、規模の大きさ。宇治正さんはいつかこの舞台に立てるほどの活躍を少なくとも2年後までには、俺に期待している。はっきりいって異常だ、こんな所...招待でもされてなければ自力で立てるわけが無い。
半ば自暴自棄なりかけるが、それが本心だった。
こんな景色見せられちゃ、日本に帰ってどんな顔をすればいいのやら。
あまりの凄さに、今まで自分が積み重ねてきた実績がお遊戯のように思えてしまう。
俺は、ミュージシャンを志すものにとって至極の空間とも言える景色を目の当たりにし、遥かに高く分厚い壁を感じた。
海外で、それもアメリカという最大の音楽業界を形成する超大国で、東洋人一人が他のスターと肩を並べようとすること自体が、無謀に思えてしまった。
「大丈夫だよ、厳島くん」
「ん...?」
宇治正さんから唐突に肩を叩かれ拍子抜けした声をあげる。宇治正さんは目を細めながら言った。
「どうせ思っていたんだろう?本当に海外進出して...こんなスター達と肩を並べられるのかって」
「エスパーですか?」
「いんや、あからさまに放心状態だったから」
「それでも...今思ってたこと言い当てるって相当凄いですよ」
「厳島くんならそう思うだろうと...私には分かるんだよ...厳島くんって変なところで自重するからね」
宇治正さんは笑いながら言った。
「もう少し自分に自信もった方がいいよ」
「...はぁ.....」
「前から思ってたけど、厳島くんね...君謙遜しすぎ...この際だから言わせてもらうけど」
「...怒ってます?」
「怒ってないよ、ただそんな腹積もりじゃ、到底海外進出なんて無理そうだなって思っただけだよ」
普段温厚な宇治正さんが、その時はどこか眉をひそめているように感じた。
「...これから言うのは別に説教って訳じゃないけど、是非聞いてくれないか」
「はい...」
「君はね...天才なんだよ。別に生まれ持った才能とか、努力で身につけただとかはこの際どうでもいいんだ」
「...」
「周り見てみ」
周りを見渡す。焚かれたフラッシュが世界を代表するミュージシャンたちを照らしていた。
「この人たち、16歳の時何やってたと思う?」
「え?」
「まず、学校通ってたよね...普通の学生として。確かに趣味として音楽作ってたり、サークルなんか入って今に繋がるような音楽活動をしていたかもしれない」
「まぁ...そうでしょうね。普通なら」
「じゃあ、今の君は?」
「...?」
宇治正さんは指を降りながら数えるように言った。
「まず、全国区のオーディション番組で優勝したでしょ...そこから怒涛のレコードデビュー。直ぐにテレビに出演し新進気鋭の新人として注目を集め、数多の音楽賞を受賞、果てはレコード大賞最優秀新人賞まで獲得してる」
「なんか...むず痒いんですけど」
こうして自身の功績を羅列されるとどこか恥ずかしい気持ちになる。ただ宇治正さんはドヤ顔をして言った。
「別に恥ずかしいことじゃない、むしろ誇っていい。もう一度周りを見てみ」
「はい...」
「君はね、彼らが未だ普通の学生だった年齢の頃にテレビに出て、日本全土に名を轟かせるスターになってるんだよ?その時点でもう、この場にいるスターの功績は軽く超えてるよね」
「まぁ...そうですね」
「それに君の作詞作曲能力はね...彼らから見ても異常なの」
「へ?」
「君のデビュー曲とセカンドシングル...実は私の伝でアメリカの音楽プロデューサーにレコード送り付けたんだけど」
「はっ!?」
唐突のカミングアウトに驚きを隠せない。
俺の知らないところで宇治正さんが暗躍しすぎていて最近怖くなってきた。
当の本人はそんなこと気にも止めず話を続けた。
「なんて言ったと思う?そのプロデューサー」
「なんですか」
『
「ホーリー?」
「驚いたってこと、それもかなりね」
「驚いたって...」
「歌詞は日本語で分からないが、曲の構成がまず異常だってさ。一体どんな脳みそしてたらこんな曲書けるのか聞きたいってさ」
「それ、褒めてるんですか貶してるんですか?」
「褒めてるよ。いい意味でイカれてるってさ。前衛的かつここまで魅力的な曲調を書けるミュージシャンはそう居ない、しかもたった16歳が書いているという事実を聞いた彼は、空いた口が塞がらなかったとさ」
「...本当ですか、その話」
「本当だよ、今日この会場にも来てると思うから...会わせてあげようか?」
「えぇ...どうしよ」
「ま、会わせたくないんだけどね」
「え?なんで?」
宇治正さんはニヒルと笑った。
「だって、初登場は爆発的に行きたいじゃないか」
「爆発的?」
「そう、アメリカ人の常識をぶち壊すような...とてつもなく凄い曲を作るんだよ、君がね」
「...そんな簡単に言われても」
「そのための2年だよ。言っただろ?空港で」
「あ...」
アメリカに来る前、空港で言ったことを俺は思い出した。
「海外進出に必要な武器...」
「そう、武器だよ...君の最高傑作とも言える楽曲をアメリカで発表すればそれは自ずとヒットする、なにせ現段階で洋楽にうるさいアメリカのプロデューサーをギャフンと言わせてるんだ...難しい話じゃない」
「...」
「大事なのはタイミング、そして人脈と実力...後者の2つはもう揃ってるから必然的にタイミングさえ揃えば君は見事、ここにいるスターの仲間入りだよ」
「...」
「不安かい?」
「はい」
「そうか...不安になるのは無理もない、何せこんな超大国で名を挙げてるスターと渡り歩くんだからね、常人じゃ考えられないさ。ちびっ子相撲の子にいきなり両国の土俵上がれって言うようなもんだし...ただ今の君は、その逆だからね」
「大関がちびっこ相撲に居るって言いたいんですか」
「そういうこと...だから君にはこの2年で横綱レベルの実力者になってもらって、いざ両国の土俵に行ってもらおうって訳。だから胸張ってさ...2年後に、この場にいる人達に久しぶりですって言えるくらいの器だと自分を信じなさい」
宇治正さんの鼓舞に自然と気圧されていた気持ちは前を向きつつあった。それがこの場しのぎのお世辞なのか、本気なのかは分からないが結果として2年後、宇治正さんの言っていた通りになるとはこの時ばかりは思ってもいなかった。
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