第51話
「...あ、ライオ・リッジー」
「ホントだ...え、本物ですよね」
「そりゃそうさ、ここは超高級ホテルだよ。世界的セレブか泊まりに来るなんて茶飯事だよ。ほらあそこのテラスなんてシンシア・ローリーがコーヒー飲んでるんだから」
「うわっ、凄い髪色...ミュージシャンなんですか?」
「うん、日本じゃまだそれほど知名度はないけど、アメリカじゃあのマドンナと肩を並べる人物だからね」
「へぇ...」
アメリカに着いた我々を迎えた高級ホテル、プラザホテルにはグラミー賞授賞式も近いとあってか、招待された有名アーティストがホテルのロビーを闊歩していた。
現在の我々の状況としては、猛獣の中に放り込まれた小動物に等しく、先程から足が震えるばかりだ。
「まぁ、そんな萎縮しないで...いずれは厳島くんもこのセレブの仲間入り...いんや、それ以上を目指すんだから」
「...無理ですよ。」
目の前を歩くスターの数々を目の当たりにし、このようなスターオーラの塊と肩を並べなければならない事が、今の時点で想定することも出来なかった。
『ミスターウジマサ、部屋はノーマルクラスで良かったかな』
『あぁ、助かるよ...センキュー、ミスターチャーネル』
『なに、ホテル側としてもグラミー賞関係者以外の宿泊を遠慮するよう、ニューヨーク市から言われててね、部屋はごまんと空いてるのさ』
『いやはや、時期的に非常にラッキーだったと言うべきか』
『そうだな、君たちには運が味方をしているようだ』
宇治正さんとプラザホテルオーナーであるチャーネルさんの巧みな英会話に耳を傾けながら、俺はロビーを見渡し、知っているスターに目星をつけた。そうだ、後でサインを貰おう。場違いにもそう思った。
51
ホテルのチェックインを済ませた我々は、夕飯前まで自由行動をすることとなった。中川さんらはその間に、アルバムのジャケット撮影のためセントラルパークに向かう予定で、我々は観光に勤しむことにした。
ホテルの前で各チーム別れ、宇治正さん扇動のもとニューヨークの街中を巡る我々は、まず初めに自由の女神像へと向かった。
ホテルの手配してくれた手頃な車の後部座席に乗り込み、向かった先はニューヨークの岸にある船乗り場だった。普段は混んでいるのか、船乗り場の入口付近から長い柵が敷かれていたが、今現在はかなり閑散としていた。
「空いてますね」
「恐らく、平日の...しかも朝っぱらってことが起因してるんだろう」
「そういうもんなんですかね...」
「ま、観光地なんて大抵こんなもんさ。」
チケットを買って船に乗る。自由の女神像は陸から離れた海上の孤島に建てられており、船やヘリコプターでなければ行くことはまず不可能であった。
船上に出ると寒いので、しばらく船内で外の様子を伺う。だんだんと近づいてくる独特なブロンズ像は、女神と言うだけあって端正な顔立ちをした女性だった。
「あの頭のやつってなんなんですか?シャンプーハットですか?」
「たしか...冠だったかな。7本の棘があってそれぞれが海と大陸を表してるらしいよ。自由の女神って名の通り、それらの自由を意味するらしい」
「よく知ってますね...」
「前も来たことあるからねぇ...」
島の停泊場に停まった船から降りると、既に頭上には、天高らかに松明を掲げる自由の女神像が直立していた。
「っ...西郷どん?」
「確かに両方とも直立だけど、似てる要素は全くないよッ?アメリカを代表するブロンズ像と見間違えられちゃ上野の西郷像も流石に荷が重いよ」
「冗談ですよ。宇治正さんが間違えないかなって試して見ただけです」
「私の事どんだけ馬鹿だと思ってんの!?早稲田卒だよ私」
軽い冗談を交えつつ我々は、彼女の立つ土台部分に入る。土台部分には扉があり、そこから女神の体内に侵入できるようだ。
「うわぁ...それほど絶景でもない...」
「まぁ、さほど高いわけじゃないからね...それに絶景なら多分エンパイア・ステートビルとかの方が全然綺麗だと思うし。ここ孤島だし...」
滞在時間30分程にして、我々は女神の頭上から岸に戻った。
次に向かった先はツインタワー、ワールドトレードセンターであった。世界貿易センタービルとも言われるこの場所は、今でこそニューヨーク最高層のビルという称号を奪還されてしまったが、つい数年前に展望デッキやレストランが出来たことにより観光地として人気を博しているニューヨークきっての絶景スポットだ。
車を降り、高らかに聳え立つ2つのビルを見上げる。
「ニューヨークってビルが乱立してるイメージが強いけど、これはなんか異彩を放っているというか」
「設計した人が日系の方らしいよ」
「へぇ...」
「どうする?北タワーにはトップオブザワールドっていう展望テラスがあって、南タワーにはウィンドウズオブザワールドっていうレストランがあるらしいよ?」
「アースウィンドアンドファイヤー?」
「うん、いきなりR&B歌うわけじゃないからね...それよか、どっちに行きたい?」
「そうですね...最初に展望テラスのぼって。その後にレストラン行きましょ」
「欲張りだねぇ」
こうなったらどちらも登ってやるという気概で我々はビルに入った。1階のロビーからエレベーターに乗り込み、そのまま最上階を目指す。
かなり長い上昇時間に耐えていると、やがて階数を示すランプが104階を指し示した。
ドアが開き、目の前にはニューヨークの街並みが広がる。よく人間は、体感したことの無い絶景を目の当たりにすると人生観が変わると言うが、俺も例外でなく、はるか上空から見下ろす摩天楼は壮大の一言に尽きた。
「...」
「どうしたんですか宇治正さん」
俺は傍らで固まる宇治正さんを見ながら言う。
「ま、まぁいいから二人で景色見てきなさい」
俺とW&Pのスタッフに向かってシッシッと手を振るった。俺は察した。
「さては...高いところ苦手ですね」
「...べ、別にーー!んな事無いし!」
「強がらずに素直に言えばよろしいのに、なんで一緒に着いてきたんですか」
「だ、だってタレントの傍らに着くというのがマネージャーの責務だろう?」
「無理しなくてもいいのに...」
一向にビルから景色を見下ろさんと、その場で立ち尽くす彼を後目に俺はニューヨークの街並みを堪能した。夜になれば更に綺麗に違いない。真昼間の景色に想像した夜景を脳内で投影した。
「ふぅ...ニューヨーク満喫したなぁ」
部屋のベッドにダイブし、今日一日の思い出に浸る。あれから、ロックフェラーセンターやタイムズスクエアにも向かい、存分にニューヨークを堪能した次第である。
お土産も買った。『I♡NY』と書かれたTシャツや、ニューヨークの街並みが小さなジオラマになって装飾されたスノーボール、"カウボーイ"が使うような綱といった微妙なものばかり買ってしまった。
仕方がないだろう、アメリカの気分に当てられて浮かれていたのだから...。
旅の疲れを癒すため、しばしベッドで横になっていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。誰だろうかという疑問は抱かなかった。
きっと宇治正さんに違いないと思いドアを開けると、そこには中川さんが立っていた。
「えっ、あ...中川さん?」
「こ、こんばんは...ごめんなさい押しかけて」
「...どうしたの?」
「あの、私の部屋アメニティにヘアトリートメントがなくて...厳島くんの部屋にありますか?」
よく見ると、彼女は今しがたシャワーを浴びてきたのか少し顔が火照っていた。
「マネージャーさんの部屋とかは確認したの?」
「いや、マネージャーさんいま出かけてて...なんか宇治正さんとロビーにあるバーに行ったみたいです」
「え、聞いてない...大人組は酒飲みに行ったのか.......わかった、廊下にいるのもなんだし、部屋の中に座って待ってくれると有難い」
「はい...お邪魔します」
本来、こういった芸能関係の仕事をしているからにはホテルや家に異性を招くと、いざ週刊誌にすっぱ抜かれた時に相手にも、そして事務所にも迷惑がかかってしまうため極力そういった状況は避けてきたが。今回に関しては場所もアメリカで、
椅子に座った彼女は部屋を見回して言った。
「...私の泊まってる部屋とすこし違う」
「多分、日が当たらない関係で部屋の設備良くして料金割増にしてるんだと思う...」
「なるほど...」
彼女をしばし待たせている間、俺は懸命に脱衣所からヘアトリートメントを探した。ただ全てのアメニティが英語表記であるため、なかなかに分かりにくく、埒が明かないと思った俺は、アメニティが入った籠ごとメインルームへと向かった。
「ごめん、そのヘアトリートメントがどれか分からないから...一緒に探してくれない?」
「あぁ...そっか、全部英語表記ですもんね」
手分けしてそれっぽい小袋を確かめていく。筆記体の英字は解読するのも困難で、実際に一つ一つ開けて中身を確認する他なかった。
「...あ、これじゃないですか?」
「ちょっと、すいません...あ、これです!」
一度も使ったことの無いヘアトリートメントを見つけるのには相当骨が折れたが、最終的に彼女が熟練のソムリエがごとく、質感で数多のアメニティから目的の品を当てた。
「本当にありがとうございました、失礼します」
「どういたしまして」
中川さんを見送り一人きりになった部屋に息を着く、先程までの小さな賑やかさがシンと静まり返り少々寂しく感じた。
「シャワー浴びよ...」
欠伸しながら脱衣所へ向かおうとしたその時。
コンコンコンッ!というノックオンが再び部屋に響いた。何事かと扉を開けると、部屋に入ったはずの中川さんが血相を変えて息を切らしていた。
「あ、あの...厳島さん!マズイです!」
「なに、どうしたの」
「人が...隣の部屋の窓際に人が!」
「へ?人?」
「飛び降りしようとしてて!!」
「はッ!?」
俺は駆けながら中川さんの部屋へ向かった。
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