序章 明星編

第50話

手荷物検査を済ませた後、出発まで十分に時間があることから各々好きなように散策することとなった。中川さんらは朝食を摂りに空港内の喫茶店へと向かい、俺と宇治正さんらW&Pチームは少し離れた展望デッキへと向かった。


「おぉ...」


飛び立つジャンボジェットを目の当たりにし思わず声が漏れる。冬の朝、寒さに少し凍えながらも見下ろす滑走路の景色は、なかなかに壮観だった。


「これから...俺たちアメリカに行くんですもんね」


「まぁね...そう言えば厳島くんもそろそろ準備をしないとね」


「準備?」


「そう、実はね厳島くんの海外進出計画を企てているんだけど」


「海外進出?正気ですか」


「正気だよ。それに、確か君も海外進出する気概をデビュー当初は見せていたはずだろう?」


「それは、若気の至りというか...なんて言うんですか。まだ芸能界入ってなかったから無茶なことが言えたというか...」


「芸能界入って怖気付いちゃった?」


「まぁ、本音を言えば。なんせ自分よりも全然すごい人たちがいっぱいいるんですから。そこで頂点取れなきゃ海外進出なんて...」


「私はそう思わないけどなぁ...」


「.....そもそも、海外進出ってどこから攻めるんですか。イギリスとかオーストラリアとか...」


「アメリカだよ。言っただろうW&Pは、かのアメリカ音楽界とも強いパイプを持ってるって」


「言いましたっけ...」


「まぁ、この際 言った言わないはいい。ちなみに計画は既に進行中だからね」


唐突なカミングアウトに内心驚きつつも、すぐさま俺は質問した。


「あの、そもそも海外進出って出来るもんなんですか。今まで、日本人で一人も大成功と言える結果は残していないじゃないですか。」


「日本人だからって理由で、私は諦めたくないのさ。そもそもあっちは多民族国家だ、それこそ日本人でさえもかの膨大な音楽業界に介入する余地はある。それに厳島くんなら、きっとアメリカ音楽業界にも今の日本のような新風を吹かせてくれると信じているし...」


「...大袈裟ですって」


「大袈裟じゃないさ。私のつてはアメリカにもある。それこそ優秀なエージェントやプロデューサーはもちろん、多少あちらで名の知れた歌手とも面識があるし、たまに国際便で手紙のやり取りもする。そんな時に君の話なんかを書いて、海外進出時は協力してもらうよう要請している」


「もうそんなとこまで...用意周到...ですね」


「なに、まだまだ計画の進行度としては序の口...あぁ、言い忘れてたけど海外進出の目安は来年の下旬、1984年の7月以降のどこかで大きな一手を決めたいと思っている。そのためにはまず、諸々厳島くんにも準備をしてもらわにゃいけない」


「あぁ、さっきの準備の意味はそれですか」


「そういうこと」



ようやく話の全容が見えたところで、宇治正さんは俺に対する準備内容を突きつけた。



「まずその1、英語を話せるようにすること。ネイティブレベルとまではいかないが、ある程度日常会話くらいはできないとあっちじゃ厳しいからね。通訳を雇うにしても金がかかる」


「分かりました...英語の勉強ですね」


「そう...あとは、海外進出をする際に必要とする武器…楽曲を今からでも作成してくれ。曲のジャンルは問わないが、我々としてはシングルで両A面のレコードを売り出そうと思っているから、君の全身全霊、心血注いで作った曲の作成を依頼する」



宇治正さんの眼差しは本気だった。それだけ自信があるということだろう。

俺は果てしなく遠い夢を、わずか1年と少しで叶えなければならないという無謀さに、若干のプレッシャーを感じずにはいられなかった。






50






快適な空の旅を終えた我々を迎えたのは、ジョン・F・ケネディ国際空港だった。現在時刻は朝の9時、出国した時の時刻と大して変わらず、時差と言うやつを初めてこの身をもって体感した。


入国審査を済ませた後、積んでいた荷物を受け取ると我々は早速、ニューヨークに向かうこととした。

ただ...


「エクスキューズミー、ここからニューヨーク...ハウマッチ?」


「?You've lost me.」


中川さんのマネージャー、碁石ごいしさんが先程から空港の前でタクシーを捕まえようとしているのだが、英語の発音や、そもそも英文として成り立っているのかも分からない質問を連発しているため、相手からはパドゥンと言われるばかりだった。


「宇治正さん...助けてあげてくださいよ」


「...」


宇治正さんは先程からメモ帳を広げ無言で何かを探しているし、この場においても英語を話せるものが居ないため、集団て立ち尽くすしか無かった。


「大丈夫かな...碁石さん」


「大丈夫...じゃないと思います...あの人、元々文化系で日本語しか学んでこなかったから、英語には滅法弱いんです。」


「えーーっ、何故によりにもよってそんな人がタクシー捕まえようとしてんの」


「...さぁ」


中川さんによる解説で更なる不安が募る。だが、ここで救世主が現れた。先程までま手帳に釘付けになっていた宇治正さんである、彼は何やら空港の公衆電話に向かってこちらに戻ってくるなり、碁石さんが説得しているタクシードライバーと軽く会話を始めた。


「I'm sorry, it became the rescheduling. Because we have another person sent to meet after having talked badly though is bad, then.」


「Then use it if there is an opportunity again」


「OK」


本場のアメリカ人と比べても粗相ない英語を披露され思わず固まる我々。


「す、すごい...宇治正さんって英語話せたんですね」


「まぁ、伊達に早稲田卒じゃないですからね、あの人」


影で絶賛している我々を後目に、本人は何事も無かったかのように碁石さんをつれ、再び戻ってきた。


「あれ...宇治正さんタクシーとの交渉は?」


「ん?あぁ、タクシー断ってきたから」


「え?なんで?」


「...なんでって、宿泊先変えたから」


「は?」


全く話が読めない。先程まであれほど流暢な英語を披露していた宇治正さんのこの発言に我々はハテナマークを浮かべる他なかった。


「...宿泊先が変わったにせよ、なぜタクシーをキャンセルに?」


中川さんの的確な質問に全員が頷く。

その後、宇治正さんの発言に全員が目を見開いた。それは単に幻滅だとか、正気の沙汰を疑うものではなく、単純な驚愕からであった。


俺はその発言を聞いた時に思った。この男、一体どれほどの人脈をこの広大なアメリカで形成しているのか、下手したらアメリカで名の知れたフィクサーなんじゃないかと思い始めた。




「あぁ、実はニューヨークの知り合いが今ホテルのオーナーなんだけど、そいつがさっきリムジン出してくれるっていうから、断ってきただけさ」


「リムジン...?」


「うん、しかもさっきカマかけてみたら部屋も同じ数開けてくれるし、料金も下げてくれるって言うから...予定変更でそれでもいいでしょ?」


「宇治正さん」


「なに?」


「リムジンって事は...そこそこすごいホテルってことですか」


「うん、プラザホテルって言うんだけど...分かるかな」


大人の数人は「おぉ~」という歓声を上げた。

一体何事かと周りを見渡す俺と中川さんに対して宇治正さんは優しく説明した。


「プラザホテルはね、ニューヨークにある超高級ホテルだよ」


「...高級ホテルですか。」


「いや、"超"高級ホテルね」


彼はドヤ顔しながら言った。普段なら憎たらしく感じるその表情も、今ならどこかカッコイイと思えてしまう俺がいた。


やがてやってきたリムジンに乗り込み、ニューヨークの街並みを堪能しながらたどり着いたプラザホテルは、想像を絶する絢爛さを纏っていた。


「...すごっ」



車を降りると同時に、ホテルの中から出てきたオーナーと思わしき老人と抱擁する宇治正さんをみて、俺は神妙な顔をうかべた。

老人の腕や指には金やダイヤで宝飾された指輪や、腕時計が輝いていた。


俺の中ではますます、宇治正さんにフィクサーの疑いがかかった。



―――――――――――――――――


捏造ポイント。


1983年に行われた第24回グラミー賞授賞式は本来、例年通りロサンゼルスで行われるものですが。この話ではニューヨークを舞台とします。また開催時期も1月でなく2月中旬なので悪しからず。


ニューヨークを舞台とした主な理由。

ロサンゼルス国際空港の完成時期が1984年であること。ニューヨークを舞台にした方が80年代ネタを入れやすいこと。そもそもこの物語はフィクションで、グラミー賞もそれに準ずることから現実世界のグラミー賞と差異を図りたかったから。



余談


プラザホテルといえばホームアローン2ですが、有名な話で当時のオーナーがかのドナルド・トランプだったため、当映画にカメオ出演しているらしいです。

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