第49話
最優秀新人賞を獲得した俺は、歌唱を終えた後、舞台袖に掃けそのまま楽屋へと向かった。
楽屋には大きく拍手をする宇治正さんがおり、ようやくその場で狂喜するに至った。
「本当におめでとう」
「ありがとうございます」
「いやはや...この賞は新人のうちにしか獲得できない賞だからね、今はその喜びをしっかりとかみ締めて、次は大賞を目指そう」
「はい」
「ひとまず今日は休息としよう、この後厳島くんは記者会見を終えたあとすぐ自宅に帰れるように手配したから、帝国劇場とはこれでおさらばだ」
「分かりました」
宇治正さんは気を使ってくれたのか、年末に家族と過ごす時間を取ってくれた。1982年の仕事納めは、笑顔で幕を閉じることとなった。
何とも後味の良い終わりに、俺は肩の力を抜いた。
49
「おかえり〜」
「ただいま」
玄関で迎えてくれたのは母だった。既にテレビで見ていたのか、俺が最優秀新人賞を獲得したことは知っているらしく、トロフィーを飾るスペースまで用意してあるとのことだった。
「しかし、あんたが日本レコード大賞の最優秀新人賞だとは...本当に、お母さんグレース・ケリー並に鼻が高いわ」
「喜んでくれて何より、父さんは?」
「お父さんはお酒飲みすぎちゃって酔いつぶれてる」
「相変わらずか...」
俺が受賞したことで、祝い酒だと家の中でも上等なウイスキーを飲んだらそのまま寝てしまったらしい。父はほぼ下戸なのにもかかわらず、こういった祝い事があると直ぐに酒を飲んで潰れるため、相変わらずと言った具合である。
ひとまず舞台でかいた汗を流すべく、風呂へと向かった俺は湯船に浸りながら余韻に浸った。冷えた体に刺さるような温かさのお湯を肩まで浸かり、入浴剤の香りに心を落ち着かせる。
「最優秀新人賞か...」
受賞したことへの実感がイマイチ湧かず、ただただ他人事のように呟く。俺は外に吹く冷たい夜風を耳にしながら猫のように背を伸ばした。
そして数日経ち、新聞の番組表にも『新年特番』と銘打つ番組がなくなってきた頃、俺はとある場所へと来ていた。
「ほぉ〜、うわぁ...ひょー」
「厳島くん...落ち着こうか、確かに君は空港に来ること自体が初めてだろうけど、これから実際飛行機にも乗るわけだから...ロビーの時点でその気概でいちゃあ私すこし不安だよ」
「だって、宇治正さん...初めての海外ですよ。興奮しないわけないじゃないですか」
「まぁ、そうだけど...あぁ、それどうしたの」
「え、そこの売店で買ったんです」
「アイマスク...?なんて勿体ない、免税店の方が安いのに...それにアイマスクなんてアメニティであるでしょう?あぁ、もう悪い子だねッ」
「だってー...」
空港のロビーで興奮のあまり小声で声を上げる俺に、宇治正さんはやれやれと言った具合で頭を抱えた。本日、俺は日本を発ち、かのユナイテッドステイツ、アメリカ合衆国へと向かう予定である。
10月に行われた新宿音楽賞において、金賞を受賞した俺は見事にその特典である『グラミー賞への招待券』をゲットした。本日は、そのグラミー賞授賞式へと向かうために成田空港へと来た次第である。両親同伴の元、人生初めての空港へと来た俺は、上記の通り興奮のあまり語彙力を失っていた。
「宇治正さん...すいません、うちの息子が。なにも空港に来るのは初めてなもんで」
「田舎モンですからなぁ、我が息子は」
「は、はは...まぁお父さんお母さん、お任せ下さい。アメリカでの厳島くんの行動は英語ペラペラの私がきっちりと管理するので御安心を」
「あらまぁ、宇治正さん英語がペラペラなのねぇ。うちの旦那も大卒ですけどやはり早稲田卒は違うのねぇ」
「悪かったな... 千葉海洋産業大学で...」
宇治正さんの高学歴に対して過敏に反応する母を不機嫌そうに眺める父という構図は、傍から見れば泥沼の三角関係に見えなくもなかった。
「しかし、まだ来ませんね...遅れてるんですかね」
俺はもう1人の同行者の到着を宇治正さんに伺った。何も今回、グラミー賞に招かれたのは俺だけではなかった。
「実は朝から軽くラジオに出演することになったらしく...今こっちに向かってるみたい」
「なるほど...大変ですね売れっ子って」
「うん、君も売れっ子だからね。人のこと全然言えないよ...あ、来たかな?」
成田空港は北ウイングの入口に複数人の人影が見えた、彼女はこちらへとかけてくるなり深く頭を下げた。
「ごめんなさい、遅れてしまって」
「なに、大丈夫さ...うちの厳島もさっき空港に着いたところだから」
「はぁ...すいません。旅の門出に最悪な気分にさせちゃって」
「いや、全然大丈夫だよ?むしろ待ち合わせ時間にはちょうど間に合ったわけだし...」
「...すいません」
謝罪の念が溢れんばかりに伝わってくる、その姿勢に我々は戸惑うばかりであった。そんな空気を切り裂くように母は楽観的に言った。
「あらまぁ、可愛いわねぇ...!中川朱美ちゃんでしょ?私大ファンなのよ。実物はホントお人形さんみたいねぇ」
「あ、どうも...」
「私、厳島裕二の母の厳島美乃里です」
「えっ!厳島くんのお母さん...通りで綺麗なわけだ」
「なにもう、褒めても何も出ないわよ。ほら、少し遅いけどお年玉」
「いや、出てるじゃん...しかも結構な代物が出てるじゃん」
父のツッコミを他所に女性二人は会話を弾ませる。俺は宇治正さんに耳打ちした。
「...なんか中川さんのところ。かなり大所帯ですけど」
「うん、同行するスタッフだってさ。彼女の事務所はそれなりに大きいからねぇ、海外に行くに際し一応安全のため同伴するんだろう」
「これだけ多いとなんか...何とか使節団みたいな。」
「さしずめ、中川使節団ってところだろう」
中川さんの傍らには多くの大人が着いていた。女性アイドルゆえか、ボディガードの役割も果たしているのだろう。対して俺は周りを見やる、我がW&Pの同伴スタッフは宇治正さん含めたった2名のみだった。
「不甲斐ない...」
「うん、同意だね...はぁ。本当に...今年は頑張ろうね厳島くん」
「はい...また一等地のビルにテナント借りれたらいいですね」
「うん、懐かしく思うよ...数年前が」
アメリカに行く前だと言うのに、場違いにも事務所の発展について語り合った我々W&P勢であった。
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