第44話

午後7時、朝から収録が開始されたオールスター雪の祭典は無事幕を閉じた。天気は快晴、早朝のガスで充満したゲレンデとは裏腹に撮影日和だった。

紅白に別れて行われた今大会、見事白星を勝ち取ったのは近衛正彦さん率いる赤組であった。

MVP賞として選ばれたのももちろん近衛さんだ、まぁそれもそのはず、何せ台本の最初からMVP賞を獲得する人間が決まっていたのだから。


テレビの前で見ていたオールスター雪の祭典は思った以上に八百長を多様するいわばヤラセ的な番組であった。さすがにそりゃないだろという演出も普通にやってのけるその様は、傍から見ていてかなり不思議な光景と言わざるを得ない。


テレビの前で見ていた憧れの番組が、裏ではこんなに酷いものだったのかと目の当たりにして幻滅しながら幕を閉じた。






44





朝、機嫌よく布団から飛び出すとまだ日の登りきっていない外を眺める。今日は実に清々しい日オフだ。閑静な住宅街の道では、朝から犬を連れジョギングをするおじさんや、ゴミ出しをする主婦が世間話をし、これぞまさしく休日の朝と言うべき景色が眼下に広がっていた。俺は自室のある2回から居間へと向かうと、テレビをつけコタツに入る。

新聞の番組表を見ながらチャンネルを回しつつ朝のニュース番組へと変えていく、ふと流れたのは俺の出演しているココアのCMだった。

出来上がりは中々に様になっていて、落ち着いたシックな仕上がりとなっていた。


今自宅にはココアが大量にある。なにも江永ココアのオフィシャルキャラクターに選任されたが故に、常時自宅にココアが送られてくるのだ。これで当分、冬の飲み物には困らない。


台所に行き、母が作業する傍らトーストを作ると、再び居間に戻りコタツの中で温りながらバターを塗ったトーストをかじる。

毎日がこういう休日だったらなんと楽なことか。

いつものように忙しなくテレビ局をあちこち移動する日を忘れてたまにはこういった息抜きも欠かす訳にはいかない。


これからクリスマス、新年と仕事の都合上家族と過ごせない時間が格段に増える、せめてこうしたオフの日には両親と一緒の時間を過ごしたくなる。ただ、せっかくのオフ日、自宅でただゆっくりとしているというのもどこか勿体ない。


ふと俺は今現在、軽い朝食の準備をしている母の背に向かって何気なく言葉をなげかけた。



「どっか行く?」


「行くって言ったって...どこに?」


「いや、適当に買い物とか、近場の施設とか」


「買い物ねぇ...あぁ、そうだ私 銀座行きたいのよねぇ」


「銀座...銀座ね」


「うんうん、三越に少しふらっとね...おせち具材がまだ余ってたら祝い肴買おうかなって」


「おせち...か、分かった、なんなら今日は俺の奢りで」


「あれまぁ、男前」



急いでトーストを齧り全て平らげた後、俺は自室に戻り通帳を広げた。



「この前の収入は300とんで2...302万か...」



俺の手持ちは今潤沢にも程があった。普通の高校生なら稼ぐことも叶わない金額を手にし若干の震えが止まらない。通帳にはしっかりと預金残高400万円の文字が刻まれており、わずか半年にも満たないうちにこれほどの収入を得ている自分が怖い。


W&Pのギャランティ配分は中々に良心的で、その結果が通帳に如実に現れている。これほどの大金を若いうちに持つと金銭感覚の狂いが生じそうだが、そのへんはしっかりと自重していた。


通帳を手に取りバッグにしまうと早速、出かける準備を始めた。




午前10時、一張羅に着替えた厳島家は銀座の中央通りに居た。行き交う多くの人々に目が回る、思えば東京に来て初めて銀座という地に足を踏み入れた。

実際に初めて見たその街並みは想像通りの高級感が漂っており、至る所にブランド店が乱立している。


こんな所で日頃買い物をしているマダムの気が知れない。銀座といえば芸能界でもなかなかに人気なスポットとして名を馳せており、その理由として多くは銀座にある会員制クラブの存在だろう。宇治正さんからも過去にそういった高級クラブに連れてってもらったという話を聞いたことある。出てくる酒、全て上等なもの故か、会計の時の金額に目ん玉ひん剥けるかと思ったらしい。


そんな修羅の地、銀座において以外にも漂う高級感に屈していないのは母だけであった。傍らにいる有給をとった父と共に雰囲気に押され震える伊達メガネとマスク姿の息子というカオスな空間が形成されているものの、そんなこと気にする素振りも見せず、ズカズカと歩みを進めていく。


やがてたどり着いたのはかの有名な時計台、和光の前にある百貨店は三越であった。大きな入口の傍らには、ライオン像が鎮座しており、この地の守り神かのごとくその威厳を金属製のまなこから感じさせた。


ちなみにこのライオン、誰にも見られずに跨ることが出来れば受験や試験に合格出来るという、必勝祈願のジンクスがあり、大阪のビリケンのような扱われ方をされたりされなかったりしている。


有難いライオン像の横を通り過ぎ我々は軍資金を片手に三越という未開の地へと歩みを進めた。



「すげー...」


「あぁ、息子よ...我々はついぞやかの三越に...」


「あんた達みっともないからやめなさい」



四方八方がブロンドに輝く高級を濃密に詰めたような空間、これこそがまさに三越銀座店であった。キョロキョロと周りを見る度に母から咎められる。自然に背筋が伸びるようなこの空間がまだ幾層も上に連なっていると考えると気が持たない。


クリスマス前の装飾で華やかに色付けされた各フロアを巡った後、地下一階へと向かうことにした。地下一階はいわゆるデパ地下と呼ばれる空間が形成されており、数多の美味しそうな香りが鼻腔をくすぐる最高の環境であった。見る度腹が鳴るようなものばかりが並べられ、母はそれを吟味するように一つ一つ眺めた。


やがて決めたとばかりにいくつかの品を購入した。数の子、黒豆、昆布巻、栗きんとん等々、当日が来るまで楽しみで仕方が無いメニューばかりだ。

買い物を済ませ満足したのか母はゆっくりとした足取りで三越を出た。滞在時間は1時間にも満たず、日の傾き加減も大して変わっていなかった。ただ我々男性陣からしてみればこれだけの短時間でドッと疲れ、あしたのジョーのごとくへたり込む寸前であった。


せっかくなので近場のレストランで昼食をとることにした。三越からほど近い通りの裏に入ったところにある洋食屋に目星をつけ入店する。店内はそれなりに賑わっており、若者から老人まで老若男女問わず客層も幅広かった。店員に人数を聞かれた後、席に案内される。全面、喫煙席ゆえか父も懐からタバコを取り出し早速、紫煙を燻らせた。



「裕二、あんたマスクどうすんの」


「え?」


「取ったら、まずいんじゃないの?」


「あぁ...」



現在の俺は、なるべくバレないように伊達メガネにマスクという典型的な変装をしていた。当初はこんな脆弱な変装で大丈夫だろうかと心配していたものの、案外効果は覿面で、顔半分を覆うマスクのおかげということもあり今の今まで騒ぎにならずに済んでいた。


ただここはレストラン、昼食を取るにはマスクを取る事は必須である。俺は注文したハンバーグ定食が来るまでの間、ギリギリまでマスク着用を粘ることとした。周囲には間仕切りもなく、他の客で埋め尽くされている、この場で変装の役割の大半を担っているマスクを外してしまえばバレることは瞭然であった。


どうか、あわよくば我々以外のお客さんが今このハンバーグ定食を待っている時間の間に退店してくれますようにと、常人なら願うこともなかろう望みをどこぞの神様に祈りつつ、息を殺した。


今俺ができる唯一の対処法はこの場において最も影を薄くすることだ。身動き一切取らず、注目されないように、なりを潜める。


ただ運も悪く、一番最初に運ばれてきた料理はハンバーグ定食であった。何たることかと眉間に皺を寄せた。目の前にハンバーグが置かれた次の瞬間、俺は目を見開いた。



「て、鉄板...だと...」



そう、ハンバーグは鉄板の上で熱々に焼かれながら出てきたのだ。上からかけられたデミグラスソースがグツグツと煮えたぎり、今目の前にあるこの状態こそがまさに食べ頃であることを示唆するように香ばしい匂いが鼻をくすぐる。


想像ではてっきり白い皿に乗ったハンバーグが出てくるもんだとばかり思っていたが、鉄板にのって出てくるとは予想外であった。このままでは非常にまずい。


熱々の鉄板の上に置かれたハンバーグをそのまま放置すればどうなるかなんて、ご承知の通り、そう確実にこのままでは黒焦げの肉塊に変貌を遂げるわけである。先に料理が来てしまったのなら、両親の料理が来るまで待ってようかなと軽い気持ちで安堵したが、2人の料理を待っている間に底面が炭化したハンバーグを作ってしまうともなれば料理の根幹に関わる重大事項だ。


この場で、マスクを外し多少なりとも犠牲を払うべきか、両親の料理が来るまで待つことしばし、多少客が少なくなったところで優雅に黒焦げハンバーグを昼食とするか、究極の選択を取らざるを得なくなった俺は、頭をかいた。


果たして決断やいかに……。





店を退店する頃には俺は疲弊しまくっていた。

どれもこれもハンバーグ定食なんて頼んでしまったのが悪い、せめてサンドイッチにしとけば長らく客足が減少するタイミングでの昼食を見込めたが、今回に限っては環境、そして席の位置が明らかに悪かった。


結論から言うと俺はあの場でマスクを外した。

この場で食わねば男が廃る、とまで意気込んで耳にかけたゴムを外したところ、店内は次第にざわつき初め、やがて隣に座っていた若いカップルが声をかけてきたことを皮切りに店内は騒ぎになった。


一人一人サインやら握手やらを求められる一方、両親は運ばれてきたボンゴレとエビフライ定食を頬張った。やがてファンサービスが終了し、客足が減少した頃には俺の頼んだハンバーグは焦げ、ライスもカピカピに冷えきっていた。


俺は二度と、個室以外の店には外食しないと決めた。

・・・

・・




腹を満たし、帰路へとつく厳島一家はとある店の前で足を止めた。



「楽器屋だってよ」


「へぇ、銀座に楽器屋ってあるんだね」


「ほら、バイオリンとかピアノとか、リッチなご家庭向けのお店なんじゃない?」


「あぁ、そういう事か...」



やけに大きな建物、それこそビル丸ごとを占領するように聳え立つは『やまの楽器』と書かれた青い大きな看板が特徴的な楽器屋だった。各階ごとに扱う楽器の種類が異なり、品揃えは豊富であるように伺えた。


母はせっかくなのだからと、俺を盾にしながら店内に歩みを進めた。父も父とて、昔ギターを弾いていた熱を取り戻すかのごとく進んで店内へと足を踏み入れた。


「すっげぇ...」


「ほんと、私楽器屋入るの初めてだけど、こんなに色々揃ってるの?」


「いや、ここまで揃ってるのは中々ないよ」



店内はありとあらゆる楽器が所狭しと並んでおり、チェロ、コントラバス、ヴァイオリン等々、クラシックにおいて欠かせぬ弦楽器から、ベースやギター等、モダンな楽器までその種類は豊富で、この場にいるだけでも一日程度は安易に時間を潰せるほどの見応えがあった。



「お母さん、楽器やってみようかな」


「何やるの」


「これどう?ちっちゃいギターみたいで可愛いし」


「ウクレレか...いいんじゃない、結構コアな楽器だけど」


「そうね、すみません これください」


「早っ、即決かよ」



母がすぐさま決断をしたことにより若干の焦りが込み上げる。右往左往している俺を見かねた店員がついに声をかけてきた。



「お客様、何をご所望で」


「あの、ギターを買いたいんですけど」



とりあえずここは冒険するべきではないと踏んだ俺は、得意なギターを購入する矛先とした。



「ギターですか...なら恐れ入りますが、3階までお上がりいただいてもよろしいでしょうか」


「は、はい...」


「ではこちらへ」



店員の案内により階段を上がり3階にたどり着く、3階はギター、ベースを主とした弦楽器フロアであった。



「エレキギターやアコースティックギターはもちろんのこと、クラシックギターや専用のスティールギター、エレクトリックアコースティックギターも取り揃えております」



見渡す限りギターだらけ、それら全てを片っ端から試し弾きしてみたいという衝動に駆られるが生憎時間もない。俺は既に持っているアコースティックギター、エレキギターをまずは優先順位から遠ざけ、新たな種類の物を検討した。



「クラシックギターを見ることってできますかね」


「はい、少々お待ちください」



店員は複数本のギターを手に取り再び戻ってきた。俺はフロアの傍らにあるベンチに座り、持ってきたギターを手に取り一つ一つ感触を確かめる。



「アコギと全然違う...」



まず弦の柔らかさに驚いた。弦が鉄製のアコースティックギターとは異なり、ナイロン製の白い弦の張られたクラシックギターは弾きやすさも抜群であった。それに、その柔らかい弦から奏でられる音の違いにも目を見張る。



「クラシックギターを使用する有名な音楽といえば、ボサノヴァですからね、柔らかく温かみを含んだ優しい音が特徴的なギターなので、アコースティックギターのような激しい音とは似ているようで少し違うんですよ」


「なるほど...たしか、フラメンコもクラシックギターでしたよね」


「えぇ、ただフラメンコはその激しい音のためにフラメンコギターっていうのがあるんですけどね」


「へぇ」


「しかし、お客様大変お上手ですね...どうです?ここは当店でもなかなか特別なギターに触れてみませんか?」


「いいんですか」


「はい」



店員は少々お待ちくださいと言った後、バックヤードへと入っていった。しばし待つ間にギターをかき鳴らす。当初若干の違和感を覚えた弦にも慣れを示し、やがていつも通りのアルペジオ奏法をするまてに至った。それなりにボサノヴァ風のメロディーを奏でていると、店員は何やら大切そうにギターケースを抱えて出てきた。

ケースからギターを取り出し全体像があらわになった。



「こちらですね、フランスの著名な製作家であるロベールブーシェが作ったクラシックギターです」


「青い...ですね」


「えぇ、ボサノヴァ特有の爽やかさを彷彿とさせるように、ギター本体もカンヌの海を思わせる濃淡のある青で仕上げられています...音の方も一級品で、聞いていてうっとりするような優しい音を奏でてくれますよ。弾いてみますか」


「はい」



ギターを抱え、弦を撫でるようにして弾く。スっと耳に入り込み響くような優しい音が鳴る。聴いていて、まるで催眠術でもかけられているかのごとく、心地よくウトウトしてしまいそうなその音に思わず息を漏らした。



「いいです...すごく」


「えぇ、お客様の演奏...素晴らしく丁寧で、このギターの実力も最大限に引き出されていたと思います」


「これ、いくらですか」



値段次第では即購入も決められるの度の代物、であった。



「値段は着いてません」


「非売品...ですか」


「いえ、お買い求めすることも可能なのですが、正式な値段設定をしておらず、いわば交渉次第ということになります」


「交渉次第...はっきり言ってこのギター、相当に良いものだと思うんです」


「えぇ、当店においてもなかなかに見かけることの無い貴重なものです」


「100...は超えますよね」


「そうでしょうね、その希少さゆえ仕方の無いことです」


「120万...でどうですか」


「...いえ、30万で結構です」


「30万...!いいんですか」


「えぇ...お客様なら大切に扱ってくれると信じております、それに私としてもこのギターが晴れ舞台に上がる姿を見てみたいですし...このギターをどうぞよろしくお願いしますよ、厳島裕二さん」


「えッ、いつから...」


「さて、会計と行きましょう」



質問する暇もなく我々は会計へと向かうこととなった。レジにて、ケースに入れられたギターを傍らに俺は持ってきていた軍資金から30枚の聖徳太子紙幣を取り出した。


俺は店員に一瞥しながら軽く会釈をし、両親と共に店を出た。





「しかし、良かったんですか...あのギター確か300万はかたいらしいじゃないですか」


「いいんですよ、彼なら大事に扱ってくれると信じていますので」



厳島が去った店ではついに店の最奥にあった最高峰のギターが売れたことで話題が持ち切りになった。厳島に実際にギターを売った店員は部下と会話しつつも名残惜しそうに厳島が去っていった出口を見つめた。



「しかし社長・・30万はやりすぎじゃないですか」


「いえ、彼の噂は御茶ノ水で楽器屋をしている知り合いから予予かねがね、聞いています...彼ならばきっと大事に扱ってくれると信じています」



後にこのギターを、使った楽曲は日本及びアメリカでヒットを飛ばし、後世に語り継がれるほどの名ギターとしてその価値4億円になるとはまだ誰も思っていなかった。





――――――――――――――――


お待たせしました、お待たせしすぎたかもしれません。


今日から平常運転で頑張ります。


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