冬期最終決戦 編

第42話

決戦の一夜である。例え芸歴何十年のベテランであろうがデビューたった数ヶ月の新人であろうが、この舞台に立てば皆ライバル。あまりにも敵は多くそして大きい、強大な壁という壁をうち崩さねば賞を取る事は叶わないだろう。

しかも生放送、特番枠である2時間、一体幾人の日本国民がこの番組に釘付けになるのか疑問を持つところである。

そのような場所で醜態は晒せない。両親のため、そして事務所の応援してくれているスタッフのため、友人のため、その他諸々を含め自分のため、俺はこの舞台で最高のパフォーマンスを披露することを固く誓った。


しかし今年はアイドル大豊作の年、マスコミはいよいよ誰が最優秀新人賞ならびに日本歌謡大賞を受賞するのか予想もできない状態が続いていた。


11月の初旬、冬にかけて行われる数多の音楽賞の前哨戦の火蓋がついに切られた。






42





東京の下町に佇む一軒家には場違いにも多くの人々が群がっていた。まるでカラーテレビを購入した家に東京オリンピックを観戦しにくる近所の方々のように、みなこの場所で、この瞬間、この目で見たいという目的あってこその群衆の形成であった。

集まる人間はみな共通の少年と顔なじみであり、深い親交のあった面子ばかりであった。


そのうちの一人草薙はブラウン管の前に座り込み、親友厳島裕二の勇姿をこの目に焼き付けんと鎮座した。そしてその厳島の両親は法被とハチマキ、メガホンを持ってまさに息子の応援をせんと声をはりあげた。


その場にいる誰もが今、日本武道館で行われている日本歌謡大賞の大舞台に立つ一人の少年に期待と憧れとを抱き、各々が彼に声援を送った。

・・・

・・




やがて、オープニングが始まる。

煌びやかに光る舞台、それに熱狂する観客。ヴァイオリンやハープの音が入り乱れ、コーラスを担当する東京声楽隊の歌声が会場を包み込んだ。



『第23回 日本歌謡大賞』



司会者の読み上げにより会場のボルテージは最高潮に達した。観客からしてみれば、今から憧れの歌手、アイドルを生で見られるという特別感、そして我々出場者側からしてみれば名誉ある賞を受賞できる可能性が誰にでもありうるという興奮、そして緊張、全ての感情が入り交じり互いを相乗していた。



『まずは今年また去年の暮れにデビュー致しました、新人歌手達へ向けた新人賞の授与です。その前に、去年最優秀新人賞を獲得致しました近衛 正彦このえまさひこさんをお迎えいたしましょう』



去年、栄えある最優秀新人賞を獲得した近衛正彦が受賞曲をバックに入場すると日本武道館は割れんばかりの歓声に包まれた。今をときめく人気アイドルの登場は観客の大半を占める女性の心を一瞬にして虜にした。テレビの前の、手の届かない存在が遠くとは言えど今目の前に来ているというのだから、決して触れられぬとは分かっていようとも皆一様に必死に何かを掴もうと手を伸ばしていた。



と、その様子を傍らから見ていた俺は震いを抑えられずにいた。武者震いとかじゃなく、単純なる、緊張とプレッシャーからくる膝の震え。全くもって、これほどの大勢の前で歌うことが未だに慣れないし、なんからミスしたらどうしようだとか、やらかしてしまわないかとか色々な不吉な運命ばかりを思い描いてしまう。


よく、手のひらに『人』の字を3回書いて飲み込めば緊張は和らぐと言われているが、あんなものは迷信で、全くもって俺のような緊張しやすい体質の人間からしてみれば全く効果を示さなかった。

気分転換をしようにも、妙にふと緊張する要因が頭に過ぎればせっかく転換した愉快快適な感情が杞憂憂鬱へと引き戻されてしまう。


自分としてもとっととこのような羞恥心を脱ぎ捨てたいものではあるものの、その重い足枷はまるで直接溶接されたようにまとわりついて離れない。


これから場馴れしてくればある程度の観客の前で歌唱したとしても緊張をせずに済むのだろうか。ふと周りを見ればスタンバイする同期の誰もが、凛々しい顔立ちで大きく構えていた。俺はその姿に思わず萎縮してしまった。


やがて時は流れ、ついに出場者の入場となった。

駆けるようにして舞台へと歩みを進める、耳をつんざくほどの歓声を浴びながらやがて直立した。

この後、一人ずつパフォーマンスをしなければならないと考えると失神してしまいそうだが、自我はしっかりと保てていた。


出場者一人一人の紹介が終わると、我々は再び舞台袖へとはけて、パフォーマンスのスタンバイに入った。

・・・

・・



宇治正からしてみれば、さして今回の日本歌謡大賞は特段重要な賞ではなかった。年末に控える日本レコード大賞のネームバリューと比べてしまうと若干の名劣りは否めなかったからだ。


特に今回に至っては自身のマネージメントする厳島がデビュー曲である東京ロープウェイを引っさげての出場であるからに、たとえこの賞を獲得したとしても当曲のレコードの売上に直結するとは考えにくかった。東京ロープウェイは70万枚もの大ヒットを打ち出した、既にその名は世間に広まり中高生のほとんどは周知している代表曲であるが故に、今回の賞を獲得したとしても知名度の変化は見込めないと踏んでいた。


なら出場しなければ良かったでは無いか。と思うのも無理もないが、そう簡単な話でもなく。いわゆる世間体、業界人からの評判等々様々な要因も相俟っての出場であった。芸能界というのは単純な世界ではなく、いわゆる媚びへつらうことも重要で、今回厳島というW&Pの看板タレントを出場させることによって後輩である菊地杏子が今大会へ出場しやすくなるという利点もあった。


宇治正は、日本歌謡大賞の裏側で着々の年末に向けた準備を進めていた。


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