第38話
ジャケットの撮影が終わった後、すぐさま新宿にあるレコーディングスタジオに向かった俺は、疲れ果てながらも新曲の録音に挑むこととなった。
我が事務所の人使いの荒さは筋金入りであるが、まさか今日だけでジャケ写とレコーディングを済ませる予定であるとは思いもせず、人混みに当てられ疲弊しきった体を平復させることも叶わなかった。
ただ、後々このレコーディングに対する緊張を後回しにするのも自分としては良しとせず、なくなく根負けするに至った。
ブースに入り、息を整える。
大丈夫、一度はやったのだからまた出来るはずだ。
そう自分に言い聞かせ、傍らに立てかけられた譜面を眺めた。
この日のために、約2ヶ月かけて作り上げた自信作だ。例えデビュー後の多忙な時期でも、三大音楽賞の真っ只中でも、この曲の創作に耽った。
演奏の録音から約4週間ほど、長きに渡り続いた新曲発表への道のりはもう既に佳境を迎えている。
最後の仕上げとばかりに、俺はマイクスタンドの前に立つと、両耳のヘッドホンを抑えながら詞を声に出した。
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まだレコーディングが済んで翌日というのにも関わらず、宇治正さん含め、事務所もそしてレコード会社も早速新曲披露とばかりに雑誌や音楽番組、ラジオに電話をかけまくった結果、是非とも新曲の制作秘話そして新曲の披露をしてくれという依頼が殺到した。普通は、ある程度の期間秘匿し、準備万端の状態で新曲披露という流れが常識である。なにもレコーディングの翌日に大々的に発表するなんて、等の
なにも生き急いだとか、その場にいた誰しも、自制心が欠落していたとかそういう訳ではなく、これには深い事情があった。年末にもなればテレビやラジオ各局が主催する音楽賞レースがわんさかと開催される。
代表的な例でいえばかの『日本レコード大賞』である。その年の締めくくり、帝国劇場で行われるこの音楽賞は新人含めこの日本の音楽業界で活躍する歌手の憧れの的で、大賞を取れば話題性は抜群、今後永久にその栄誉を勲章のごとくプロフィールに刻むことが出来る。『厳島裕二 日本レコード大賞受賞』と言った具合に。
そのような年末行われる賞レースは決まってその年の中で目を見張る売上や成績を残した歌、及び歌手に対して賞を授与する傾向があるため、当然大会から1週間前に新曲発表して賞取りました、なんてことはまず無いと言えるだろう。
つまるところ、我々はそれらの賞を少しでも獲得できる確率をあげるため早く新曲を発表し、目覚しい成績を残さなければならないという訳だ。
なにも急いで新曲発表してまで賞を取らなくてもデビュー曲の東京ロープウェイで十分じゃないか、と思ったが宇治正さんいわく、そこは話題性の勝る新曲のほうが賞に選ばれる可能性は高いとのことで、このように大人たちは必死になって「我が社の厳島裕二が新曲発表しまっせー、じゃんじゃん宣伝してくれなはれ」とばかりにお得意様に電話を入れまくるわけである。
曲を歌わねばならない当の本人からしてみれば、これから目に見える激務が待ち構えていることに頭を抱えているものの、周りの歌手は以前も言った通りこの時期になると自分と同じく、新曲の発表を次々と行うため、仕方の無いことだと割り切れた。
そして翌日の夜、早速俺は例の新曲を引っさげて富士テレビへと向かった。
・・・
・・
・
「いつ見ても圧巻ですね」
「まぁね、テレビの力ってやっぱり凄いんだなってこの社屋を見るとつくづく思うよね」
「まぁW&Pはオンボロ賃貸ですからね」
「築15年だからね...」
夜、車から見えるパラボラアンテナはテレビ局らしさをいかにも演出しており、建物の中からまばらに輝く蛍光灯の光に目を細めた。富士テレビ社屋の駐車場前には既に数名の若年男女が、芸能人は今か今かと待ち構えていた。
幸い、宇治正さんの車には後部座席の窓に白いレース状のカーテンがかかっているため、パニックにならずに済んだようだ。以前と同様に、屋内駐車場に車を停めると裏口から車内に入った。
夜9時だと言うのに、これまた凄い数のスタッフが忙しなく動いているその光景は、いつ見ても圧倒されるような景色だった。
本日出演する、夜はヒットスタジオは実に2回目の出演で、この番組でデビュー曲を歌唱し以後知名度も右肩上がりになったわけであるからして、少なからず恩を感じるところがある。
奇しくもデビュー曲を初披露した同番組で新曲を披露するという事態に見舞われている俺であるが、これははたまた神によるイタズラか、単に事務所がオファーしたからか……恐らく後者が確実であろう。
しばらく局内を進み、楽屋へと到着した俺は早速衣装に着替えメイクを終えると、リハーサルのために収録スタジオへと向かった。
私は長年この番組のプロデューサーとしてそれなりに功労してきたと自負している。1970年に始まった当番組には今まで数々の有名アーティストが出演し、数々の名歌唱を披露してきた場である。伝説のアイドル山口百子から、かのイギリスの有名ロックバンドTHE KINGまで、全てはテレビの前の視聴者のためにという献身的な気持ちでオファーをし、毎週欠かさず一度も休むことなく初めから終わりまでこのスタジオでそれらの演奏を見てきた。
だから言えるのだ、今目の前で歌唱をする少年の異様な雰囲気とその実力の高さを。この番組に初登場したのはさほど昔でもなく、つい最近、言うなればちょうど3ヶ月とちょっとぐらい前、デビューしてまだわずかだというのに他の歌手を圧倒するほどの歌唱を披露し、日本の音楽シーンにおいて1つ衝撃を与えたことは記憶に新しい。
厳島裕二、今年デビューしたアイドルが豊作故か花の82年組と称される中で、一際目立った存在である彼は、弱冠16歳というその若さで複雑かつ誰も思いつかないような前衛的な曲を作り上げ、自らでその高い歌唱力を元に歌えあげる大天才、デビュー曲の東京ロープウェイは発表からわずか一週間程度でビルボードチャート上位にくい込み、その存在をいかんなく感じさせた。
そんな彼が今回なんと新曲を書いたというのだ。正直に言うと、彼は恐らく一発屋で終わるだろうと思っていた。たとえ顔が良くとも、例え歌唱力があろうともそれだけでは芸能界は生き残れない、デビュー曲に至ってはたまたま、まぐれ的に手の込んだ楽曲ができたに違いない。なぜそう思ったのかは今になって理由も分からないが恐らくこう思ったのだろう。「前例がない」と。
今まで数多の天才を見てきたが、そんな彼ら彼女らでもさすがに16歳で大人顔負けどころか、音楽の新たな歴史を切り開く程の斬新かつ天才的な楽曲を作っていたなんて聞いたことがない、それこそモーツァルトでもない限りありえない。きっとそう思い込んでいつしか否定的に見ていたのだろう。
ただ、その考えこそが愚かだったと言える。今、目の前で歌唱する彼の歌声と表現力はそれこそ前回に勝ると言っても過言ではなく、一体 高校一年生のどこからそんなカリスマ性が溢れ出るのかという疑問を抱くほどに、我々スタッフはリハーサルの段階から彼に魅了された。
まったく、カリスマ性を分泌させる臓器が彼だけに備わっているとしか思えないその出で立ち、タッパが180もあるのだから嫌にでも画になるその姿、そして整った顔立ちに人々を魅了する歌声、還暦近いというのにはるか年下のその少年に嫉妬さえ覚えた。
ただその嫉妬さえもかき消すように、見せつけられたのは聴くものを良い意味で唖然とさせるような楽曲だった。本当に彼が作曲したのか、そう思わせるほどの美しいメロディーとそれを飾る卓越した演奏、彼が今この場で一発屋どころか世紀の大天才であることを確実に証明した瞬間と言っていいだろう。
歌詞のストーリー性も相まって思わずその世界に引きずり込まれるような魅力的な歌唱は、冬の雪降る美しい情景を自然と感じさせる何かがあった。恋愛ソングというある意味アイドルとしては平凡になりつつジャンルではあるものの、今までのものとは圧倒的に違う、リアルかつ儚げな、そして身近に起こりうる人間ドラマが歌詞の中に込められたこの新曲を聴いている時間、まるで深い眠りに入ったような、刹那に感じられた。
歌詞、そしてメロディ、歌声、雰囲気、どれをとっても今年ナンバーワンの冬ソングがこの場で披露され、そして今後暫くはこの曲を超え得る作品は出てこないだろうと思う。
私はこの曲を聴き終えた後に思わずこう言った。
「すげぇ...」
拍手どころではあまりにも賞賛するには物足りない、心のうちからその感想を力説したくなるようなパフォーマンスに思わず我々スタッフは立ち尽くし、尊敬とそして感銘の視線を向けた。
一方、その視線を受けた彼は何事も無かったかのようにケロッとした顔で本番で見せるパフォーマンスの思案をしていた。
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