第35話

「転校か...退学か...ね、かぁーそっかあんた芸能人だもんねぇ...」


「とりあえず、マネージャーの宇治正さんとも話し合った方がいいだろ」


「うん、ちょうど今日話したよ」


「で、なんて...」


「退学の方が良いって」


「そりゃまた...難しいな。よしここは"大卒"であるお父さんに任せなさい」



夜、長い労働から帰宅した俺は少し遅めの夕飯を取りながら両親と高校のことについて深く話し合っていた。母は高卒、父は大卒ということもあって2人とも高校は卒業している身、高卒というレッテルがいかに大切であるかということは重々に承知していた。



「高卒って...中卒なんかよりもよっぽど未来の選択肢が増えるわけだし」


「でも裕二は芸能一本でやっていくんだよな」


「まぁ、一応ね」


「でもお父さん...このまま退学したら中卒よ?せめて芸能系のほら...なんて言ったっけ?ホリ?」


「堀越ね...」


「そう、そこ行けばいいじゃない」



母は否が応でも高校を卒業させたいらしい。対して父は宇治正さんと同じく高卒でなくとも仕事には困らないだろうという認識で退学も大きな選択肢として視ていた。



「宇治正さんは退学をなんで選んだんだい?」


「このまま高校を通っていても将来的に芸能っていう仕事に直接関係があるわけじゃないし...とか、あと例え転校したとしても忙しすぎてそこでも単位が足りなくなるって...」


「...でも芸能系の高校なんでしょ?ほらツッパリ隊のリーダーの子」


「あぁ、マサね」


「そう、マサくんも通ってるような高校なんでしょ?」


「んー、なんて説明したらいいんだろうな...」


「ん?」


「このこと、口外しないでね」


「なに?ゴシップネタ?」


「違うって...」



芸能界の熱愛報道に毎度関係もなく一喜一憂している母からすればゴシップ的なネタは大好物とも言え、机に身を乗り出して興味津々に耳を傾けた。

あいにく今回に至っては熱愛とかではなく、単純に芸能界の裏話である。



「マサが所属してる事務所ってかなりの権力を持っててさ」


「サニーズ?」


「そう、でそこからデビューしたタレントってもれなく売れてるらしいんだよ」


「うん...」


「だから、仕事のせいで高校に満足に通えないことなんてザラなんだってさ」


「...」


「だから、サニーズ事務所は所属するタレントが通う高校と契約を交わしててね...」


「...それがどうしたの?」


「こっからが難しい話なんだけどさ...そもそも芸能学科とかタレント学科って普通科と何が違うか知ってる?」


「さぁ...」


「そういった学科って、生徒が仕事で忙しくなったり、どうしても学校に通えないって判断した場合は通信制だとか、あと単位やら欠席日数やらを特別に免除してくれるらしいんだけど」


「うん...」


「実はその単位免除の特権はかなり厳しい審査を得た段階で得られるものらしい」


「厳しい審査?」


「そう、しかもドラマ撮影とか映画撮影とか、並大抵の事じゃないと無理らしく...まぁ、そう簡単に単位免除は受けられないって訳...だけどマサたちは」


「あの子たちは特別ってこと?」


「そういうこと...まぁ、悔しいけどサニーズ創設以来から契約してるらしいし、新たに他事務所と契約することはなかなかに難しいらしい。ムーンミュージックとかもその一例だとか...」


「うそ...」


「だから、芸能学科に通うことは無理です...ただ、例外もあるよ」


「どういうこと?」


「定期テストで全教科80点以上を取れば、さっき言った通り免除の対象になる」


「...あぁ、あんたの頭じゃ...」


「そう、平凡クラスの頭脳の俺からすれば最初から鬼畜な話ってわけ...だから退学と」


「意外としっかりしてんのね、宇治正さんの理由」


「当たり前でしょ、宇治正さん早稲田卒のエリートだよ?」


「嘘...」


「ほんと...確かに最初聞かされた時は俺も同じ反応したけど」


「そう言えばお父さん、どこの大学卒業だっけ?」


「千葉海洋産業大学だよ...比べるなよ、早稲田とかいうビッグネームと...」


「うん、、、ごめん」



神妙な空気が食卓に流れた。





35話





曇り、秋にしては凍えるような寒さの今日、俺はCM撮影のために都内のスタジオに訪れていた。ケータリングに並べられた甘いココアの香りに満たされたスタジオには、茶色を基調とした背景と革張りのソファ、そして中央にはチェス台が置かれていた。


CMの内容は至ってシンプル、チェスをして勝った方がココアを飲めるというもの。最後に一口飲んで「ココアはやっぱり江永」と呟くだけだ。特にこれといったセリフや仕草等の決まりはなく、監督からは「どうぞ厳島くんのやりたいように」とだけ言われた。


いわゆるアドリブでやってくれというわけだ。

俺は共演する外国人タレントの方と挨拶を済ませた後、衣装に着替えた。普段、ステージではスーツを着ているからか、楽屋には深い茶色を主体としたスーツがハンガーにかけられており、袖に腕を通したところピッタリのサイズだった。



「凄いですね、ピッタリですよ」


「実はサイズ、私が教えたんだ」


「え...」



宇治正さんが自慢げに語る。人の体型を知らないところで教えるなんて至って誇れることではないと俺は思う。



「まぁ、女子じゃあるまいし、気にする事はないでしょ?」


「いや、気にしますよ...もしも意外に太ってるなとか印象持たれたらどうするんですか」


「太ってないからいいじゃないのー」



宇治正さんはココアをすすりながら答えた。今すぐそのココアを顔面にぶっかけてやりたいところだが、あいにく衣装を着ているため出来ないことが悔やまれる。


メイクを終え、スタジオに入るともう準備が済んでいたのか照明が強く空間を照らしていた。これから撮影するCMは初冬から3月頃まで放送全国区で放送されるものだ、自然と気合いが入る。


リハーサルとしてチェスの打ち方をプロのチェスプレイヤーの方に教わったところで本番となった。俺はココアの香りを深く吸った。







「おつかれー」


「お疲れ様でした」



撮影が終了したのは正午を過ぎた頃、丁度高校の時間割で言うお昼休みの時間帯だった。まだ昼食をとっていない我々はどこのお店で済ませるかと二人して悩んでいた。そんな時、監督の横水さんがとある提案を呟いた。



「ここの近くに美味いラーメン屋があるんですけど、そこの出前とります?」


「あぁ...出前ですか。私はいいと思いますよ、厳島くんは?」


「自分も構わないです」


「分かりましたー、おいメーランのマエデーよろ...ん?なに?種類はなにか?...すいません、種類とか他にサイドメニューも頼めるみたいですけど」


「私は醤油で、厳島くんは?」


「自分は味噌チャーシューで」


「宇治正さんが醤油、厳島くんが味噌チャーシューと...OKです。今の聞いてたか?」



横水監督はADさんに指示を飛ばすとすぐさま出前を取らせた。



「いやはや、うちのもんは中々にトロくて...本来ならもっと撮影押すかと思ってたんですけど、厳島くんのおかげでなんとか巻けました」


「いえいえ、こちらも優秀なスタッフのおかげで大変に助かりましたよ」



大人同士の社交辞令を目の前にしつつ、俺はスーツを脱いだ。外は寒けれど、屋内スタジオのせいか暖房が効いてて少々熱い。



「そう言えば、その衣装のスーツ。クライアントさんからのプレゼントですって」


「え?」


「ザギンの超高級テーラーのオーダーメイドだそうで、一張羅で数百万なんて気前がいいですなぁ」


「す、数百万!?」



今、身にまとっているスーツが車一台買えてしまう程の値段であることを知った俺は、脱いだジャケットを丁寧に再び着直した。

ぞんざいに扱ってシワができたらとんでもないと少々背筋を伸ばす。



「いやはや、厳島くんも最近は随分と忙しそうで、この後も仕事の予定があるんでしょう?」


「えぇ、NNNの『レッツオーヤング』に出演する予定で」


「そうですか、しかしNNNときましたらやはり大晦日の紅白歌合戦!あれは楽しみで仕方がありませんな」


「どうでしょうかね、まだデビューして僅かなんで、出場できるかどうか...」



紅白歌合戦とは、日本国民なら誰でもご存知の大晦日に行われる恒例の歌番組だ。女性歌手が赤組、男性歌手が白組に別れて毎年点数を競い合うという国民的な番組である。紅白に出れたら一流とまで言われるほどにその影響力は大きく、夜9時からの放送だと言うのに毎度毎度視聴率は数十パーセントを獲得する人気ぶりは、影響力の名に恥じない。


ただ出場できる歌手は誰彼構わずというわけでなく、その年の功績や人気度等から厳正な審査を行った上で僅かばかり出場できるという極めてシビアな番組でもある。恐らく今年7月という遅めのデビューである俺にとって、出場することは夢のまた夢であるに違いない。


ふと宇治正さんは自慢げに話した。



「今年はたとえ駄目でも、来年には必ずや出場しますよ。本来なら出場エントリーを行って審査をしてからの出演依頼ですが。我社の厳島は、逆オファーされるほどの活躍を1983年、とくと世間に見せつけてやります」


「それはそれは、我々としても頼もしい限りで、何せ厳島くんの効果でこの商品の購入が促進されれば、また新たに厳島くんを起用した新作CMが我々の会社を通じて撮影できる。ウィンウィンならぬ、江永乳業も、我々もそして厳島くんらも得なウィン・ウィン・ウィンの関係ですな。」


「あっはっはっはっは」


「あっはっはっはっは」


「はっはっ...はぁ...」



取らぬ狸の皮算用、先の金を見据えて大笑いする大人たちを苦笑いで見つめる俺だった。――――――




「あ、うま...」


「ほんとだ、スープがめちゃくちゃ美味い」



ラーメンを啜る音がスタジオに響く、先程までココアのCMを撮っていたというのに、一気にアステカ(ココアの発祥地)から中国へとひとっ飛びした気分だ。一足先に麺をすすり終えた宇治正さんは席を立つとそそくさとタバコ片手にスタジオを出ていった。



「そう言えば厳島くんってどうやって作曲してるんですか?」



横水監督から素朴な疑問がぶつけられ、箸を休める。



「どうやって...やってることは単純に絵を書いたりだとか頭の中で妄想したりだとか、そういったことと変わらなくて...単純にメロディが思い浮かんだらそれをメモしてます」


「でもメモしてからが大変なんじゃ?」


「まぁ、そうですね、自分の場合はAメロとかサビとかパーツごとにメロディっていう部品を作っておいて、そこから組み立てることが多いです」


「そこが難しそうなんだよなぁ...」


「横水さんは曲を作ることってあるんですか?」


「ん?昔ね、ほらビートルズ来日の時なんかバンドブームで、女子にモテたくて軽音楽部入ったけど、学祭でボロ負けして夢半ば諦めたって状態で」


「なるほど...辛い過去で」


「でも、そのおかげで今の仕事も見つけられたし、これでも結構稼げてるし...結果オーライですわ」


「良かったです...」



刹那、スタジオの扉が大きく開かれた。開けた張本人である宇治正さんは、肩を縦に揺らしながら大きく深呼吸をした。



「どうしたんですか...」


「こ、ここの電話ってどこにありますか...はぁ、はぁ」


「それなら、そこから右に曲がってすぐ...」


「あ、ありがとうございますっ」



そう言うと再び走って姿を消した。



「ちょ、ちょっと失礼します」


「お、うん」



何事かと席を立った俺は、宇治正を追いかけた。やがて通路を進むと見えてきたのは、受話器を耳に傾けながら何かを熱弁する宇治正さんの姿だった。



「えぇ、えぇ、はい!ですから、どうか頼みますよ!...じゃあそういう方向で、はい」



受話器を置き、一息ついた宇治正さんに事の顛末を聞いた。


それは先程、宇治正さんが一服するためにスタジオの外へと向かった時だった。季節は秋、曇りながらもかなりの冷え込みを見せた今日この頃、スタジオ外はそれなりの気温の低さで、厚手のジャケットを羽織っていても鳥肌が立つほどだった。


外にある喫煙所まで歩みを進めた宇治正さんはとある少女に目を向けたのだという。彼女は出前を頼んだラーメン屋『飯来はんらい』の白い服を身に纏い、寒空の下、自身の吐く息で手を温めていたのだが、その容姿たるや、今活躍するトップアイドルらと肩を並べても粗相無いほどの麗人だったらしい。


思わず咥えたタバコを落としかけそうになるほどにその雰囲気と、見た目に目を奪われた宇治正さんは急いでスタジオの中に戻り事務所に電話、すぐさまこう言ったのだという。


「ダイヤの原石を見つけました!!」と。







―――――――――――――――――――――


今回の話は少し長い気がしてならない。いや長い。

無駄な会話が多すぎて話が入ってこないと思いますがご了承を。



内容を簡単にまとめると。

『高校のことについて家族に相談』『ココアのCM撮影』『スーツを貰う』『後輩ができる』

っていう話です。


CMの共演者が何で外国人タレントなの?と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、当時のCMを観てみると大半のCMには外国人モデルやタレントさんを起用しています。本当に日本のCMなのかこれ?とおもうほどに。


一説によると、日本人タレントを多く起用すると生活感が溢れてしまうから、外国人のモデルさんであったりを起用していたらしいです。


どうぞ『1980年代 CM』で調べてみてください。




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