第33話
夜8時、新宿音楽祭は佳境を迎えようとしていた。全22組の歌唱は冷めやらぬ熱狂の中終わりを告げようとしており、例年と比べかつてないほどの接戦を繰り広げた日本武道館では一種の虚無感が漂っていた。
例えるなら夏休み、数日にわたって開催される夏祭りの終わりのような、お盆休みの帰省からの帰路のような、いわゆる意気消沈状態である。
観客からも応援疲れが垣間見え、出場者の我々もようやく波乱の三大新人賞がこれで終わると一息ついていた。そんなお疲れモードが漂う一方、駐車場に設けられた関係者用スペースには今からが本番だとばかりに各種報道陣が集まっていた。
車から大型のカメラを降ろす者、録音機を抱えインタビューをせんとする者。なぜ、今になってメディア関係者が集結しているのかと言うと、今大会の閉会式兼授与式が行われ栄えある新宿音楽賞 最優秀新人賞が決定されるからである。
毎年行われるこの大会の結果を翌朝のニュースにと、言わば獲れたての新鮮な魚介類を市場におろす漁師のごとく、今か今かと大会の結果を待ち構えていた。
33
『第15回新宿音楽賞 結果発表!!』
我々出場者は一様にステージ上に並べられた、既に歌唱は済み、大会も終わりに近づいているにもかかわらず、未だに応援の声が会場内に響いていた。
アイドル豊作の年と呼ばれた1982年の新人賞レース、これほどまでの熱狂を見せたのは期待の若手がわんさかとデビューしたからだろう。
司会によるアナウンスが成されたところで、照明が落ちた。刹那我々出場者一人一人にスポットライトが当たった。ドラムロールが鳴る。この中の8組が銀賞 2組が金賞として選ばれる。
『まずは銀賞の発表です。エントリーナンバー4番
エントリーナンバーと名前を淡々と読むその光景は拍子抜けとも言えた。呼ばれた出場者が一歩手前に出て次々と頭を下げていく、その表情は銀賞が取れたことに対する安堵によるものと、金賞を取れなかったことに対する悔しさが滲み出ていた。そんな中、予想外の名前が銀賞獲得者に連なることとなった。
『エントリーナンバー12番 水谷きみえサラブレッドレコード エントリーナンバー9番 今泉 涼子 ワンモアレコード エントリーナンバー20番 ツッパリ隊 SCB サニー』
最有力候補とされていた3名の名が羅列された瞬間、会場は騒然となった。よもや不動の人気を誇るツッパリ隊は年末に行われる賞レースでも最優秀新人賞を期待される新人である、ファンの数も多く、主に中高生の女性からは圧倒的な支持を受けている。
名の売れた新人3名が銀賞ということは金賞として考えうる人間はよもやあと2人と会場の誰もが思った。
刹那、会場の客席から何かが投げ込まれた。
それは回転しながら放物線を描き、中川さんに迫らんとする。俺が投げ込まれたものをようやく視認出来たのは既に彼女に当たる目前であった。
空のビール瓶、そんなものが当たってしまえば間違いなく怪我は免れないだろう。
考える暇もなかった、ただ無心に俺は横にいた中川さんを守るように庇った。
ガラス瓶の割れる鈍い音が響く、瓶は俺の頭に直撃しヒビを入れながら舞台上を転がった。
次第に温かい感覚が後頭部から流れる。観客に流血沙汰を見せてはならないと判断しすぐさま前方を向き直った。舞台袖から関係者が数名駆けて来るのを察し、俺は袖へとはけた。―――――――――
自分が金賞そして最優秀新人賞を獲得したと聞いたのは舞台ではなく医務室の診察台の上だった。不幸の後に喜ばしい結果を聞かされるとこうも人間は複雑な心境になるのかと内心苦笑いをうかべたが、嬉しいことに変わりはない。念願の最優秀新人賞、この大会で数多の出場者の中から最も評価されたという勲章はバッチでは無いものの立派なトロフィーとなって俺の手元に収まっていた。
ただそんな最優秀新人賞に輝いたような人間が頭に包帯を巻いているとなると、実に様にならない絵面だったのは言うまでもない。幸いあの、果物ネットのようなものを被らないだけでもまだマシではあるものの、ハチマキのようにグルグルと巻き付けられた包帯は、とても金賞を獲得した新人だとは思えないような不甲斐なさを演出していた。
医師の診断によると、幸い持ち前の石頭のおかげで頭蓋骨への損傷もなく、外傷も深くないので縫わずに患部を保護していれば早くて一週間程度で治るとの事だった。ただその間、洗髪等は避けるように言われた。今が夏場じゃなくてほっとしている。
症状は軽いものの安心は出来ないとのことで、くも膜下出血として悪化する可能性もゼロではないことから定期的な通院を進められた。宇治正さんもそのためにスケジュールを調整してくれるとの事で、いい大人に恵まれて本当に良かったと安堵している。
「災難続きのところ悪いんだけどさ...この後、写真撮影...あるんだよね」
「は?」
聞いていない。大方写真撮影やメディア関係者によるインタビュー等々、最大の新人賞レースのひとつとされる新宿音楽祭であるが故にそういった予定が大会後にあることは安易に予想出来たものの、今の俺はその事実を否定したかった。
だから言った。聞いていないと。
「聞いてない...。」
「ま、賞レースの終わりにはこういったものが付き物だし、言わなくてもわかってくれるかなぁと...」
「分かってますよ...分かってますけど、聞いてないですよ」
「...ん?」
「.....なんて言えばいいんだろう、んー、もちろん大方そういったことは予想がついてたんですけど、如何せん信じたくないというか...」
「どういうこと...?」
「...ほら」
俺は頭に巻かれた包帯を指さした。
「あぁ...」
「こんなダサい姿、撮られたくないですよ...新宿音楽賞史における恥さらしにはなりたくないです」
「...そうは言われてもねぇ、君はこの大会で最優秀新人賞もとってしまったわけだし...ま、行くしかないよね」
「...」
「行くしか、ないね...」
「...」
「ほら行くよ」
俺は地に根を生やし、断固としてその場を動かない姿勢を貫き通そうとしたが、宇治正に軽々と腕を引かれ、写真撮影を行う日本武道館の正面玄関へと向かった。
今大会の協賛会社が書かれたパネルの前には撮影用の階段があり、既に俺以外の出場者が位置決めをしている最中であった。未だ並んでもいないのに既にものすごい数のフラッシュが焚かれ辺り一体が光に包まれていた。
ふとマサが俺に気がつくと釣られるように他の出場者もこちらを向いた。皆、目を見開いて一様に驚いている。恐らく頭に巻き付けられた包帯のせいだろう。俺はメディア関係者によって形成された人混みをかき分けながら撮影用のパネルへと向かった。
「い、厳島くん...その頭」
パネルの前に来るなり誰よりも早く聞いてきたのは今泉さんだった。
「ほら、瓶が当たってさ...ちょっと血が出ちゃって」
「そ、それって大丈夫なの?」
「ん?うん、一応通院はしろって言われてるけど症状は軽いらしい」
「そ、そうなんだ...あ、安心した...」
目が泳いで全然安心しているようには見えなかった。この場にいる誰もが少なからず俺の怪我を心配してくれることは微弱ながらも感じ取ることが出来た。今回、俺の後頭部に直撃したビール瓶ではあるが、もしもあの時咄嗟に庇っていなかったらと思うと、はたして中川さんがどうなっていたのかなんてことを思ってしまう。
少なからず、彼女に怪我はないわけであるし、傷も案外軽傷であるので結果オーライと言えよう。
俺は焚かれたフラッシュに固い笑を零した。
―――――――――
中川朱美は自身を悔いた。
つい数十分前、新宿音楽賞の結果発表の際に起こったハプニング。客席から空のビール瓶が投げ込まれるという事件は一人の少年によって事なきを得た。
おかげで彼女は怪我をおうことはなかったが、同時に厳島裕二が被害にあってしまったことを嘆いた。彼が怪我をしたのは自分のせいだ、彼女はそう思っていた。
――――――――――――――――――
会話少なめ文章多め。
読みにくいとは思いますが如何せん書くのが難しくて...。
ちなみにこれにて三大音楽賞編は終了になります。
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