第32話
日本武道館という場所は、我々音楽を生業とする者達にとって聖地と認識しても粗相ないほどの非常に意味合いのある重要な舞台である。
『夢は武道館ライブ』
誰が言ったかは知らぬが、こういったフレーズがよく若手ミュージシャンから見受けられるのも、今まで数々の伝説的な歴史を残してきた金色に光る擬宝珠のお膝元故だろう。
だからこうして緊張しているのだ。
今の俺にとって、ここ武道館の舞台に立つということは、自身の音楽生命における集大成なわけで、さもデビューしてから数ヶ月程度で上がれるような生半可なものではない。
要約すると『え、武道館?早ない?俺まだ新人よ...』といった心境。
ただそう思っているのは他の出場者も例外ではないようで、水谷さんは先程から緊張からか水を口に含む頻度がかなり上がっているし、今泉さんはずっと深呼吸をしている。
きっとここ聖地には舞台に立つ者に対して一種の満足感と達成感を感じさせる神秘的な力があると同時に、プレッシャーや緊張を強く思わせる魔物が潜んでいるに違いない。
32
蛍光灯の白色が続く関係者通路に我々出場者は、紹介順に並べられた。一人一人が肩から自身の名前とレーベルの書かれたタスキを引っさげ、さながら選挙に出馬した政治家のようであった。
スタッフに誘導され列を崩さぬように移動をする。ここでの間、終始沈黙が流れていた。今から三大新人賞の最終決戦の場へと向かうのだ、談笑する気にもならなかった。
やがて、真っ暗な舞台袖へと到着するとその場で少し待つようにと促される。瞬間、セットの壁一枚挟んだ向こう側がやけに明るくなり、オープニングの音楽が流れ始めた。同時に、多くの観客の高揚感が声となってザワザワと耳に入ってくる。
中には未だ入場していないのにも関わらず応援するアイドルの名前を叫ぶ熱狂的なファンの声も見受けられ、壁越しからその膨大な人数が感じ取れた。
そんな熱狂に包まれながらも会場には司会のアナウンスが木霊した。
『第15回 新宿音楽賞 去年の暮、また今年デビューした新人歌手たちによる熱き戦い。銅賞 銀賞 金賞そして最優秀新人賞、栄えある栄冠を掴み取るのは誰の手か。この音楽賞で金賞を勝ち取った素晴らしき若人は世界でも権威ある、名だたる音楽賞 グラミー賞授賞式の会場へと招待される。それだけに、新人たちにとってこの音楽賞ほど価値のあるものは他に無く、全身全霊で挑む至極の新人賞なのである。会場に集結した諸君らは本日、日本のいや、世界の音楽を支える伝説的な歌手の羽ばたきを目の当たりにするのである。…………それではここで、昨年度第14回新宿音楽賞で栄えある金賞を勝ち取った、お二人の登場です』
コツコツという革靴の音が後方から聞こえてくる。一様に皆その方向へと振り返るとよくテレビで見知った顔がそこにはあった。
「近衛...正彦...」
今、芸能界における男性アイドルの中でトップの知名度と人気を二分するうちの一人で、サニーズの看板アイドルである。彼は我々の前を颯爽と通り過ぎるとゆっくりとステージへ向かう入場口へと歩みを進めた。
彼に光が当たった瞬間これまでの歓声の数十倍にも膨れ上がる轟音が日本武道館を揺らした。近くいたマサは事務所の先輩でもある近衛さんの人気を目の当たりにし苦笑いを浮かべている。
我々新人にとって目指すべき目標とも言えるトップアイドルの肩書き、女性でいえば蒲田清子さん、男性でいえば近衛さん、彼ら彼女らの人気を目の当たりにすると到底自分なんかと気圧されてしまう。
ただ場違いにも俺は『当面の目標は見据えた』と言わんばかりに彼の背中を眺めた。
俺もいつかはあれほどの声援を浴びるほど、圧倒的な人気を誇るミュージシャンになってやると、あまりにも大きすぎる存在に強くライバル視していた。 ―――――――――――
「すごい歓声だったね...」
「いやいや、他の方に比べれば自分なんて」
「そう謙遜せずに、十分に厳島くんも有名人なわけだからさ、胸張った方がいいって」
出場者紹介とオープニングが終了し、俺は楽屋へと戻っていた。そこには既に両親の姿はなく、宇治正さんだけがポツンと椅子に座っていた。
両親は関係者席へと向かったらしく、客席側から大会の様子を観賞するらしい。
俺は宇治正さんと向かい合うように椅子を引き出し、息をつきながら着席した。
「ため息なんて吐いてると、幸せが逃げてくよ」
「ため息じゃないです...なんていうか、ドッと疲れたというか」
「はははッまぁ新宿音楽賞だからね、日本最大の新人賞のうちの一つだから疲れるのも当然だよ」
「...それに、あの近衛 正彦さんを目の当たりにしましたし」
「あぁ...近衛くんか...確かに彼は見ているだけで疲れるというか...元気を与えすぎちゃうというか」
「元気を与える、じゃなくて与えすぎちゃう...ですか」
「うん、デビュー前の彼を見たことがあるけど、なんていうかあの頃から身から溢れ出るようなスター性は変わってないよ」
「それいつの話ですか?」
「ん?3年前、確か彼が15歳のときかな」
「15歳って...中学生じゃないですか」
「うん、中学生だったね」
「はぁ...ライバル視なんておこがましいどころか...」
「ん?なんだって?」
「あ、いやなんでもないです。」
俺はポッドからお茶を紙コップに注ぎ、1口含むと席を立ち上がった。
「あれ、もう行っちゃうの?」
「はい…念の為、もうスタンバイしとかないと」
「じゃ頑張って、私はこのモニターから応援してるから」
宇治正さんが指をさすとそこにはブラウン管テレビに映る会場の様子があった。
「一番の特等席ですね」
「うん...そうだね」
厳島が楽屋を出ていくと宇治正は懐から紙を取り出した。
「...余命1年か」
宇治正が懐から取り出した"診断書"には『大腸がん』と記述されていた。―――――――――
新宿音楽賞開始から1時間が経過した。会場の熱気は未だ冷めやらぬまま、より一層増そうとしていた矢先、今大会で最注目すべき新人の名が会場に響き渡った。
『ベクターレコード 厳島裕二 参加曲 東京ロープウェイ』
刹那会場に響き渡る轟音。後にこの体験を会場にいた楽器隊のひとりが語っている「まるで、今日その時だけ日本武道館に局地的な地震がおこった」と、それほどまでに彼の名前は会場のほとんどを埋め尽くす若年層に浸透し、影響を与えていることがみてとれた。
今まで横浜音楽賞 銀座音楽賞と受賞には至らなかったものの、今回に至っては彼が最優秀新人賞の座を勝ち取るに違いないと誰もが思い、察したという。
デビュー当初、世間に与えたその衝撃的な人物像、若干16歳の少年が音楽シーンを覆すほどの前衛的な名曲を生み出したということは、たちまちニュースとなって世間を駆け巡った。
そんな彼への期待値こそがこの轟音を生み出したと言っても過言ではない。
彼は声援が大きく反響する日本武道館の舞台を颯爽と現れた。ピッシリと身にまとった紺色のスーツは、もはや彼の象徴的なシンボルである。スーツ姿の彼を見るやいなや、より一層会場の熱気は高まった。そんなボルテージ最高潮の中始まる強烈なイントロ。心臓を揺さぶる、聞くもの見るものに高揚感とアドレナリンを放出させるその様はさながら、かのキングオブポップに等しかった。
彼はマイクを片手に持つと、右足で小刻みにリズムを刻みつつ胸を撫で下ろした。
歌唱。誰もが耳を疑った。ただでさえデビュー当初から抜群の歌唱力と表現力を兼ね備えていたのにも関わらず、ステージ上で歌う彼の声は格段にクオリティを上げていた。この三大音楽賞という新人同士の戦場で、さらなる進化を遂げていた。
会場にいる皆、総意に思った。
『こいつ、マジですげぇ』
この男ならいずれは日本の音楽界を背負って世界に羽ばたくことが可能かもしれない、そう思わせてしまうほどに今の彼は歌唱力、そしてカリスマ性が最高潮に達していた。
日本武道館という舞台で他の出場者は萎縮する中、彼はこの舞台を思いっきり楽しんで、自分の実力を最大限にまで引き出そうと躍起になっていた。
その結果か、今夜は彼に勝利の女神が微笑んだ。
―――――――――――――――――――
【新宿音楽賞】
毎年10月の中旬に行われる三大新人賞のうちの一つ、規模は他の二つよりも遥かに大きく、賞の内容も豪華極まりない。
入賞者(出場者)全員が暫定獲得出来る銅賞
新人の中でも一際優秀であったものに送られる銀賞
新人の中でも目を見張る功績と今後音楽業界に大きく尽力すると思われる新人2名に送られる金賞
そしてその金賞の中から特に会場を熱狂させた者に送られる最優秀新人賞の計4つの賞がある。
かの蒲田清子もこの大会で最優秀新人賞を獲得した。
各賞の景品は以下の通り
銅賞
日本放送系列のラジオ、テレビの中で出演したい番組を一つ指定できる権利。
銀賞
賞金50万円。コンサートを行う際に日本放送が全面的に協賛する権利。また銅賞の権利と同様のもの。
金賞
賞金100万円。来年の1月に行われるグラミー賞への招待券。上記景品同様。
最優秀新人賞
特になし。強いて言うのであればその権威と功績。
賞への選出方法
会場の中からランダムで選ばれた100名による投票と、大会運営側の審査によって決まる。基本的に投票数が最も多かった者、そしてそれに続く暫定2位の者が金賞を受賞する。
最優秀新人賞は大会運営側の審査のみである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます