第30話

応急処置として巻かれたテーピングは遠目からでは同色の肌色なので存外目立たないが、つけている本人からすれば痛々しくて仕方がなかった。


案の定、俺の手を見たほとんどの人が「何かあったの?」「大丈夫?」といった労りの言葉をかけてくれた。皆も心配させてしまったことは本当に申し訳なく思うものの、この怪我を実は影で喜んでいる人間がいるのではないかと思ってしまうのは、俺の心が汚れているからだろう。


自分としては、なんなら喜んでくれていた方が気が楽だった。







30





手首をさすると自然と帰ってくる痛みが、ようやくギターの演奏が現段階では到底不可能であることを初めて実感させた。大会が始まって直ぐに、医師による絶望的な宣告を受けてしまった俺は、どうしてもその言葉を信じずにはいられず、否、信じたくはなかった。


この新人賞レースに挑むにあたり、どれほどの人々の期待を背負っているのかというプレッシャーのせいか、自分はそういった人々の気持ちを胸に挑むと息巻いていた矢先に発覚した今回の出来事、出鼻をくじかれるとはまさにこの事である。


自身の不甲斐なさに憤りさえ感じていた。

ただ、そう怒りに身を任せて何がなんでも糾弾するのは現段階では避けるべき事だと俺は思っている。ただ今は、たとえギターが握れなくなったとしても三大音楽賞の最優秀新人賞ないし金賞を他の出場者ライバルから勝ち取らなければならないという目的にのみに目を向けなければならない。


自分を追い込むような真似をしている暇は無いのだ。


そのためにも、ギターでのパフォーマンスが不可能になった分、自身の歌唱で挽回する他ない。

俺は早速、発声練習を始めていた。―――――




「本当に...すごいですね」


「えぇ...」



楽屋の外に微かに聞こえてくる歌声は、加減しているものと安易に推察できるものの、加減していても一際耳に残る綺麗な音色だった。

そんな歌声に酔いしれるように楽屋の扉の前に寄りかかる2人は、厳島裕二と顔馴染みの水谷きみえと今泉涼子であった。


彼女らは厳島の歌声に舌を巻きつつも、彼が手首を負傷したと聞きつけ、心配になり楽屋前まで来ていた。



「この様子なら、心配しなくても良さそうですね」


「はい、心配する方が野暮というか...」



それぞれが厳島の顔を頭に思い浮かべクスリと笑いあった。実際に面識を持ち、彼のことを少なからず知っているがゆえの笑であった。



「でも...ギターを弾けなくなっちゃったって本当でしょうか...」


「多分...私も中学校時代に部活で足首の靭帯やっちゃった時があったけど、あれは到底ギターの弾ける程度の痛みじゃないですよ」


「...なんか、心配です、あの厳島さんがって思うと」


「でも、正直言うとギターを弾けなくなったとしても彼の強みは変わらないと思います」


「はい、それは私も...なんていうか、歌のうまさだけでも十分に私以上というか」


「同意見です」



彼女らの心配する矛先にある厳島当の本人は、扉の前に寄り添う彼女らの気配に気づくことも無く発声練習を続けていた。―――――――――――――





やがて自身の出番10分前になると、楽屋の扉がノックされスタッフが入ってきた。出番だと言うのでついいつもの癖でギターを手に持ち向かおうとしてしまうものの、そういえばと思い出し机の上に置く。


長い廊下を革靴を鳴らしつつ移動するとやがて、舞台袖へと連れてかれた。理由は分からないが、入場の時とは違って歌唱は出場者が舞台袖から登場するのが通例らしく、袖からは既にパフォーマンスを行っているツッパリ隊の面々が舞台上で踊っている姿が目に見えた。


観客からの歓声は非常に大きく、それだけでもこのサニーズ期待の新人の人気度が手に取るようにわかった。果たして自分ができた時にこれほどの歓声が貰えるだろうか、果たしてせっかくの熱狂を盛り下げてはしまわないだろうか、そういった不安が頭をよぎる。


安心しろと自己暗示をかけつつ、頭の中で歌詞を羅列した。やがてパフォーマンスが終了し舞台上が暗転する。コツコツとこちらに向かって3人の人影が歩みを進めてきた、そのうちの一人は過ぎ去りぎわに俺に向かって「がんばれよ」と声をかけてきた。


恐らくツッパリ隊の黒部さんに違いない。

暗闇の中でもはっきりと聞き取れたその言葉は、やけに耳に残った。



『W&P所属 ベクターレコード 厳島裕二、東京ロープウェイ』



司会のアナウンスとともに舞台上を多くの照明が照らした。楽器隊の生演奏がホールに響き渡る。観客席からは先ほどと負けず劣らず凄まじい数の声援が投げかけられていた。


俺はワイヤーマイクを手に取ると、片手にぐるりとコードを巻き付けステージ中央へと歩みを進めた。









結果からまず先に言おう。

横浜音楽賞 最優秀新人賞は獲得するに至らなかった。自分も薄々勘づいてはいたし、実際目の当たりにしてその人気たるや会場のほとんどの若者を熱狂させていたに違いない。


最優秀新人賞を獲得したのはツッパリ隊だった。

観客の投票率のうち女性のほとんどがツッパリ隊もしくは俺に対して入れてくれたらしいが、やはり天下のサニーズ期待の新人ということもあり知名度も人気も完全に俺を上回っていた。


完敗である。


今後、銀座音楽祭、新宿音楽祭で最優秀新人賞を獲得するにはまずこのグループの牙城を崩さねばならない。その壁は高く分厚く、非常に強固である。

いずれはfns歌謡祭、日本レコード大賞の舞台で争わなければならない非常に強力なライバルだ。


ここでこの壁を越えられずして、最優秀新人賞獲得とは夢のまた夢だろう。


男性アイドルの希少性と女性ファンという根強い存在が何よりもその磐石な体制を整えている。同期の男同士、予想以上の強敵であることにお互い変わりはないだろう。


俺は残り二つの大会へ向けて気合いを入れ直した。

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