第16話
夜、とてもこれから仕事だとは思えないような時間に俺は宇治正さんの車に揺られ、スタジオへと向かっていた。夜はヒットスタジオ、生放送番組ゆえだろうか 遅刻は絶対に許されないのでスタジオに入る時間いわば『入り』とよばれるものに関しては一時間前と決まっており、夕飯も早めに済ませてきた。
車に揺られること数十分、たどり着いたのは富士テレビの所有する大きな収録スタジオ、広大な敷地の中に大きな建物が居を構え、ビルの1番上に立つパラボラアンテナが大量に設置された電波塔には富士テレビのマークが刻印されていた。屋外の駐車場を見る限りかなりの車が止まっており、それだけの多くの人間がこのスタジオ内で働いているとおもうと、普段ブラウン管の前でボケーッと見ている番組も見方が少し変わってくる。
やがて、我々は屋内の駐車場に車を進め、入口より少し遠目に駐車をした。シートベルトを外し、ドアを開け 外に出る。取り付けられた蛍光灯が等間隔に光を放ち、それはやがてスタジオの入口に続いていた。
コンクリートの硬い感触を靴底から感じつつも、俺は自動ドアを抜けてスタジオ内へと歩みを進めた。
16
長く伸びる廊下では多くのスタッフが忙しなく右往左往移動しており、とても真っ直ぐと通れるような状況ではなかった。
ただ、そんな中でも宇治正さんはゆっくりと何事も無かったかのごとく歩みを進め、そのおかげか無事速やかに楽屋へとたどり着いた。
楽屋の扉横には『厳島 裕二様』と名前が書かれており、扉を開けるとそこは畳の敷かれた小さな部屋だった。意外にも大部屋じゃなく個室であることにすこし喜びを覚えつつも、持っていたギターとスーツケースを床に置き床に座った。
「何を座ってるんだい?」
「なにか…ダメなことでも」
「あ、いや…楽屋挨拶に行くから」
「あぁ…楽屋挨拶」
楽屋挨拶、芸能人が番組前にそれぞれの楽屋に挨拶に赴くことを言う。そういえばという感じで再び腰を持ち上げると俺はとりあえず片っ端から扉を開けることにした。
・・・
・・
・
「それでは次の質問です、最近ハマってる食べ物は?」
「カプリフォーネというシャーベットアイスです」
「たしかCMをされてましたよね」
「はい、CM撮影の時に食べたら思わずハマっちゃって、溶かしてジュースとして飲むこともできるので暑い夏にはピッタリです」
「ありがとうございます、ではえぇ…デビューして2年が経ちますが今年の夏はどのような年にしていきたいですか?」
「新年の時も聞かれたんですけど、今年は今までの自分をさらに超えて成長する年にしたいです」
「なるほど、これにて質問は以上となりますありがとうございました」
「はい」
そう言うと、雑誌の記者は荷物をまとめて出ていった。マネージャーはお見送りをしてくると着いていったせいか、自然とこの楽屋は私だけの空間となる。
「そういえば…今日1人になるのこれが初めてだなァ…」
何気なく独り言を呟きつつも、横の壁に取り付けられた鏡を見る、顔に疲れが出ていた。ここ最近はかなり忙しくて一日4時間も眠れていない。今年は20歳になるせいか今までよりも仕事量が増えてきたように感じる。きっと成人を迎えた私に事務所側も遠慮をしなくなったのだろう。
ふぅ、と息をつきながら体を伸ばすとパキパキっと言う音を立て腰の関節がなった。
今年の冬は武道館でライブがあるため、体は大事にしなければならない。ただ仕事も増えつつある今、休みたいだとかいう弱音は吐けない。
「いつからこうなったんだろう…」
2年前にデビューして同期の他の子とも鎬を削りつつもお互い仲良くしていたのに、いつの間にか人気が出て、私一人だけが今やトップアイドルともてはやされている。最初は山口百子さんみたいに誰もが憧れる人気アイドルになりたかったのに、いざ上に上がってみると何とも言えない孤独感を感じた。
憧れていたトップアイドルという座席は思いのほか心地いいものでもなかった。
ただ、誰もこのことを分かってくれない。
「はぁ…」
思わずため息が出る。
その時
コンコンッ
軽いノックオンが部屋に響いた。
「どうぞ」
「失礼します」
若い男の子の声だった。聞いた瞬間に耳の奥をくすぐるような独特な声、たったその一言だけでもその声の主がどんな人物なのか気になって仕方がなかった。
扉が開き、入ってきたのは爽やかな少年だった。
「W&Pから来ました 厳島 裕二ですよろしくお願いします」
「あ……ムーンミュージックの蒲田 清子です」
「清子ちゃん、久しぶり」
「あ、宇治正さん!!」
聞き覚えのある声がすると思ったら、厳島くん?の後ろ宇治正さんがついていた。彼にはデビュー時にお世話になった過去があり、今でも尊敬してやまない業界人の1人である。
時折、W&Pの所有するレコーディング・スタジオでお会いする機会があったが、最近は海外でのレコーディングも増えてきたため会う機会は格段に減っていた。
「ど、どうして宇治正さんがここに?」
「いや何、うちから新しく売り出す新人が今日この番組で歌うんでね、まぁマネージャーとして着いてきたまでだよ」
「う、宇治正さんがマネージャーを!?」
「あぁ」
「…」
私たちの会話に入って来れない様子の厳島くんは私と宇治正さんが話す度に目線を行ったりきたりと動かしていた。
そんな彼の手を取り私は宇治正さんの凄さを力説した。
「ねぇ君!」
「は、はい」
「宇治正さんのマネージメントを受けられるなんて、もうこの業界にいるなら贅沢極まりないことなんだよ」
「え」
「人脈も随一、そして人望もあるし何しろそのマネージメント能力の高さ、私も自己プロデュースをする上で宇治正さんにお世話になったの」
「あ、あぁ…そうなんですか」
「だからね、厳島くん」
「…」
「存分に宇治正さんに身を委ねて、この業界で頑張ってね!」
「ちょちょ、清子ちゃん…アイドルなんだからそんな厳島くんに顔近づけて力説しないでくれよ」
思わず厳島くんの間近に迫っていたことに気がついた私は我に返りハッと離れる。
「じゃあね、我々はこれで失礼するよ」
「はい、また是非いらしてください」
「多分厳島くんの仕事も多くなると思うから、自然と会える機会も増えるよ…ほら厳島くん」
「あ、失礼しました」
そう言いながら宇治正さん達は去っていった。
私はさっきまでの疲れがどこへ行ったやら、心臓の鼓動をが強くなると同時に、興奮冷めやらぬ状態でその余韻を楽しんだ。
・・・
・・
・
「すごい人でしたね…テレビで見てた時とは全然違うというか」
「あの子の持ち前の明るさは天性だからね、どう?生清子ちゃん」
「なんか、テレビで見るよりも実物の方が可愛かったです顔が小さくて、花みたいな香りがして」
「そうだろ、明日クラスの子に自慢してあげな」
「草薙に言ったらあいつ多分悔しがって泣きますよ」
「そうか、やっぱ言うのはやめとくか」
「あ、でもこの番組出るって言っちゃいました」
「そうか……まぁ頑張れよ」
「…はい」
楽屋挨拶が終わり、番組のリハーサルを俺は楽屋へ戻ると衣装に着替えた。
「へぇ、スーツね」
「はい、父のお下がりですが」
高校入学祝いとして父が着ていたスーツを貰った。紺色の縦に線が入ったスーツ一式、ズボン ベスト ジャケット、今流行りのダボダボのものではなくピチッとしたもの、袖を通すと思わず背筋を伸ばしてしまいそうな気を引き締めるにはピッタリのものだ。
「うん、そっちの方がいいね 番組側に用意してもらおうと思ってたけども その必要はなかったみたいだ」
「別に番組のものでも良かったんですよ」
「いや、こっちでいいよそれに衣装着ちゃうとクリーニング代もかかっちゃうからね」
「なら持ってきて良かったです」
鏡を見る。
紺色のスーツの中にストライプ柄の黒と赤のネクタイがよく映える。胸元のハンカチーフはシルク製のもので、スーツとともに貰ったものだ。
俺はその後ヘアメイクさんに髪を整えてもらい、収録スタジオへと向かった。
一方宇治正はそんな厳島を見て、彼の将来に夢抱いた。
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