第17話

ギターを弾き始めた頃は、弦を抑える指が痛くて仕方がなく、しかも長い時間練習していたがゆえ、木目に血が滲むのも比喩ではなくよくあった。

それに、指を痛めた状態でピアノの練習を続けていたためか、いつしか指先の感覚が無くなるほど音楽に没頭したあの頃は、今にはない熱狂的な何かが胸の内にあったのだと高校生になった今 初めて実感した。


他にも聞いた曲を何度もリピートして、耳コピではあるもののノートに各パートの楽器のコードを書き込み、できる楽器は演奏してみる…といった傍から見れば異常行動と取られてもおかしくないことを繰り返していたおかげで、いつしか作曲能力も身につき、演奏技能も向上して言った。


人間、幾千幾万もの練習を積み重ねていれば、そのうち上手くはなる。

俺の場合、秋田の田舎ということもありやることがなかったおかげか、それほどの練習ができる時間は十分にあり、自然と修行のような練習を気付かぬうちにやっていたと言うだけで、ただそこまでして他者から見れば厳しすぎる練習を重ねていても苦痛に感じなかったのは、真に音楽を愛していたからかもしれない。





17





リハーサルは思ったよりも早く終わった。

今回、俺の曲に関しては生演奏ではなく録音しておいたテープから音源を流すとの事なので音楽隊との折り合いも必要なかったことが所以であろう。


その後、流れるようにヘアメイクで髪型などを整えてもらい衣装のスーツを着た俺は楽屋でしばらく待つことになった。


この待ち時間が永遠に感じるほどに俺は緊張していた。それを見兼ねた宇治正さんはなんとか気持ちをほぐそうと、他愛もない会話を続けてくれた。


そんな他愛もない会話が宇治正さんのマリリン・モンローを来日時に生で見たときの話に差し掛かった頃、楽屋の扉が開いた。



「厳島さん 出番です」



声の主は番組の若いADさんだった。

急いで準備を済ませ、スタジオへと向かう。


これが初の仕事、俺は自身に気合いを入れるかのごとく頬を両手で軽く叩いた。

・・・

・・




アイドルとしてデビューする時期が7月から後半というのもだいぶ珍しく、大体のアイドルはその年の初め、遅くても5月あたりにデビューするはずなのに年の後半という新人賞を目指すにも不利な状況でデビューした彼、厳島裕二くんに私は期待をしていた。


たった数十分前に会っただけなのに、この子は売れるだろうなぁという漠然とした印象を受けたのは、その容姿 それにどう足掻いても歌がうまそうな声質(つまりはイケボ)故だろうか。身長も高く、顔も男前 まさに女の子が憧れる男子を体現したような見た目は、たちまち世の少女たちの格好の的になるだろう。


何よりマネージャーがあの宇治正さんというのも大きな点で、彼は芸能界のみならずありとあらゆる業種に幅広い人脈を持っていて、さらにマネージメント能力も高い、まさに鬼に金棒だ。


ただそんな恵まれた彼が、絶えまない努力の片鱗を見せたのはほんの数分後の事だった。



「蒲田 清子ちゃんで『裸足の人魚姫』でした…さて、次はですねなんとつい最近デビューしたてほやほやのアイドルの子が来てくれましてね、厳島 裕二くんです」


「よろしくお願いします…」



歌唱後、私は出演者用の席に戻りつつも、スタッフのいるカメラ側から歩いてくる厳島くんの姿を目尻で眺めた。



「淳ちゃん何をそんなに落ち込んでるの」


「いやアイドルといえば可愛い女の子だと思ったから、まさか男の子だとは…」


「まったく…この司会者はいつになったら仕事するんでしょうね、若い女の子ばっかり見て…さて厳島くん」


「はい…」


「どうです、緊張してます」


「えぇ、少し」


「でもねぇ、凄いのよ…大体この番組に初めて出る子って緊張のし過ぎでもう大変に震えちゃうんだから…それに比べて厳島くんは落ち着いてますね」


「あ、そうですか…」



私もデビューしたての頃、番組のトップバッターを任されてその頃憧れていた歌手の方々に見られながら歌唱したけど、あんなに落ち着いてはいられなかった。


精神面も含めて厳島くんはなにか素晴らしい才能を持っている気がする。そう確信しつつも彼は歌唱を始めた。


スタジオの照明が暗くなり、ライトが彼に当たる。

刹那、曲が流れ始める。


とてもデビュー曲だとは思えないほど複雑な曲調とBPM テンポの速さは聞いている側に疾走感を感じさせた。ギター、ドラム、ベース、その他多くの楽器の音色がそれぞれのメロディで噛み合いつつもそれぞれに強い色が出ていて、まさにそれは衝撃だった。


今まで聞いてきた曲とは何か違う、賑やかでかつメロディの良さを多くの楽器が引き立てるような、一体どんな人物がこの曲を作ったのかと思わず気になってしまうほどイントロという曲の始まり、短い間に急激に引き込まれるような印象を受けた。


そんな私の感想もお構い無し、彼は慣れたようにその曲を歌い始めた。



「すごい…」



うまい、こう言ってはなんだが 彼ほどの年齢でここまで歌を上手く歌える人間が他にいるだろうかと思わせるほどにうまい。息遣い、アクセント、安定感のある高い歌声も、全ての要素が曲に引き込まれる要因として心をつかむ。


きっと才能なんかではない、その裏には絶えまない努力の賜物があるのだと感じた。


やはりベテランと比べてしまうと少し劣りはするもののこれだけ若いにもかかわらずこれほどの実力を発揮されると将来が末恐ろしい。

私は曲が終わると同時に拍手をした。

・・・

・・



司会者の御二方との会話もほとんど成り立っていないんじゃないかというほどの緊張も不思議と歌い始めてしまえば少し緩和される部分があった。


今回が初めての仕事、自然と気合いも入るしなにより自らが作った曲が故に、歌詞の意味を理解して歌いなさいという必要もなく、自然体で曲に気持ちを移入できたというのも緊張の緩和としては大きな要因として挙げられる。


喉のケアもしてきたので、つまづくことなく歌うことが出来た。ただ気合を入れすぎたせいか自分で自覚してなかった実力を感じることができたのは嬉しいハプニングだ。


今までもずっと本気で歌ってきたのにも関わらず今日は一段と調子がいいと言うか、普段よりも上手く歌えているような気がして、実感がわかなかった。



まぁ、そんなよく分からないどうでもいい話は置いといて『東京ロープウェイ』を歌え終えるとスタジオ内に嬉しいことに拍手が響いた。


俺は周りに会釈しつつも司会の二人が近づいてくることを確認する。



「いやぁ、すごい歌ですねぇ これは期待の新人ですよ」


「ありがとうございます」


「ところで、今の曲は…君が作詞作曲をしているとの事で…」



「「「「…え」」」」



司会のマリさんがそう呟くと、出演者の何人かが「…え」という、なにか不安になるような反応をしていた。その「…え」がはたして、引いているからかそれとも高校生が作詞作曲をしたという意外性を感じたから出たのかは分からない。


ただ、歌唱後の拍手とスタジオから去り際にグッドポーズを宇治正さんがしてくれたのを見るに反響は良かったみたいである。

・・・

・・



その日、厳島裕二という存在は音楽界に衝撃を与えたと言っても過言ではない。

若干16歳という少年があれほどに複雑に構成された曲を自分で作り出しデビュー曲として発表したというのだから既存のアイドルという枠を完全に飛び抜けて、曲を作ることが本業である作曲家にさえ脅威と言わせたその才能は、当時の私たちにとっては新鮮そのものだった。


なにか時代を先取りしたような、かといって私たちが理解不能に苦しむことがない名曲の数々がその番組出演を機に生まれていくとなると当時私が見ていたあの光景は伝説の始まりだったのではないかと感じる。今では世界的な大スターになってしまった彼の裏話を語るにあたって言っておきたいことは、彼が音楽界に衝撃を与えた そのデビューしたての頃はまだ発展途上の男子高校生にすぎなかったということである。


後に彼は………



(蒲田 清子 エッセイ本 『あの頃の思い出』より抜粋)













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