第10話
自分が音楽というものに興味を抱いたのは7歳の頃、住んでいた村の村長の息子に頼み込んでレコードを聞かせてもらったときからだった。
それまで知っている曲といえばどんぐりころころとかチューリップとか大概が童謡で、言わばロックや洋楽というものに対しての興味は微塵もなかった。
ただそんな年頃で情報が極端に遮断された秋田の田舎に引越したわけであるが故に、成長する過程で自ずと自然に学習するであろう、音楽の多様性というものに触れてこなかったせいか、1枚のレコードから聞こえるその曲に当初は随分と心酔したものだ。
まぁ引越して、たった1年で童謡からロックやアイドルソングに興味を持つというのもおかしな話であるが、当時住んでいた場所はそういった感覚を非常に敏感にさせるほど娯楽と呼べるようなものが無かったがゆえの結果であろう。
当時は山口百子が大変人気で、初めて彼女が歌っている歌謡曲なるジャンルの音楽に触れた時、娯楽に飢えた俺が大層な衝撃を受けたのは今でも幼い記憶ながらも鮮明に覚えている。
その後、年齢を重ねるにつれて様々な曲に触れていった結果、いつしか音楽にのめり込むようになり中学生になると貯めたお小遣いをはたいて、隣町に買い物に行く両親にわざわざ同行してレコードを買っていた。
ただレコードプレーヤーがないせいか一時期曲が聞けずに、ただレコードを集めるかなりコアなファンと化していた時もあった。
また、ただ曲を聴いているだけでは飽き足らず自らで演奏することも趣味の一つとして嗜んでいた。
ギターの弾き方は完全独学、村には教えてくれるような先生がいないので致し方のないことであったが学校の先生からピアノはちょくちょく習っており、時たま曲を聴いて耳でコピーしては独自の譜面で演奏をしていた。
しかし趣味というのはエスカレートするもので 演奏することに物足りなさを感じた俺は、ついに作曲もするようになった。ただこの趣味は両親にも仲のいい親友にも絶対に明かさないようにしようと固く誓った。
なぜなら、はずかしいから。
当時は中学生、思春期真っ只中の少年にとって自身の作品を知り合いに見聞きされることほど恥ずかしいことは無い。
そのうちいつしか、他の趣味でさえ自身の胸の内に押し込めるようになり 音楽が趣味であることを周りに悟らせぬようになっていった。
ただ両親は気がついていた、そりゃそうだ 同じ屋根の下に暮らす身なのだから嫌でもアコースティックギターをかき鳴らす音は聞こえてくる。
もちろん聞いたことの無い曲であるのならば、「あぁオリジナルの曲なんだな」と察するようにもなる。
いつの間にか他人から隠蔽しようとしていた趣味は隠蔽する以前に親という身近な人間に気づかれていたわけであるから、その時はもう絶望のあまり3日は会話が成り立たなかった。なるべく家の中で会わないように朝早く起きて独りで朝食を作り学校へ出かけてたのは今となってはいい思い出でだ。
ただ当時中学生だった俺にとって上京したての若者のような生活が続くはずもなく、いつしか自然と元の生活と関係に戻っていった。
両親としてはなるべく影で見守る体制を築いてくれるようになり、俺は存分に趣味を続けることが出来る。良い親の元に生まれてよかったと心底思った。
何より祖母が俺のこの趣味を第一に認めて応援してくれたと言っても過言ではなく、祖母は俺の部屋から何かしらのメロディが聞こえてくる度に耳を傾けていた。「ばばあの生きがいは孫の成長を見ることさ…私にとってはあんたの曲を聞けるのが一番いいね」と言ってくれた時は大変に嬉しかった。
ある意味、祖母が一番最初のファンなのかもしれない。
ただそんな祖母も亡くなり、義務教育も終わりにさしかかった頃 我が家は東京へ帰ることが決まった。卒業式では俺が伴奏を弾いた。
卒業式の
10
宇治正さんは何度か話し合いを進めた結果、俺のマネージャーとして再び手腕を振るうことになった。
ちょっとまて、急すぎて話についていけないという方、そう焦らないでいただきたい 今からしっかりと事の顛末を説明する。
まず始まりは草薙と駄菓子屋でアイスを食べた翌日のことであった。
高校から帰宅し、家の入口をあけると玄関には見知らぬ革靴が綺麗に並んでいた。
恐らく両親のどちらかの客であろうと居間を素通りし自室へ向かおうとしたところ、急に聞き馴染みのある声で呼び止められ、玉暖簾から顔をのぞかせるとそこには宇治正さんがいた。
これが彼が俺のマネージャーになる、事の始まりであった。
彼は出された玉露をひと口含むと重苦しくもやけに楽観的な顔をして話し始めた。
「こうしてここに来たのも、厳島くんのためだよ」
「…どういうことですか」
「なに、君を改めてスカウトしに来ようかと思ってね」
「…それでわざわざ自宅まで」
「…安心してくれ、決して押しかけたわけじゃない ほらスター降臨決勝の夜 君と一緒に中華料理を頂いただろ?その後に君の両親と話し合ったんだよ自宅に行ってもいいですかって 君のいない間に」
「いつまに」
さしづめ、俺がトイレに行っている間だろうか。
それ以外は片時も両親と離れることは無かった記憶がある。
「今 君は他の事務所からも多くのスカウトを貰って、どこに所属すればいいか分からないでしょ」
「…」
図星である。
スター降臨決勝後、23社の芸能事務所にスカウトされた。正直俺はどの事務所に所属するべきか 今でも悩み続けていた。
「心でも読めるんですか」
「いや、勘で言っただけ」
「…」
「まぁそんなことはどうだっていいんだ、なぜ今日私が君の家にわざわざ押しかけて君をスカウトしに来たのかというと誠意を表すためでもあるんだが…正直言うと君がうちに来てくれなきゃ、うちの事務所がちょっと危ういんだよねぇ…」
「…危うい?」
「そう、ホワイトバルーン解散後 うちの事務所の利益はだだ下がり、今は過去に稼いだ資金でなんとか食いつないではいるがいつしか倒産する」
「…」
「ただそれは非常に勿体ないということを君にわかって欲しい」
「勿体ない…どういうことです」
「うちの事務所はお世辞抜きで言っても恐らく業界一 パイプをもってる言わば大木のような事務所ってわけ、ホワイトバルーン全盛期時代に作り上げた人脈は海外にまで及ぶ、そんな会社が潰れちゃったら 日本の歌手が海外進出する夢は潰える」
「つまり…宇治正さんの事務所が日本で唯一 海外とのパイプを持っていると」
「いや、正確に言えばもうひとつある オーシャン・プロダクションっていう大手の芸能事務所」
「…ふたつあるんですか」
「いやいやいや、一緒にして欲しくないよ…彼らは大手だけど、海外との脈はほんの少しだけ、そうだな分かりやすく説明すればタコとイカのような…いやタコとクラゲの足ぐらい違う」
「分かりにくいんですが…」
「ぇ…わかりにくい?」
「…あれですよね、宇治正さんの事務所とそのオーシャン・プロダクションとでは海外とのパイプの太さ、数ともに全然違うということですよね」
「う、うん…そうだね…最初から普通に説明すればよかったな………まぁ、私はその脈を潰したくはないし、君もうちに入れば海外進出も目指せる…悪い話じゃないだろ」
「…でも、危うい状況なんですよね」
さっきから海外進出やら人脈やらと色々な話をされてきたが、最初っからそこが気になって仕方がなかった。危うい状況、その被害が俺にも及ぶとなれば「うちの事務所に所属してくれ」と言われても安易に「はい」とは言えない。
「危うい…まぁそうだね、ただ安心してくれ たとえウチが倒産しても君にはなんの被害も及ばない 恐らく他の事務所に引き取られるという形になると思う」
「…本当ですか」
「本当だよ、契約書にもそういう項目が記載されているし…何より君がうちの事務所に来てくれれば倒産する心配はもうないわけだし」
「…なんで自分にそんな期待をしてくれてるんですか」
「それは…君の演奏とか歌声に惚れたからだよ それに君とならアメリカという大海原で一旗あげることも夢じゃないと確信したから」
「過大評価ですよ」
「厳島くん…」
宇治正さんは真面目な顔をしながら、なにか心に訴えかけるかのように語り始めた。
「君は自覚してないかもしれないけど、はっきりいって君は天才だ、歌声も演奏も作曲能力も まぁすこし荒削りだけど…いいかい厳島くん、君ほどの逸材は恐らく今までもそして今後も出てこないと思う」
「…」
嘘のようには感じなかった。事務所に所属させるための口八丁、そうではないと確信させるほど 漠然とした強い覚悟が彼からは感じられた。
「考えてくれるだけでいい、うちの事務所か他事務所か 決めるのはもちろん君だからね…」
「…」
「…何かあればこの番号に電話してくれ、歌手としての収入とか芸能人になったらどんな有名人に会えるのか…とか 私としては君が少しでも芸能界に興味を持ってくれればそれでいい」
「…」
「とりあえず今日は帰ることにするよ、しっかりと熟考してくれ なにより君の人生だからね 我々にそれを強要する権利なんかないんだから」
彼はそう言うと俺と俺の母に向かって礼を言い、車で去っていった。その日の夜 俺は思案に思案を重ねた。
数日が経ち、俺は自宅の電話のダイヤルを回した。
「もしもし、あの宇治正さんという方はいらっしゃいますか?」
数日後 俺はW&Pのある赤坂へと向かった。
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