第8話

この世から一つだけ感情を消せるとしたら怒りでも羞恥でもなく俺は緊張を抹消したいと思っている。

いや、そもそも緊張の根源は羞恥から来るものか、しかし羞恥を抹消したからと言って緊張しないとも限らない、緊張たる感情の根源は様々なものから来ると言える可能性もある。


その辺に関しては蒙昧な俺にとっては全くの門外漢なので自身の狭い脳内の中で思案したとしてもたとえ井の中の蛙状態、深い知識もないのに考え込むほど時間を無駄にすることは無い。


ここまで長々と話してしまって申し訳ないが、俺は何故か出番が終わったあとでさえ緊張を抑えることが出来なかった。


どうしようか、このまま死ぬまで一生得体の知れない何かしらに緊張して生きていかなければならないと考えると怖くて仕方がなかった。





8




仮に優勝できたとして、景品である世界一周旅行を手に入れたらどうしよう。実は今までその事を考えたこともなかったことに気がついたのはつい先程であった。


出番が終わっても緊張が続いているという己の脆弱なメンタルを紛らわすべく、なにか他のことを考えようと思案した結果にたどり着いたテーマがこれであった。


世界一周旅行。


今回、この大会に出場した理由はこれを獲得するためでそれ以上もそれ以下もない。秋田の山村で生まれ育った俺にとって、世界一周旅行たるものは御伽噺と思えるほどの幻想で、未だに日本という国を知り尽くしていない俺が世界へ旅に出るということが夢のようであった。


ただ世界一周旅行とは名ばかりにその景品の内容は全く知らない、誰と行くのか どうやって行くのか 景品に関する詳細な情報を得られずにいた俺が頼れるのは自身の想像力だけだった。


きっと全国放送の番組であるからして、太っ腹なはずだ、家族全員分のチケットが貰えて、ホテルも用意してくれているのだろう。


こういった時、自分の考えうる最高の内容を勝手に想像してしまうのは人間の性だろうか、いずれにせよ世界一周旅行たるものに幻想を抱き、拝み奉る私はどうしようもない阿呆であった。






全出場者のプログラムが終了した。

番組スタッフに呼ばれ、控え室から向かったのは舞台袖で、実に一時間ぶりの決勝進出者の面子と顔を合わせるのは妙に懐かしげがあった。


このあとの流れとして、まず出場者全員が舞台に並び、各一人一人の点数を発表 そしてその後、この番組のメインイベントである、スカウトの時間になる。


順位発表よりもスカウトの方がメインとは何たることだ普通逆だろ、とお思いの方がいらっしゃるかもしれないが、順位はあくまで出場者の実力や魅力を数値化しただけに過ぎず、スカウトはその出場者が晴れて芸能界という大海原へと旅立つ貴重な瞬間なわけだ。


俺のような芸能界というものに一欠片も魅力を感じない男からすれば、この時間ほど退屈なものは無いが、他の出場者をからすれば息を飲む運命の瞬間なわけである。


スカウトの流れを簡単に説明すると、事前に芸能プロダクションのスカウトマンたちに配られた用紙に、誰をスカウトするのか出場者の番号を書き込み、集計の結果 少ない順から発表していくというシンプルな内容だ。


もちろんスカウト数が0の者も居るし、過去最高で28社を獲得した逸材もいる。

その後、スカウトされた出場者は各事務所と話し合いを行い、1つの芸能事務所に絞り込むという流れだ。



少し話しすぎてしまったか。

時刻は午後9時、ついに長きに渡る俺のスター降臨物語は終わりを迎えようとしていた。





「どうぞ」



スタッフからゴーサインを出され、我々出場者は再び舞台に立つ。


ここまでの道のり、非常に長かった。思い出せば、友人の草薙から世界一周旅行のことを言われ、欲望のままに予選に出場、あれよあれよと準決勝へ進出、そして何故か暫定一位を獲得し今この舞台に立っている。


今年は自分にとってどんな年だったかと聞かれれば真っ先にこう答えるであろう。


『波乱な年であった』と。まだ新年も近くない夏の出来事であることを忘れてはならない。

・・・

・・






「ぁーーーーーーーーーーーーーーー…」


「どうしたの、死にかけのヤギみたいな声出して」


「…どうしたの、じゃないんですよ」


「良かったじゃない、1位取れて」


「優勝したのはいいよ、優勝したのはね おかげで世界一周旅行も取れたし…だけどまさかこんな…」


「何が問題なの、万々歳じゃない…ねぇ父さん」


「あぁ、お前はよくやったよ…ほらせっかくこうしてお祝いに中華 食べに来たんだから元気だしなさい」


「元気は…出せない、だっておかしいでしょ?世界一周旅行 『1名様』って、1人で世界回れってか、まだ俺、高一だよ」


「可愛い子には旅をさせよって昔から言うじゃない」


「通訳もなしに世界一周って、命知らずにも程があるでしょ」



何故俺がこんなにしょげているのか、急展開過ぎてついて来れない方のために詳細に説明しよう。

点数発表の結果、俺は700満点中 691点とかなりの高得点を取り、見事一位を収めることが出来た。

その後、優勝トロフィーと賞状、そして景品である世界一周旅行の引換券のでっかいボードを授与されたわけであるが。


引換券のボードに書かれていた文字を見て俺は絶句した。



『優勝おめでとう!世界一周旅行 1名様!!』



と書かれているわけだ。

1名様だ、1名様。

俺の年齢は現在16歳 高校生になりたての言ってはなんだがほぼ中学生のような人間なわけで、そんな成熟していない未成年が1人で世界一周旅行に行けるわけが無い。


その後 番組のスタッフに景品のことについて聞いてみたが、帰ってきた返答はさらに最悪なもので。



「ホテル?それは自腹でしょ ウチが出すのは飛行機代だけ」



酷いもんだ。こんなことなら出場するんじゃなかったと後悔する。また、さらに後悔するようなことは立て続けに起こり。



「あの…すこし静かに」


「「「「「「「「「「「はい!」」」」」」」」」」」



俺の目の前にはどこぞのサイン会だと思うほどの行列が形成されていた。スーツを着て眼鏡をかけた、いかにも高学歴そうな大人ばかり、スカウトマンである。


この店にはかれこれ10分前に来たのだが、たった10分でこの有様だ。他のお客さんもいるのに、非常に申し訳なく思う。そもそも今のタイミングでなくとも話し合いはできるし、それに最初から芸能界に入るつもりは毛頭ないわけで、今の彼らに『我社に所属するとこういうメリットがありますよ』という話をされたところでとても迷惑なだけだ。



ただそんな彼らを一閃 切り裂くように現れたのは、例の男であった。



「わるいね、ちょっと通してくれるかい?」


「な、宇治正め 貴様には謙虚というものは無いのか!しっかりとならべ!」


「並んだところで時間の無駄だ、あんた達には興味無いとさ この少年は」




「か、勝手なこと言わないでくださいよ」




「そ、そうだ!デタラメ言うな!」


「じゃあ、厳島くん…君は芸能界に入るつもりはあるの?」




「……あ、いや別に」




「ほらな、御本人が仰ってるんだ 君たちが今ここでいかに必死に『我社の利点』を彼に浴びせたところで、それは右から左に流されていると」


「…よくも、さては悪知恵を吹き込んだな!」


「言いがかりはよしてくれ、ほら今日のところは帰りなさい 他のお客さんにも迷惑だ」


「く、クソう」



今まで目の前に並んでいたあの大勢の大人が踵を返し去っていった。残ったのは宇治正さんだけだった。



「さて、邪魔者が居なくなったところで…私もご一緒しても?」


「あ、どうぞ」



母に確認をとった宇治正さんは俺の真正面の席に座ると店員さんを呼びつけた。



「もう注文はされましたかな?」


「いえ、まだです」


「そうですか、なら良かった ここは私が持ちますよ」


「そんな、わるいですよ」


「なにお父さん、これから長い付き合いになるんですから、ここぐらい私に出させてください…そうですね、とりあえず鱶の鰭ふかのひれでもいきますか」


「は、8000円ですよ」


「なに、これでも稼いでますからね」



宇治正さんはメニュー表の高い順から順番に10品注文すると、一息つき 顔色を変え真剣に話し始めた。



「厳島くん」


「はい」


「君、本気で事務所に入る気は無いのかい?」


「はい」


「そうか…世界一周旅行、残念だったね」


「なぜ…それを」


「番組スタッフに聞いたのさ、景品の内容を聞いて落胆した君を見たと…今回出場したのも大方 旅行のためだろう?」


「まぁ…正直いえばそうです」


「はは、正直は結構…ところで芸能人になったらどういうメリットがあると思う?」


「メリット…さぁ」


「そうだな、夢の大きいことをいえばまずはお金持ちになれる、これは確実だ 君は直ぐに有名になるだろうから多分 そうだな収入ウン百万はかたい」


「年収ですよね…」


「いや、月収…それに 例えばそのルックスなら写真集も出せるだろうしCMに起用された時には運良く海外撮影なんかもある、うちの事務所はレコーディングをニューヨーク ロンドンでやってるからそこでも海外に行ける、君の海外旅行という夢も叶うしお金も貰える、実にいい仕事じゃないかな」


「でも…そうなるのはひと握りじゃないですか」


「厳島くん…君なら絶対に大丈夫、今の芸能界に君のような名曲を作曲できてルックスもいい子はいないし、うちの事務所は人脈も他と比べて広い 海外ともコンタクトがあるからね…だから大船 いやもう飛行艇に乗ったつもりで入ってくれれば大丈夫だから、絶対に沈没しない」


「…」



この人、ずるい。

話を聞いていると巧みに騙されそうで、まるで詐欺師だ。ただ彼の言った内容が嘘でないならば、芸能人という仕事は夢の職業と言っても過言ではない。

ただ俺も無知ではない。



「仮に売れたとしても、過密なスケジュールで眠れないという人もいると聞きました」


「あぁ…そこつくか、まぁ正直いえば寝れない時もある いや確実に寝れないね ただ俺がマネージャーを務めるなら違う 確実に人気を維持しつつもしっかりと休息はとるつもり、それで潰えてきた若手を何人も見てきたからね 痛いほどよくわかる」


「…」



この人の自信の塊のような発言は一体どこからきているのか、こんなにも保険を打たずに公言してしまっていいのだろうか。




その日、人生で初めてのフカヒレの味はよく分からなかった。食べたものの味が分からないほど俺は宇治正 健吾の発言に動揺していた。










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あとがき的な何か


厳島 裕二を優勝させるべきか迷いました。

ストーリー展開的 どちらにせよ彼は世界一周旅行に行ける運命ではなかったので1位でも2位でもどうでもいいわけです。


物語の後半、主人公のスカウトシーンですが かなり情景描写を減らして会話を多用しているので読みにくいかもしれません。


会話部分でかなり改行があるところ、あれは芸能事務所の人達と主人公の発言を区切っているだけです。




宇治正「並んだところで時間の無駄だ、あんた達には興味無いとさ この少年は」




厳島「か、勝手なこと言わないでくださいよ」




スカウトマンA「そ、そうだ!デタラメ言うな!」


宇治正「じゃあ、厳島くん…君は芸能界に入るつもりはあるの?」



と言った具合に。


自分は文才が無いので本音を言うと台本形式に甘えたいんですが、何故か抵抗感があるんですよね。


どうでもいい長い話でしたが、これにて『スター降臨編』は終了となります。次話からは『ダイヤの原石編』に突入します。


今後ともこの小説をよろしくお願いします。



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