第3話

時が経つにつれ言い知れぬ緊張が胸を襲う、大丈夫だ…これはあくまで予選だ。と自らに言い聞かせないとどうにかなってしまいそうだ。

やがて、教室にいた人間は段々と減っていき、ついには自分を含めて5名になった。みな教室に来る案内係の人に『〇番〜〇番の人どうぞ』とよばれ着いて行ったきり戻っては来なかった。


辛抱強く待ち続け、時刻は昼前11時30分になった。



「えぇと、195番から200番の方どうぞ」



傍らに抱えたギターケースを手に俺は教室を出た。去り際に誰もいない教室を振り返ると、先程までの活気が無くなり静まり返ったと同時に、普段何気なく通っているこの学校の教室がなぜか、俺の背中を押してくれるように感じた。


夏、壁に取り付けられた扇風機が首を振り 開けられた窓のカーテンは手を振るように風に靡いた。





3





ここでお待ちください


そう言われ立ちすくんだのは体育館の舞台袖であった。赤く垂れ下がった垂れ幕はステージに刺す光を遮り我々のいる舞台袖を暗く染めた。

並べられたパイプ椅子に5人座り、順番を待つ。


今現在誰かが舞台上で審査を受けている。

そこそこの歌声、聴いていて不快感はない、がその歌声が遮られるかのようにカーンという音が響いた。続いてマイク越しの誰かの声が会場に響く。



『お疲れ様…どうぞ、下手へ』



感情も篭っていない声が我々を貫いた。



「…195番の方」


「…はい」


「どうぞ」


「……はい」



ついに出番が近づいてきた。

番号を呼ばれた195番の方は俺が見た限り待機していた教室の中で歌もダントツにうまかった、恐らく彼が書類選考へ進む10人のうちに入るだろう…。

舞台上に彼が進むとギターを弾く音が聞こえてきた、マイクに口を近づけ歌い出す、うんなかなかにうま…。



カーン


鐘の単音が鳴る



「……うそだろ」


『はーいお疲れ…下手へどうぞ』



こんなにも厳しいものか…。彼の歌はうまかった、一般人よりも遥かに…そんな彼が早々に退場…。

次第にギターケースを握る手が固くなる。

今回のために持ってきたこのギター、元々親父のものだったが今はすっかり演奏しなくなって俺に受け継がれた。


秋田の田舎時代、このギターを掻き鳴らしては趣味の作曲をし両親の目の前で披露しては喜びを繰り返していた記憶がある。だいぶ年季の入ったフォークギターであるが故に、弦は輝きを失い、古い木の香りがする。7歳の頃から練習し続け今も向上中である。演奏技術は人並みには上手いと自負している…ただ先程の195番の末路を見て一気に自信がなくなった。



「196番の方どうぞ」



段々と順番が近づくにつれて心臓の鼓動は激しくなり、体のうちにバクバクという音が鳴り響く。

まるで死刑宣告を待ち続けるようなこの緊張は、汗となって額に流れた。



「198番の方どうぞ」



俺はギターをを取り出すとそのまま肩から斜めに提げた。フィンガーピックを5つ右手にはめ、左手を指先を弦の上に滑らせつつも、舞台の真ん中に置かれたマイクに語り掛けた。



『よろしくお願いします』



そこからの記憶は、緊張のあまり曖昧だった。

・・・

・・





スター降臨という番組の予選を長年担当してきた俺はいつしか、決勝の審査員よりも鋭い視線で応募者を見ることができるようになった。俺はこの番組のディレクターとして決勝に進む応募者は誰よりも精鋭でなくてはならないと思っている、たとえアマチュアでも視聴率が取れるような応募者でなければ俺は容赦なく落とす。

重要視するのは歌声、顔、そして人格、これらが揃わなくては芸能界で生き残ることは難しい。


ただ今回の大会もその条件を満たす応募者は奇しくも見当たらなさそうである。

関東予選の応募総数は592件、4日間かけて行われる予選も2日目に入り、ついに佳境を迎えかけていた。

そんな中、俺は奇跡とも言える人材を見つけた。



『エントリーナンバー198番 厳島 裕二さんです』



出てきたのは180センチほどのタッパがある、なかなかの顔つきをした男であった。男らしくもあまりガツガツしていない、どちらかと言えば大人しめの見た目だ、今まで見てきた男性アイドルとはまた違った印象を受けた。彼はゆっくりとマイクスタンドの前に立つと一言



『よろしくお願いします』



といいギターを構えた。右手にはフィンガーピックが5つはめられている。


明らかに今までの応募者とは雰囲気が違う


これが第一の印象であった。

課題曲はビリー・ジョエルの『Honesty』洋楽というハードルの高い楽曲を選択したからには相当の自信があると伺える。

彼はゆっくりとギターを弾きだし、やがて伴奏を終えるとマイクに口元を近づけ歌い始めた。



「(…上手い、本家よりもキーが高いもののしっかりと歌詞一つ一つに気持ちが籠っている)」



これほどの歌声を聞いて衝撃を受けたのは何年ぶりか。いつかしか体育館のスポットライトは歌う彼を照らし我々を釘付けにした。


気がつけば演奏が終わり、舞台に立ちつくす彼がそこにいた。後方から聞こえる観客の拍手は体育館全体を雨が打つように包み込み、それに対して彼は深く頭を垂れた。


俺はマイクを握り彼に語り掛けた。



『厳島 裕二くん…16歳、いつからギターを?』


『7歳からです』


『なるほど…私は君に感謝の意を述べるよ』


『…』


『久しぶりに感動させてもらった、ありがとう』


『こちらこそ、ありがとうございました』


彼は係員に促されゆっくりと立ち去っていった。

今後彼に匹敵するほどの天才が出てくるのなら、日本の音楽の未来は明るいかもしれない。









「厳島 裕二さん、応接室へ」



出番が終わり、係員にしばらく先程までいた教室に待機するように言われた。俺以外誰もいない教室は少し寂しい雰囲気が漂っており、暇つぶしにギターを適当に弾いて待っていたところ再び係員に呼ばれ向かった先は学校の応接室だった。

俺を含めて計3名、その部屋に呼び出されしばし待っていると先程の審査員が入ってきた。



「まずは君たちにおめでとうという言葉を送ろう、予選2日目の出場者が3人も晴れて第一段階を突破したことは非常に誇らしいことだ」



拍手をしながらそう語りかける男性は、さっきまで無慈悲に他の出場者を斬り捨てていた人物とは違った印象で、今は鋭い眼光は収まり終始笑顔で我々を励ました。



「次の書類審査に進むために必要な書類を今から配る、くれぐれも無くさないように」



手元に渡されたのは『スター降臨』と刻印された専用の書類であった。趣味や好きな歌手等の項目があり、とくに文章を書かされるような欄はなかった。



「これを今日から来週までの期限にポストに投函してくれ、宛先は書いてあるから自宅の住所と電話番号 氏名を書いてもらうだけで結構、ちなみに消印有効だ」



俺はこの薄っぺらいただの紙に何よりも賞状のような重さを感じた。



「では、諸君健闘を祈る…厳島くん」


「は、はい」


「君は少し残るように…ではみなさん今日のところは早く家に帰って疲れを癒してくれ」



そう言われると俺以外の出場者は皆、係員の指示に従いこの部屋から出ていった。

部屋に残されたのは俺と審査員の男性2人だけだった。



「厳島 裕二くん」


「はい」


「おめでとう、準決勝進出だ」


「…は…準決勝?」


「予選の審査員は皆、出場者を1人 準決勝へ進ませる権限を得ている、特に最近はこのシステムが利用されずそろそろ無くなるだろうと思われていたが、ようやく久方ぶりにこれに見合う出場者をみつけたよ」


「…」


「君の歌声は素晴らしかった、ギターの腕もとても高校生とは思えないほどの技量…どれをとっても満点だ」


「…ありがとうございます」


「期待しているよ、ぜひ決勝へ行っても頑張ってくれ」


「…はい」


「あぁ、その書類はきっちりと提出するように 準決勝への出場資格が運営から送られるための鍵だからね…では、期待しているよ」







その日の帰り道、貰った書類を見つめつつも先程の彼の言葉が頭から離れなかった。

審査員の男性からの期待、準決勝への進出、予選前までは微塵も思ってもいなかったプレッシャー。


その夜はなかなか寝付けなかった、ジメジメとした熱帯夜であった。














【あとがき】


スター降臨予選の仕組みについて


4日間かけて行われる予選は一日ごとに書類審査に進む出場者が選ばれ、原則 地域ごとに計10名が選出されることになっている。ただ過去には11名や12名といったように規定人数をオーバーすることもあるのでその辺は優柔不断に。

公になっていないシステムとして今回、主人公が受けた準決勝進出権限なるものがあり、予選の審査員が独断でこの権限を行使し出場者を準決勝へ進出させることが出来るというシステムがある。

ここ数年この権限の発令は見られなかったためこのシステムの廃止が囁かれていた。


※予選審査員人数は1名 各地方大会ごとに審査員は一日ずつローテーションで変わる



キャラクター紹介


審査員 金井かない勇人いさお


スター降臨のディレクターであり関東予選の審査員の1人、長年番組に功労してきた身として予選審査員の中でも特に厳しい観察眼を誇る。

他の番組スタッフからは『第一の門番』と呼ばるほどその厳しさと洞察力は凄まじい。



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