仲間

「お前、ほんまもんのアホやな」


 地下室にドスの効いた声が響いた。


「誰だ!」


「わしや」


 その声と同時に巨大なカラスがメグの視界を遮った。遠山が弾かれたように飛び退く。


「コ、コルバ! なぜここに!」


「親切なおっちゃんが連れてきてくれたんや。ようもわしを捨ててくれたなあ、仲間やなかったんかい」


 そう言うと、コルバは大きく羽を広げた。その後ろ姿が殺気に満ちている。


「ま、待て、誤解だ」


 コルバは容赦なく羽を振り下ろした。途端に部屋中に強風が吹き荒れて、メグは昼間の惨状を思い出し顔を伏せ耳を塞いだ。物の壊れる音に混じって遠山の絶叫が響き渡る。


 部屋が静かになるまでのほんの数秒が、メグにはとても長く感じられた。恐る恐る薄目を開けると、壁を背に呆然と立ち尽くす遠山の姿が見えた。その周囲を何故か虹色のシャボン玉がふわふわと漂い、時折ポンと音を立てて弾けている。


「どや、綺麗やろ」


 その声はメグの頭のすぐ上から聞こえてきた。と同時に腕のコードが外れ、メグはふっと体が軽くなった気がした。


「ゴン太!」


「待たせたな、メグ」


 メグは、正面に回ったゴン太の顔にそっと手を伸ばしその感触を確かめた。見る間にメグの両目から滝のような涙が溢れ出す。


「ゴン太が生きてる! 短いけどちゃんと足がある!」


「何やと、感動の再会ちゃうんかい!」


「ゴン太〜っ!」


 メグはゴン太を鷲掴みにすると、力任せに抱き締めた。意外にもふわふわな毛並みに顔を埋めると懐かしい祖母の匂いがする気がした。


「ゴン太、良かった、ほんとに良かったよ」


「動くなっ!」


 突如、遠山の声が響いた。メグが顔を上げると、銃を構えこちらを睨んでいる遠山と目が合った。呼吸が荒く既に正気を失っているように見える。ゴン太はメグを紫苑の方に押しやり、宙に浮いたまま遠山に向き合った。


「ぼ、僕をバカにするな。僕は世界一の魔法使いになる男だぞ。お前らなんか足元にも及ばない空前絶後の魔法使いにだ」


「そんなおもちゃ、わしらには効かへんぞ」


 遠山は自信有りげにニヤリと笑った。


「ふんっ、バカめ。たった今、この部屋で発生した魔力は全てマギアドームに集まるというシステムを稼働させたんだ。だからもうお前たちは魔法が使えない。そうなったらお前なんか、ただの老いぼれたデブ猫さ」


 魔法が使えない!


 メグは固唾を呑んでゴン太の反応を見守った。


「そうか、そら困ったな……そやけどな、わしらを殺したかてお前は魔法使いになんぞなられへんで」


「負け惜しみが過ぎるぞ」


「ほんまのことや。お前はオリガの指輪なら無限に魔力を封じ込められるみたいに言うてたけどそれは幻想や」


「幻想じゃない! リングさえあれば僕だって魔法が使えるんだ。さっきだって……」


「ほな、聞くけど、お前ここ以外で魔法を使ったことあるんか」


「あるさ」


「自分の車のそばだけやろ? あのバカでかい車は移動実験車やな。マギアドームの簡易版が乗ってるんちゃうか」


「そ、それは」


「ほんまは自分でもわかってるんやろ、指輪に籠められる魔力は微々たるもんやて。伝統的な指輪でさえその違いは大きないてな。そもそも魔法使いの指輪は魔力を溜めるためのもんやないし、何なら指輪なんぞ無くても魔法は使えるてお前も知っとるやろ。現にわしら見てみ、指輪しとる使い魔なんぞどこにもいてへんで。お前は本当はマギアドームの近くでしかちゃんとした魔法は使えへんのやろ」


「うるさいっ」


 遠山は天井に向けて引き金を引いた。ぱんっという乾いた音と同時に電球が弾け飛び、咄嗟に紫苑がメグに覆い被さった。遠山が唇を震わせながらゴン太に銃口を向けている。それでもゴン太は全く怯んだ様子がない。


「マギアドームがあったところで、せいぜい使えるのは光の玉を飛ばすくらいやろな。そんなんメグかてできるで。それとも、ほんまに魔法が使えるんやったらそんな飛び道具やのうて魔法でかかってきたらどうや」


「い、今はまだ調整中なんだ。この先もっともっと研究を重ねて必ず自由自在に魔法を使えるようになるさ」


「その前に年取って死んでまうで」


「黙れっ!」


 ぱんぱんという銃声が地下室の空気を震わせた。ゴン太の体が弾かれたように宙を舞う。長い長い時間漂っていたかに見えたその体は、やがてメグの目の前にひらひらと落ちてきた。


「ゴン太っ!」


 メグは紫苑の手を払い除けてゴン太を受け止めた。


「あはは、バカめ。これで本当に終わりだ」


 遠山の高笑いを聞きながら、メグはこれまで感じたことのない何かが体の奥底から込み上げて来るのを感じていた。メグとしての意識が徐々に薄れていく。そして顔を上げ遠山を睨み返した時には、先程までの不安と恐怖に満ちた表情は完全に消え、その瞳がエメラルドグリーンに輝いていた。遠山を見据えたままゆっくりと立ち上がると、その光が強く大きくなって全身を包み込んでゆく。


「な、何だ! どういうことだ」


 混乱する遠山の指のリングもまた呼応するようにエメラルドグリーンに光り始めたかと思うと、するりと抜けて真っ直ぐメグの元に戻りその指に収まった。今やメグは巨大な緑の炎に包まれている。遠山はそのあまりの美しさに言葉を失った。


 メグは無言のまま左腕を前に突き出すと、その手をぎゅっと握った。それと同時に遠山の手から拳銃が落ち、目の前でぐにゃりと潰れて、初めから石ころだったかのようにころんと転がった。


「ひっ」


 自分の置かれている状況を理解した遠山はじりじりと後退りし始めた。しかしその先では揺れるはずのないはめ込みの棚からありとあらゆる物が落ち始めた。全ての電球が一斉に弾け飛び、本棚からは遠山めがけてバサバサと本が飛んできた。


「やめろ、助けてくれっ」


 遠山は両腕で頭を覆いながら叫んだ。その体は半ば本に埋もれて身動きが取れなくなっている。電気が消えた地下室はメグを覆うエメラルドグリーンの光とマギアドームの放つ怪しげな光で満たされていた。


 メグは暫く遠山の様子を眺めていたが、やがてゆっくりと体の向きを変えてマギアドームに向き直り、再び左腕を前に突き出した。それを見た遠山から悲鳴が上がる。


「待て、やめてくれ。それだけは……」


 その言葉が終わらないうちに、メグは左手を強く強く握り締めた。ミシミシと軋む音を響かせて、マギアドームは徐々に小さくなっていった。そしてピンポン玉ほどの大きさにまで縮むと、ポンと音を立ててシャボン玉のように弾けた。遠山の絶叫と同時にメグを包んでいたエメラルドグリーンの光は消え、気を失ったメグはゴン太を下敷きにしてその場に倒れた。


「あ、あ、僕の、僕のマギアドームが……」


 その時、階段の上から真っ暗な地下室に一筋の光が差し込んだ。複数の騒がしい足音と共に、部屋中に赤や緑や青の優しい光が次々と灯っていく。


「凄い声がしたけど大丈夫? え、ちょっと、何よこの部屋! 随分と散らかしたわねえ。いっそ燃やしちゃう?」


 最初に部屋に入ったみのりが呆れた様子で言う。


「貴重な資料もあるんだからそれはやめましょうよ」


 天空たかあきの声が続く。


「それにしても凄いなあ。こりゃ片付けるのが大変だ」


 史人ふみひとがそう言うと、同意したように肩のリリアがにゃあと鳴いた。


「私は遠慮しとくわ。皆さんでどうぞ」


 そう琴音ことねが言い放つまでの様子を、本の山の中で遠山がぽかんと口を開けて見ていた。


「な、何故だ。何故お前たちがここにいるんだ」


「それがほんまの仲間っちゅうもんや」


 紫苑が指を鳴らすとメグの体がふわりと浮いて、下からゴン太が現れた。今や昼間のように明るくなった地下室で遠山が目を丸くした。


「お前、生きてたのか」


「そやから言うたやないか、わしには銃は効かへんてな」


「そんなはずは」


「そんなもこんなもあらへんがな。お前さんはこの部屋では魔法は使えへん言うてたけどな、最初から最後までちゃんと魔法は使えとったで。それもわからん奴が魔法使いになるとかならんとかちゃんちゃらおかしいて屁が出るわ」


「僕を、僕を馬鹿にするな!」


 立ち上がろうとした遠山の体にするすると緑の蔦が巻き付き、その周りに突如氷の檻が現れた。身をよじって悔しがる遠山の檻の前にゴン太が体の埃を払いながら進み出た。


「お前は魔法使いに憧れてるみたいやけど、魔法使いてな、そんなにええもんちゃうで。例えばコルバや」


「コルバ? 何を言う、あれは使い魔だ」


「そう思っとるんはお前だけで、あれは人間や。人間の魔法使いが使い魔のふりしてただけや」


「そんな馬鹿な」


「馬鹿はお前や。年端もいかん子どもを使い魔と勘違いして使つこうてたんやからな。山に捨てさせてほんまに死んどったら、お前さん殺人犯やったで」


「せっかく魔法使いに生まれたのに、どうして格下の使い魔のふりなんか……」


 その時、遠くからサイレンの音が近づいてくるのが聞こえた。


「魔法使いでいるんが辛かったんやろな。魔法使いはな、生まれながらにいろんなものを背負わされるんや。それはええことばかりやない。むしろ、辛いことの方が多いかもしれへん。まあ、魔法使いじゃないお前さんには本当の意味でその辛さはわからへんやろ。それよりもうすぐお迎えが来るさかい、まずはこの始末をきっちりつけてもらわんとな」


 遠山はがっくりと項垂うなだれた。そして視線の先にあった『魔法入門』という絵本を手に取った。


「おばさん、ぼく、ぼく、魔法使いになれなかったよ」


 遠山はその本を胸に抱いて子どものように泣きじゃくった。

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