061 恋と対話と遊薙さん


「……どういうつもり」


 テーブルを挟んだ向こうに座る遊薙ゆうなぎさんへ向けて、僕は尋ねた。


 遊薙さんは私服姿だった。

 状況が状況だと言っても、家の前まで来られたら追い返すわけにもいかない。

 彼女を部屋に上げることを、母さんはあっさり許してくれた。


「もう、君とは別れたはずだけど」


 遊薙さんは予想に反して、ずいぶんと落ち着いていた。

 彼女はもっと、不安定になっていると思っていたのに。


 けれどもしかすると、そんなのは僕の勝手な思い込みだったのかもしれない。

 ただ、僕が感じているショックと同じくらいのものを、彼女にも感じていて欲しかったのかもしれない。


 そうじゃなかったからって、どうして落ち込むような権利が僕にあるだろうか。


「別れたら、家に来ちゃいけいないの?」


「……いや、そういうわけじゃない」


 彼女の声は冷たかった。

 だけど、やっぱり確かに、震えていた。


「……フラれたら、もう追いかけちゃいけないの? そんなルールないもん。フラれたって、諦められない恋だってあるもん!」


「……でも、普通はこんなふうに、相手の家にいきなり来たりしないよ」


「みんな、できないだけよ。気まずくて、もっと嫌われるのが怖いから。自分がその人に、執着してると思われたくないから、できないだけ」


「……」


「私にはできる。桜庭さくらばくんに会うためなら、なんだってできる」


「……どうかしてるよ」


「そうね。恋をすると、人ってどうかしちゃうのかも」


 そこまで言って、遊薙さんはこの日、初めてクスッと笑った。

 彼女の笑顔を見てしまわないように、僕は慌てて遊薙さんから目をそらした。


「それで、なに? 言っておくけど、僕の答えは変わらないよ」


「……わかってる。私だって、そこまでお気楽じゃないもん」


「じゃあ、いったいなんの用?」


「うん。今日はね、桜庭くんに聞きたいことがあって来たの。友達として」


「……友達?」


「だって、友達になったじゃない。なに? 別れたらもう、友達でもなくなっちゃうの?」


「……いや」


 詭弁だ、と思った。

 なにを企んでいるのかはわからないけれど、やっぱり彼女の言っていることは、むちゃくちゃだった。


 だけどそれでも、僕はもう遊薙さんに、帰れとは言えなくなってしまっていた。


「じゃあ聞きたいんだけど、私が桜庭くんと同じ趣味になりたいって言ったとき、怒ったのは……どうして?」


 遊薙さんの表情は固かった。

 だけど僕の顔だって、自分でわかるくらい強張こわばっていた。


「言いたくない」


「でも、私は聞きたい」


 話が通じない。

 僕は苛立ちを通り越して、呆れる思いでため息をついた。


「馬鹿なこと言ってるって、わかるだろ。君のそういう強引なところは、正直言って」


「桜庭くん!」


 僕の言葉を遮って、遊薙さんが叫んだ。

 いつの間にか泣き出しそうな表情になって、彼女は僕の目を見つめていた。


「ねぇ……お願い。教えてよ。……知りたいよ」


「……」


 いっそ話してしまった方が、お互い楽なのかもしれない。

 思い出したくない出来事ではあるけれど、それで遊薙さんの気が収まるなら。


「……中学の時、僕には付き合ってる女の子がいてね」


 僕は、全てを話した。

 どうして星野ほしのさんと付き合ったのか。

 彼女のどこが好きだったのか。

 なにがあって、どう思って、なぜ別れたのか。

 そして今の僕が、どう思っているのか。


「……僕は本気で、映画が好きだった。彼女も同じものが好きだって聞いて、本当に嬉しかったんだ」


 遊薙さんは僕の話を、ずっと俯きながら聞いていた。

 たまに鼻をすするような声を出して、肩を震わせて。

 それでも、黙って聞いてくれた。


「だから、それが本当は僕の気を引くための嘘だったってことが、すごくショックだった。べつにいい。いいんだけど、悲しかった。違う人生を生きて、違う経験をしてきたのに、同じものを好きになった。別の心があって、別の価値観があるのに、同じものに惹かれた。そう思って本気で喜んで、舞い上がってた僕が、なんだか馬鹿みたいで」


「……桜庭くん」


「くだらないって思うだろ? なんだ、そんなことかよって。わかってる。でもこれが、僕の本心なんだ。だからこそ、僕は君と一緒にいられないんだよ。理解してほしいわけじゃない。ただ、放っておいてくれればそれでいいんだ」


 僕はそこで、一度言葉を切った。

 切らずにはいられなかった。


 遊薙さんが、テーブルに置いていた僕の手を握った。

 僕はそれを振り払うこともできずに、ただ彼女の綺麗すぎる顔と、揺れる瞳を見つめた。


「……あの時、君も言ったね。僕の好きなものを、好きになりたいって。きっとそれは、素敵な気持ちなんだと思う。自然な考え方なんだと思う。でも、僕にはそれがすごく嫌なんだ」


「……」


「君の『好き』は、君が人生の中で見つけるものだ。なにかほかのものを手に入れるために、自分を騙して何かを好きになるなんて、悲しいと思う。人をそうさせてしまう恋愛ってものが、僕は嫌いで、怖いんだよ」


 僕はそこまで言って、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 遊薙さんの手に力が入るのがわかって、僕はなぜだか胸が苦しくなるのを感じていた。


「……だからね、遊薙さん。わかってよ。僕は、君とは一緒になれない。なりたくないし、ならない方がいいんだ」


「……」


 遊薙さんはなにも言わない。

 ただ顔を伏せて、僕の手を握って、黙ってゆっくりと息をしていた。

 

 伝わっただろうか、僕の気持ちが。

 彼女は僕を、諦めてくれるだろうか。


「……桜庭くん」


 そう、願ったけれど。


「……なに」


 彼女の発した言葉は、僕の期待していたものとは、ずいぶんと違っていたのだった。


「桜庭くんは……私のこと、好き?」

 


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明日は17時と22時の二回投稿です!

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