057 とうとう言った遊薙さん


 週末が明け、今日からまた学校だ。


 重い足取りで階段を上って、教室のドアを開ける。

 自分の席に着くと、予想していた通り、白戸しらとさんが声を掛けてきた。


「おはよう、桜庭さくらばくん」


「……おはよう」


 白戸さんはそのまま、空いていた僕の前の席にすとんと腰を下ろした。

 かすかな上目遣いの無表情で、僕の顔を覗き込んでいる。


「……なに」


「ううん。大丈夫かな、と思って」


「な、なんでそんなこと」


「一昨日から、静乃しずのが荒れてるからね。どうせ、原因は桜庭くんでしょ。でも、桜庭くんが悪いってわけじゃないと思うから、大丈夫かなって」


 白戸さんの声は落ち着いていて、だけどとても温かかった。

 僕はてっきり、彼女に問い詰められると思っていたのに。

 さすが白戸さんだな、とつくづく思う。


「……ありがとう。でも、大丈夫だよ」


「ホントに?」


「うん。遊薙さんに謝らないとなぁ」


「謝るって、なにを?」


「困らせたこと。それと……気持ち、受け止めてあげられないから」


「……そっか」


 白戸さんに驚いた様子はなかった。

 代わりに、悲しそうな、寂しそうな顔をしていた。


 遊薙さんは、白戸さんになんと言ったんだろう。

 そういえば、昨日からまだ、一度もスマホの電源をつけていない。


 白戸さんはもう何も言わず、それでもずっと、僕の目の前に座っていた。



   ◆ ◆ ◆



 昼休みになると、遊薙さんは意外にも、僕の教室にやって来た。

 いつものように色んな人に迎えられながら、白戸さんに合流してお弁当を食べ始める。


 僕とも目が合った。

 遊薙さんの表情は固かったけれど、目をそらしたりはしなかった。

 僕も、ちゃんと遊薙さんを見ていた。


「桜庭先輩!」


「ん? え、紗和さわさん?」


 声のした方を見ると、なぜか紗和さんが笑顔で手を振っていた。

 手には赤い布の包みを持って、こちらに駆けてくる。


「なに、どうしたの」


「桜庭先輩に会いたくて、来ちゃいました!」


「……違う学年なのに、よく来たね」


「えへへ」


 紗和さんは嬉しそうに笑うと、朝の白戸さんと同じように僕の前の席に座った。

 お弁当を広げて、笑顔で手を合わせている。


「なに、ここで食べるの?」


「はい! 一緒に食べましょう!」


「……まあ、いいか」


 気分ではなかったけれど、さすがに追い返すのも申し訳ないし、そんな気力もなかったので、僕もお弁当を出した。


 視界の端に映った遊薙さんが、こちらを向いていたような気がした。


「桜庭先輩、なんか今日元気ないです?」


「……いや、そんなことは」


「嘘ですね。私がどれだけ桜庭先輩を見てると思ってるんですか」


「……やっぱり、わかるのか」


 どうやら僕は、自分で思っているよりこたえているらしかった。

 図星を突かれたことで、気分が余計に重くなった気がする。


「原因は聞かないですけど、元気出してくださいね。私で良ければ、ちからになりますから」


「……ありがとう」


「そうだ! 放課後、一緒に映画部へ行きませんか? 今日は私の持ち込んだ作品をやるので、きっとおもしろいですよ!」


「へぇ。紗和さんセレクトなら、たしかに楽しみだ」


 映画を見て、気分転換というのも悪くないかもしれない。

 遊薙さんとちゃんと話す日を決めるのは、もう少し時間が経ってからでも遅くはないだろう。


「それじゃあ、覗きに行くよ。ありがとう、紗和さん」


「いえ、そんな! 私が桜庭先輩と一緒に行きたいだけですから!」


「君は、僕によく懐いてくれてるね」


「当然です!」


 何が当然なんだろう。

 意味はわからないけれど、紗和さんはやけに得意げだった。

 その様子を見て、ちょっとだけ気分が楽になる。


「先輩、それが終わったら、一緒に夜ご飯を食べませんか?」


「紗和さんは、本当に暇なんだね」


「暇じゃないですよぉ! これでも、毎日必死です!」


 怒ったように握った両手を振って、紗和さんは言った。

 こんなに僕に構ってくれる時点で、どう考えても暇だと思うけれど。


「なにに必死なの?」


「……桜庭先輩に、アピールすることです」


「えっ……」


 突然のその言葉に、僕はなんだか、目眩がするような思いだった。


「だ、だって先輩、私のこと全然女の子として見てくれないじゃないですか。でも、桜庭先輩ってきっとそういう人だから、ちゃんと積極的にいかないといけないんですっ」


 ……あぁ。

 もう、勘弁してくれよ……。


「……どういうつもりか知らないけれど、からかってるならやめて」


「からかってません! 本気です! 中学の頃からですよ? 先輩には駆け引きが通用しないとわかったので、これからは直球勝負です」


「……そういう話、もしホントでも普通教室でする?」


「大丈夫ですよ、誰も見てませんもん」


「そういう問題かな……」


 僕は心の中で頭を抱えた。

 どうしてみんな、放っておいてくれないんだ。

 せめて、今くらいはそっとしておいてくれたっていいじゃないか。


「……他をあたった方がいい」


「いやです! 桜庭先輩じゃなきゃダメなんですから!」


 その時。


 気がつくと、僕らのすぐそばに、誰かが立っていた。


 それはとても可愛くて、綺麗で、でも今にも泣き出しそうな表情をした女の子で。


 彼女が口を開く。


 僕はなぜか、彼女に何も言わせてはいけないような気がして、慌てて叫んだ。


「遊薙さ」


「桜庭くんの彼女は私だもん‼︎」


 時間が止まる。

 教室が静まり返る。

 遊薙さんは、紗和さんをキッと睨み付けていた。

 教室の端にいる白戸さんが、驚いたように口に手を当てていた。


 ああ、この人は本当に、無茶苦茶だ。

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