第五章

056 わかっています藍奈さん


 次の日目が覚めると、遊薙ゆうなぎさんからメッセージが入っていた。


『お話しがしたいです』


 ただでさえ重かった気が、さらにズーンと重くなる。


 受信時間は夜中の二時だった。

 昨日のその頃は起きていたけれど、スマホの電源は切っていた。


 遊薙さんも起きていたのか。

 そう思うと、なんだかとても申し訳ない気持ちになる。


 だけど、やっぱり話す気にはなれない。

 しばらくは、会うのも嫌かもしれない。


 べつに、遊薙さんに悪いところなんて一つもないんだ。

 ただ、僕がどうしようもないだけ。

 僕が致命的に向いていなくて、身勝手に傷ついているだけだ。


『ごめん』


 それだけ返信して、僕はまたスマホの電源を切った。


 顔も洗わず、着替えたりもせず、ベッドに横になる。


 『私だって桜庭くんと同じ趣味になりたいもん』


 頭の中に、遊薙さんの言葉が響いた。


 きっと、そうなんだろう。

 彼女は、心の底から本気で、そう思っているのだ。


 べつに、遊薙さんはほかの人とは違う、なんて思っていたわけではない。

 ただ、彼女はすごくいい人で、可愛らしくて、それで目が眩んでいただけなんだ。


 そうだ。


 いったい何をやってたんだ、僕は。

 わかっていたことだ。

 自分が恋愛に向いていないことも、僕がそもそも恋愛というものが、嫌いだってことも。


 あんな思いをしたのに。

 あんな経験をしたのに、僕はまだ学んでいなかったのだろうか。

 同じ失敗を二度も繰り返すなんて、馬鹿のすることだ。

 さすがの僕だって、そこまで愚かじゃない、はずだ。


 立て直そう。

 今ならまだ間に合う。

 まだ、何も起こっていない。


 遊薙さんに、伝えよう。

 ちゃんと、別れて欲しいって言おう。

 彼女は悲しむかもしれない。

 だけど、それが二人にとって、一番いい選択だ。


 遊薙さんは、本当に素敵な女の子だ。

 あんな子が僕みたいなやつのために、青春を無駄にすることはない。

 そんなもったいないことが、あっていいはずがないのだ。


「……ふぅ」


 大きく息を吐くと、少しだけ、頭の中がスッとしたような気がした。

 思えば、ずっと迷っていたんだ。

 その迷いがこうして晴れたのだから、気が楽になるのも当然かもしれなかった。


 リビングに降りると、母さんが昼食の準備をしていた。

 父さんは出かけているらしく、藍奈あいなはソファに座ってスマホを見ていた。


「おはようございます」


「……おはよう」


 藍奈の隣に座って、誰も見ていなかったテレビをぼんやりと眺める。

 そういえばこんな時、遊薙さんは藍奈と連絡を取っていることが多い。

 もしかすると今回も、僕がメッセージでの会話に応じないのを見て、藍奈の方になにか連絡を入れているかもしれない。


 そんなふうに思ったけれど。


「……」


「……」


 藍奈は特になにを言ってくるでもなく、実に静かだった。

 それはそれで、少し珍しい。

 最近の藍奈はなにかといえば、やれ静乃しずのさんとはどうなったんだとか、次はいつ会うんだとか、そんなことを聞いてきていたはずなのに。


「……藍奈」


「なんですか」


「……いや、なんでもない」


 自分から、遊薙さんから何か聞いているか、と尋ねるのはさすがにはばかられた。

 まるで、僕が気にしているみたいだ。

 いや、もちろんものすごく気にしているけれど、だったら藍奈なんて介さず、自分で連絡を取ればいいだけの話だ。

 藍奈から遊薙さんの様子を聞き出そうなんて、都合が良いにもほどがある。


 僕は再び口をつぐんで、テレビの画面の上の方に視線をずらした。


「兄さん」


「な……なに」


 今度は突然、藍奈の方から声をかけてきた。

 思わず、不自然な反応になってしまう。


「……私は、静乃さんの味方です」


「……」


「でも……本当にダメなら、仕方ないと思いますよ」


「……なんの話だよ」


「いえ。なんとなくです」


 藍奈がそう言った時、キッチンの方から母さんが僕らを呼んだ。

 どうやら昼食ができたらしい。

 一緒に立ち上がって、テーブルへ向かう。


「何があったのかわかりませんが」


「……」


「兄さんが幸せなら、それが一番ではないですか」


「……そうだね」


 それ以上、藍奈は何も言わなかった。


 本当に、お節介な妹を持ったものだ。

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