回想

【回想】000-4 桜庭碧人は思い知る


 僕と星野ほしのさんは、その後も付き合いを続けていた。

 けれど時間が経つに連れ、僕の不満と疑問はどんどん大きくなってきていた。


 僕が本を読みたい時でも、映画を見たい時でも、星野さんからの電話は絶対だった。

 星野さんとの会話はたしかに楽しい。

 彼女の可愛らしい声や、素敵な言葉を聞くと胸がドキドキする。


 だけど話している間も、僕の心の半分はいつも本と映画のことで占められていた。

 話していても集中できない。


 何度も何度も、「どうして星野さんは映画を見たくならないんだろう」とか。

 「どうして、小説や映画の時間を優先すると、怒ってしまうのだろう」とか。


 もちろん、その疑問を星野さんに対して発することはなかったけれど。


 そうしてまた一ヶ月ほど経った頃、僕はあることに気がついた。


「今日映画部でやる作品、なんだっけ?」


「うーん、どうだろ。忘れちゃった! でも桜庭さくらばくん、私、今日はどこかに遊びに行きたいなぁ」


「遊びに? 映画は?」


「たまにはいいでしょ? サボっちゃおうよ~」


「……」


 結局、その日僕らは映画部の活動には行かず、ふたりでゲームセンターで遊んだ。

 星野さんはとても楽しそうで、すごくはしゃいでいた。


 僕は楽しくなかった。

 いつものように映画部へ行って、映画が見たかった。

 彼女は、そうではないのだろうか。


「星野さん、もう次はサボらないからね、僕は。遊びに行きたいなら、一人で行って」


 帰り道、僕が言うと、星野さんは心底驚いたような顔をした。


「それじゃあ意味ないじゃん!」


 僕はその言葉に、ただただ首を傾げることしかできなかった。


 「意味がない」。

 彼女は言った。

 どうして、意味がないのだろう。

 やりたいことがあるなら、僕なんて置いておけばいいんだ。

 僕だって、自分がやりたくても星野さんがやりたくないことなら、一人でやるだろう。


 そこまで考えて、僕にはふとわかってしまった。


 彼女、星野さんにとっては、映画やゲームよりも、『僕』が一番なんだと。


 一度その考えが頭に浮かぶと、あらゆることに合点がいった。

 そして妙なことに、星野さんはまるで、僕の方でも『星野さん』を一番に優先しているかのように捉えているようだったのだ。


 もちろん、僕は星野さんが好きだった。

 世界中の女の子の中で、間違いなく彼女のことが一番好きだ。

 でも僕はそれ以上に本や映画、そしてそれに注ぎ込む時間が好きだった。

 もっと言えば、星野さんもそうなんだと思っていた。


 だって僕らは、映画を通して仲良くなったのだ。

 映画という好きなものがあって、それを共有できるから、一緒になった。


 なぜ、そうなのだろう。

 なぜ『僕』という存在は、彼女の中の『映画』に勝ってしまったんだろう。


 だけどやっぱり、みんなは星野さんの方が正しいと言った。

 僕のことを冷たいと言った。

 薄情なやつだと言った。


 そうなのかもしれないと思った。

 でも、そうじゃないんじゃないかとも思っていた。


 そうして、付き合って三ヶ月が過ぎた。


 僕はその頃、もう星野さんと付き合うのが嫌になっていた。

 彼女のことは好きでも、僕が彼女以外のものを優先するのを、星野さんは許してくれなかったからだ。


 どちらかを切り捨てなければならないなら、僕は星野さんを諦める。

 だからその日も僕は、どうすれば彼女を傷付けずに別れることができるか、そんなことを考えていた。


 昼休み、たまたま先生に呼び出されて、肩身の狭い思いで職員室のイスに座っていた。

 何か悪いことをしたわけでもないのに、ここにいると叱られているような気分になる。


 ふと、かすかに聞き覚えのある声が聞こえるのがわかった。

 職員室の前には交流スペースのようなところがあるので、きっとそこにいる生徒のものだろう。


『ゆーみん聞いてよー!』


『うわ、どうしたの星野』


 声は二人分あって、片方は星野さんのものだった。


 聞き耳を立てたのは、今思えばよくなかったかもしれない。


『また桜庭くんの話?』


『そう! 桜庭くん、最近ちょっと冷たくって……』


 冷たかっただろうか。

 思えば、たしかに以前よりも、対応は雑になっていたのかもしれない。

 意外と、相手には伝わるものらしい。


『やっぱり桜庭くん映画大好きだから、デートとか誘い過ぎたのが嫌だったのかも……』


『まあ、あんまりベッタリだとウンザリされるかもね。そういうの好きじゃなさそうだし、桜庭くん』


 どうやら、星野さんは星野さんなりに、僕とうまくやっていこうと色々考えてくれているようだ。

 少なくとも、デートに誘い過ぎた、と反省するくらいには。

 なんだか、罪悪感がある。


『それに、最近私も映画見れてないし……桜庭くんの話についていけなくなってきてさぁ……』

 

『付き合える前は必死だったもんねぇ、星野。難しい映画いっぱい見てさ』


 ……えっ。


 ……今、なんて?


『だって桜庭くんが好きって言ってたから! でも頑張って勉強したおかげで、こうして仲良くなれた! えらい、私!』


『たしかに、そのためにあれだけ映画見れるのは普通に凄いよ』


 必死だった?

 頑張って勉強した?


 いったい、なんの話だ。


『ホントはちょっと、苦手だけどね。でも、好きな人の好きなものだもん、好きにならなくちゃ!』


「……は?」


 そのあと、やって来た先生の言葉は、僕の耳には全然入ってこなかった。


 早い話が、星野さんは演技をしていたのだ。

 僕が好きな映画を調べて、それを自分でも見て、好きなんだと嘘をついて。

 本当は苦手なのに、僕の気を引くために、頑張って勉強していた。

 僕が好きだったあの時間、星野さんと好きな映画について話す時間は、彼女の涙ぐましい努力によって実現したものだったのだ。


 なるほど、たしかにやり方としては正しいのかもしれない。

 実際、僕は彼女に惹かれて、こうして恋人になったのだから。


 しかし、それならあの子にとって、映画とはなんなんだ。

 趣味とは、好きなものとは、なんなんだ。


 人間なんだから、恋愛感情はあるだろう、当然だ。

 好きな人と仲良くなりたい、そう考えるのだって普通のことだ。


 だけど僕は、そのために自分の『ものに対する愛情』まで騙そうとは思わない。

 

 僕にとっては物語が、ほかの何よりも大切だ。

 そして、彼女もそうなんだと思った。

 それが嬉しかった。

 だから僕は彼女に惹かれた。


 恋愛感情に負けるのか。

 恋愛のためなら、趣味は二の次なのか。

 それが、普通なのか。


 次の日、僕は星野さんと別れた。

 理由を聞かれたけれど、何も言えなかった。


 きっと、彼女は悪くない。

 悪いのは、本気で恋愛を優先できない、僕の方なんだ。


 だから、星野さんにはもっといい相手がいる。

 その、僕とは違いすぎる価値観を共有できる、ぴったりの相手が。


 僕には無理だ。

 そんな風に恋愛をするなんて。


 「恋愛とはそういうものだ」。


 自然、僕の中にはそんな結論が浮かんだ。


 じゃあ、無理だ。

 僕には向かない。

 僕にはできない。


 でもそれでいい。

 僕は自分のやりたいように生きる。

 だから、僕のことは放っておいてくれ。


 これが、僕の体験したつまらない過去の全てだ。

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