第四章

043 ご機嫌ななめの藍奈さん


「……うぅん」


 手に持っていた本に栞を挟んで、僕はそれをテーブルの上にぽんっと置いた。


 集中力が、続かなくなっている。

 いや、正確には、意識が別のことに奪われて、それしか考えられなくなっているんだろう。


 『絶対に誰か、女の子と付き合わないといけない、ってなったら……どうする?』


 昨日から、何度もこのセリフが頭の中をぐるぐるしている。


 僕は、どうして答えられなかったんだろうか。


 絶対に誰かと付き合わなければならないなら、どうするか。

 そんなこと、考えたことがない。

 考える必要なんてないんだから、当然だろう。

 あくまでこんなのは、あり得もしない仮定の話なんだから。


 ……だけど。


「……はぁ」


 だけど、それじゃあ僕は、どうするんだろうか。

 もし本当に、そんな仮定が現実になったら、その時僕は……。


 いや、そうだ。

 誰かと付き合わなければいけないなら、出来るだけ自分にとって、邪魔にならない人を選ぶのがベターに決まってる。

 私生活に干渉して来ず、僕になんの影響も与えない、そんな人がいい。


 例えば、付き合ってはいても全然会わなくてよくて、一緒に出かけたりもしない。

 登下校も別々で、まる一日会わないことだって少なくないような、付き合っているということを感じさせない相手。


 なんなら、僕と同じような考えの人を探し出して、その人と付き合ってもいい。

 それならお互いに利点があるし、厄介な問題も起こらなさそうだ。


 うん、そうだ、それがいい。


「……」


 だったらなぜ、僕は遊薙ゆうなぎさんにそう答えなかったんだ。


 わかっている。

 あの時、遊薙さんに質問された時の僕は、今とは違うことを考えていた。

 考えてしまっていた。


 そしてその答えは、決して彼女に、いや、誰にも言えるようなものじゃなかったんだ。


「……ふぅ」


 いったいいつから、こんなことになってしまったんだろう。

 考えてみても、僕にはさっぱりわからなかった。

 それはものすごく最近、もしかしたらつい昨日からなのかもしれないし、もっとずっと前、彼女と今の関係になったときからなのかもしれない。


 けれど、今となってはもうわからない。

 わからなくていい。

 たとえわかったって、状況は何も変わらないのだから。


 その時、“コンコン”とノックの音がして、僕は反射的に身体を起こした。


「はい」


「兄さん、私です」


 聞き慣れた、感情の込もっていない声音。

 藍奈あいなはそのままドアを開けると、身体を半分だけ覗かせて、僕の方を見た。


「なに」


「夕飯の準備ができました」


「ああ、ありがとう。でも、後でもらうよ」


「いえ、今来てください。冷めてしまいます」


 藍奈はなぜか怒ったような顔で、けれど落ち着いた口調で言った。


「温め直すって」


「いえ、今です。待っていますので」


 “バタン”と大きめの音を立てて、藍奈はドアを閉めた。

 どうやらご機嫌が良くないらしい。

 理由は知らないけれど、まあ人間誰しもそれぞれ事情があるものだ。


 あまり刺激したくもないので、僕は諦めて、重い足取りで階段をくだっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る