回想
【回想】000-3 桜庭碧人は恋をする
『恋愛』というものへの興味は、元々薄かった。
昔から僕には本や映画みたいな、空想の世界の方が大切で、思春期になってもそれはあまり変わらなかった。
素敵だと思う女の子や、可愛く見える子だってもちろんいた。
ただ、僕はそういう子たちのことよりも、物語のことで頭がいっぱいだった。
それが悪いとも思わなかったし、そうじゃない周りのみんなのことを変だとも思わなかった。
考え方はひとそれぞれ、みんな違ってみんな良い。
僕はそういう言葉を、それこそ物語から教わったのだから。
けれど、そんな僕だって恋をした。
あれは、中学三年生の頃だ。
当時、僕は映画部に所属していた。
たしか正確には『映画研究会』だか『映画同好会』だか、そんな名前だったけれど、みんな映画部と呼んでいたので、ここでもそうすることにしよう。
同じ学年の女の子で、明るい子だった。
クラスではいつも中心にいて、目立つ子とも地味な子とも、誰とでも仲良くなれる人気者。
映画部は比較的地味な子たちが多い部活だったので、彼女のような女の子は部員の中でも珍しく、目立っていた。
彼女は
星野さんと僕はずっとクラスも違い、二年生の半ば頃までは、部活は同じでもほとんど会話したこともなかった。
けれど、ある時なにかのきっかけで、映画の好みが僕に驚くほど似ていることが発覚して、一気に仲良くなった。
僕は映画も小説も、かなりニッチな趣味をしている。
具体的にいえば、哲学的というのか、難解というのか。
とにかく、作品の中に何か複雑なテーマを仕込んで、無理やりこちらにそのテーマを突きつけてくるような、それでいて結論が押し付けがましくないものが好きだった。
もちろん、そういうものが好きな人は映画部にも少ない。
星野さんの他には、もう一人後輩の女の子がいるくらいだった。
部員のみんなで鑑賞する作品はもっとポピュラーでライトなものばかりだったし、僕もそういうものが嫌いなわけではないので、活動自体には満足していた。
それに、自分のそんな趣味を人にわかってもらおうとも思っていなかった。
けれど、やっぱり好みを共有できるというのは嬉しいものだった。
僕が好きだった作品を、星野さんも好きだと言った。
僕が感動したシーンで、星野さんも泣いたと話した。
僕が楽しみにしていた作品を、星野さんも見る予定だった。
そうして話したり、一緒に出かけたりした僕らは、どんどん仲良くなっていった。
ある日、二人で映画を見た帰りに、星野さんに告白された。
「す、好きです! 付き合ってください!」
僕にそう言った彼女の顔は真っ赤で、でもたぶん、僕の顔もすごく赤くて。
星野さんと話すのは楽しかったし、同じ趣味を一緒に楽しめるのだって素敵だと思っていた。
彼女の笑顔や仕草、動きの一つにまで注意を奪われてしまう。
彼女の顔を見るたび、声を聞くたび、ドキドキして幸せな気持ちになる。
これがきっと恋なのだと、僕は思った。
「僕も好きだ。付き合おう」
僕が答えると、星野さんは涙目になって喜び、その顔を見ると僕も嬉しくなった。
星野さんと付き合い始めると、いろんな人に茶化された。
ただ、それらは悪意の込もったようなものではなく、ほとんどは僕らを祝福するようなものだったけれど。
朝、一緒に学校へ行って、一緒に部活に顔を出して、一緒に帰る。
休みの日に学校の外で会って、ふたりで買い物をして、ふたりでご飯を食べて。
僕らはたくさん話して、たくさん同じ時間を過ごした。
けれど、そんな生活を一ヶ月ほど続けているうちに、僕はだんだんと困り始めていた。
どうやら恋愛、つまり男女交際というものは、僕が思っていたよりもずっと、優先度の高いものらしかったのだ。
例えば日曜日の夜、僕が家にいると、星野さんから電話がかかってくる。
僕はその頃携帯電話を持っていなかったので、鳴るのは家の電話だ。
リビングで受話器を取った
でも僕は、楽しみにしていた新作の小説を読んでいる。
「ごめん、今本読んでるから、電話はできないんだ」
本当に悪いけど。
最後にそう付け加えて、僕は素直に答える。
すると、星野さんは言うのだ。
『小説なんて後で読んでよー。せっかく電話したのに』
不機嫌な声だ。
少し、怒っているのがわかる。
だけど僕は、今読みたいのだ。
星野さんと話すのは楽しいし、彼女のことは好きだけれど、今の優先度は本の方が高い。
『なんでそんなこと言うの! ひどい!』
彼女の悲鳴のような声に、僕は訳もわからず、とにかく何度も謝って許してもらった。
後日、僕は友人たちに聞いてみた。
僕と星野さん、どちらが正しいと思うか。
べつに、自分の感覚の正しさを証明したかったわけじゃない。
ただ、普通の人はどう思ってるんだろう、どう考えるのが一般的なんだろうって、それが気になっただけだった。
「いや桜庭、お前冷たすぎ」
「星野さんより小説優先とかないわー」
「よくフられなかったなぁ」
彼らの答えに迷いはなかった。
たまたま近くにいた女の子も、彼らに同調していた。
そして、僕は知った。
ああ、恋愛というのは、恋人というものは、趣味よりも優先させなければならないらしい、と。
そんなこと、聞いてなかった。
だったら、付き合うときに一言、そう言ってくれればよかったのに。
そうと知っていれば、僕だってちゃんと判断ができたのに。
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