041 絶対引かない桜庭くん


「……ふぅ」


 手洗い場の鏡の前で、僕は小さくため息をついた。

 少し体調が回復したので、トイレに顔を洗いに来たのである。

 申し訳ないけれど、遊薙ゆうなぎさんはさっきのベンチに待たせてきた。


 それにしても……。


 気持ち悪さと彼女の強引さに負けて、膝枕なんてものをされてしまった。

 体調が戻った今だからこそ言えるけれど、なにやってるんだ、僕は……。

 自分が情けなくて、嫌になる。


 ただ逆に考えれば、遊薙さんもこれで、僕の不甲斐なさというか、どうしようもなさに辟易へきえきしたんじゃないだろうか。

 なるほど、遊園地でデートすると別れやすいというのは、もしかしてこういうことなのでは。


 なんだか色々ありすぎて、本来の目的をすっかり忘れていた気がするけれど、きっとそういうことなんだろう。

 そういう意味では、事態は良い方向に進んでいると言えなくもないのかもしれない。


 なんとなく元気を取り戻してから、僕は遊薙さんのところへ急ぐことにした。


「……ん?」


 ベンチへ戻ると、そこには妙な光景が広がっていた。


 立っている遊薙さんを囲むように、若い男が三人、集まっている。

 格好や雰囲気から察するに、大学生だろうか。

 派手な服装、髪型というわけではないものの、それなりに乱れていそうな雰囲気がある。

 遊薙さんの知り合い、というふうには見えないし、なにやらトラブルがあった、ということでもなさそうだ。


 まあ、あそこにいるのが遊薙さんだってことを踏まえれば、彼女目当てのナンパ、と考えるのが妥当なような気はするけれども。


「ちょっと、やめてください」


「いいじゃんお姉さーん。彼氏そんなにイケメンなの? 俺らの方がカッコいいんじゃない?」


「それに、お姉さんのこと置いてひとりでどっか行ったんでしょ? そんな彼氏やめときなってー」


「迷惑です。大声出しますよ」


 ううん、こんな連中って本当にいるんだなぁ。

 僕らの県にはいなかったけど。


 しかし、遊薙さんはずいぶんと落ち着いているようだ。

 おそらく、こういう状況に慣れているのかもしれない。

 そう思うと、少し複雑な気分にならざるを得ない。


 それにしても、どうしたものだろう。

 男三人を追い払う力なんて僕にはもちろんないけれど、放っておくことはできない。

 それに、対策を考える時間もない。


 仕方ない、出たとこ勝負だな、これは……。


「あのー」


「ん? うおっ! マジで彼氏しょぼいじゃん! ぎゃはは!」


 おいおい、失礼なやつめ。

 まあ、しょぼいのは否定しないけどね。


「その人、僕の彼女なので、他を当たってください」


「おーおー、カッコつけちゃって」


 リーダー格の男が僕に近づいてきて、馬鹿にするような視線をこちらに向けた。

 威圧するように僕の肩に手を置いて、強めの力で握ってくる。


「やめときな。このに遊ばれてるだけだよ、お前」


「どう見ても釣り合わねぇじゃん、お前なんかじゃ」


 ムカっ……。


 釣り合わない、というのはごもっともだし、僕だって遊薙さんには、それをしっかりわかって欲しいと思ってる。

 でも、他人に言われると案外、腹が立つもんだ。


 それに釣り合ってなかったとしても、僕には彼女をここに連れてきた責任がある。

 怪我も不安も無く、ちゃんと安全に遊薙さんを帰らせなければならない責任が、僕にはあるのだ。


 僕はリーダー格の男の目を真っ直ぐ睨んで、言った。


「言っておくけど、彼女だけ連れて行きたいなら、暴力を振るうしかないぞ」


「……あぁ?」


 三人の男は、それぞれが不快さを隠そうともしない表情になった。

 さっきまでの馬鹿にした様子では無く、そこには確かな怒りがこもっている。


「僕は絶対にどかないし、彼女だって僕から離れない」


 言いながら、驚きを浮かべて目を見開いていた遊薙さんの手を掴む。


「威嚇して僕を引かせようと思ってるんだろうけれど、君たちは絶対に、僕を殴り飛ばさないと彼女を連れて行けない」


「……なんだテメェ?」


「お前、ムカつくなぁ……!」


 そう。

 どうせこいつらは、僕を脅すことしかできやしない。

 実際に暴力を振るって、暴行罪を背負う度胸なんかないんだ。


 遊薙さんを背中に隠すようにして、僕は続けた。


「僕を殴って、周りの目に晒されて、通報に怯えて、それでも彼女を連れて行きたいなら、やってみれば良い。僕は恐怖を与えるだけで逃げる相手じゃない。殴られるところまでは、もう覚悟してる。でもそっちには、そこまでの覚悟があるのか」


「お、おい……」


「……行こうぜ。なんかこいつ、めんどくさそうだ……」


「……チッ」


 三人は各々に口汚く僕らを罵倒しながら、肩を揺らして去っていった。

 最後まで口だけの連中だったな。

 まあ、そのおかげで僕も助かったわけだけれど。


「……ふぅ。ごめんね遊薙さん、僕がトイレになんて」


「桜庭ぐぅうんっ‼︎」


 謝る僕の言葉を遮って、遊薙さんはあろうことか僕に抱きついてきた。

 突然のことに、思わずうろたえてしまう。


「ちょ、バカ、なにしてんの! もうあいつらいないから! 大丈夫だから!」


「桜庭くんこそバカ! 心配したもん! ホントに殴られたらどうしようかと思った! わぁぁん‼︎」


 気がつくと、遊薙さんは涙目になっていた。

 口を真一文字に結び、歪んだ表情で僕を睨んでいる。


「平気だって。僕がちょっと怪我をするだけで、向こうは大打撃なんだ。あいつらもそれくらいの損得勘定はできるさ。それに、人目もあるしね」


「ちょっとの怪我で済まなかったらどうするのよ! 私のせいで桜庭くんが痛い思いするなんて、私いやだ‼︎」


「いやあ、でも」


「でもじゃない‼︎」


 遊薙さんはついに声を上げて泣き出してしまった。

 これは、困ったな……。


 とりあえず、遊薙さんをベンチに座らせて、僕もその隣に。

 ぼろぼろと涙を流す彼女にハンカチを渡して、僕は遊薙さんの背中をゆっくり撫でた。


「……ごめん、悪かった。たしかに、君への配慮が足りなかったかもしれない」


「……ぐずっ」


「ただ、僕が怪我してでも、君のことは守らなきゃいけない。君をデートに誘った責任が、僕にはあるから。だから……」


「……」


 しばらくそうしていても、遊薙さんはなかなか泣き止まなかった。

 僕が疲れて撫でるのをやめると、彼女は僕の二の腕を抱きしめて、またしばらく泣いた。

 振り解くわけにもいかず、僕は顔を逸らして居心地の悪さを誤魔化し、少しずつ日が暮れていくのをぼんやりと眺めた。


「……桜庭くん」


「なに」


「……ありがとう」


「いや……。悪いのはたぶん、僕だから」



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22時にもう一度更新します!

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