033 遠慮しません白戸さん


 待ち合わせ時間のちょうど10分前に、白戸しらと華澄かすみさんはやって来た。

 切り揃えられた前髪から覗く眠そうな目と、なんとなく浮世離れした雰囲気。

 彼女を見ていると、この人が遊薙ゆうなぎさんの親友だということが、たまに信じられなくなる。


 場所は駅前の噴水前。

 今日は土曜日で、他にも待ち合わせらしい人々がちらほらと立っていた。


「おはよう。ごめんね、来てもらって」


「いいよ」


 白戸さんはあっさりそう答えたきり、僕が歩き出すのを促すように黙ってこちらを見た。

 たしかにお互い、社交辞令でアイスブレイク、というタイプでもないので、さっそく決めていたお店に向けて移動することにする。


静乃しずのには内緒ね、二人で会ったこと」


「それがよさそうだね」


「あの子、メンタル弱いからさ。知られないなら、それが一番だよ」


 同感だ。

 もちろん、今日白戸さんと会っていること自体には、何もやましいところはない。

 けれど遊薙さんのことだから、この会合が知れると、きっといろいろと面倒なことになる。


「でも、もしバレたら、すぐに認めた方がいいね。そこに私がいなかったら、桜庭くんは下手なことは言わず、すぐ私に電話して」


「は、はい。わかりました……」


 白戸さんの淀みない指示に、思わずたじろいでしまう。

 きっと彼女には、僕なんかよりもずっと、多くのことがわかっているのだろう。

 おもに、遊薙さんの扱い方について。


「さあ、入って」


「ん」


 あらかじめ決めておいた定食屋さんに、二人で入る。

 案内された座敷の席に腰掛けて、一緒にメニューを見た。


 ここは僕のお気に入りの和食屋で、味と値段のバランスが良く、店内が落ち着いている。

 そして何よりも、客層が中年ばかりで若者、特に学生はほとんど来ない。

 ここなら人目を気にせずに、ゆっくり相談ができると踏んだのだ。


「御馳走してくれるんだよね」


「うん。そういう約束だからね」


 食事代を僕が払う。

 そういう条件で、白戸さんは僕の誘いに応じてくれた。


 実際のところ、こういう取引は僕にとってはありがたい。

 こうすることによって、僕は気兼ねなく白戸さんに助けを求めることができるし、彼女だって代金を貰った手前、協力するのに理由ができる。


 要するにこれは、変な駆け引きなしで相談に乗ってもらう、その証明みたいなものなのだ。


「じゃあ『上うな重定食』」


「金額の指定をしなかった僕が悪いんだけど、もう少し大人しいやつにしてくれない?」


「じゃあ『うな重定食』」


「具体的に言わなかった僕がまた悪いんだけど、うな重以外にして欲しいな」


「じゃあ『うなぎの蒲焼き定食』」


「本当にすみませんでした。1500円まででお願いします」


「はいはい」


 うなぎのページをめくりながら、白戸さんは愉快そうにクスクスと笑っていた。

 どうやらからかわれたらしい。

 彼女は大抵いつも真顔なので、ボケと真面目の区別がつきにくい。


「桜庭くんって、意外とおもしろいよね」


「正直、それはこっちのセリフだよ」


「じゃあ『ぶりの照り焼き定食』」


「オッケー」


「あ、デザートつけてもギリギリ1500円以下だ」


「実は日本には消費税というものがあるんだよ」


「税込みか税抜きか決めずに1500円って提示しちゃったことを悔やんでるの?」


「ああ、もうわかったよ。税抜き1500円までね」


 白戸さんはまた笑った。

 学校ではあまり見せない、緩んだ表情が新鮮だ。

 彼女は案外、明るい人なのかもしれない。


 白戸さんが選んだデザートセットと自分の定食を注文して、僕たちは同時にお茶を飲む。

 最初に出てくるのが熱いお茶だというのも、僕がここを気に入っている理由の一つだったりする。


「それで、相談ってなんでしょう」


「ああ、うん。ちょっと、困っててね」


 料理が運ばれてくるのも待たず、本題へ。

 長くなるかもしれないので、これぐらいのペースがちょうどいいのかもしれない。


 僕は最近の悩みだった、『どうすれば遊薙さんが愛想を尽かしてくれるのか』という問題について、出来る限り詳細に話した。


 自分は遊薙さんどころか、誰とも交際をしたくないということ。

 彼女にフラれる予定で、条件をつけて付き合っていること。

 けれど彼女がしぶとくて、打開策が見つからないということ。


 白戸さんは運ばれて来た定食を食べながら、静かに僕の話を聞いていた。

 その間、彼女は驚いたり、笑ったり、顔をしかめたり、そういうことを一切しなかった。

 ただ時折頷いて、ふん、と鼻を鳴らすように声を漏らすだけだ。


「で、なにかいい方法はないかと思って、頼れそうな人を探したんだけど」


「それが私、ってことか」


「そういうこと」


 話がひと段落したことを示すために、僕は味噌汁をゆっくり飲んでみる。

 白戸さんはなぜだか、しばらくまっすぐ僕を見つめてから、ふっと小さく息を吐いた。


「もちろん知ってると思うけど、私、静乃の友達だよ」


「そうだね」


「私が桜庭くんに協力すると思う?」


「わからないけど、僕にはもう、君しか頼れる人がいない」


 僕がそう言うと、白戸さんは少しだけ目を大きく見開いて、また僕を見た。


 でも、本当のことだ。

 和真かずまをはじめとした普段ある程度話す友達からは、あまり有力な情報を得られなかった。

 それもそのはずで、そういう人たちが相手だと、どうしても話が一般論に偏ってしまう。

 だからこそ、ちゃんと『遊薙さんの話』として相談できる白戸さんは、考えうる限りでは最高の相手なのだ。


「もちろん、白戸さんはきっと遊薙さんの味方なんだとは思う。遊薙さんは君の親友だからね」


「……それじゃあ」


「でも、白戸さんはもう、僕の友達でもある。それに、君はこういう真面目な相談事を、袖にする人じゃなさそうだしね」


 白戸さんは黙って下を向き、お皿に残ったぶりの骨を眺めた。

 僕は彼女の次の言葉を待ちながら、魚の食べ方が綺麗だなぁ、なんて呑気なことを考えていた。


「……なんだか、桜庭くんがモテる理由が、ちょっとわかった気がするよ」


「え……な、なに、急に」


「ううん、なんでもない」


「……そ、そうか」


 なんだか、意外なセリフが出たものだ。

 ただ、あまり深く追求するのは、やめておいた方がいいのかもしれない。

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