031 実はいました古柴さん


古柴こしばー。あの子来たよー」


 カフェ『ロベリア』のスタッフルームに、張りのある声が響く。

 そのセリフで私、古柴芽依めいはおもしろいくらいに肩を弾ませてしまった。


「ほ、ホントですか! 本多ほんだ先輩!」


「うん。カフェオレのビター頼んで本読んでる」


 それは、絶対に彼だ。


「どうしよう! 私まだ休憩30分もあるのに……!」


「いつもけっこう遅くまでいるし、大丈夫でしょ」


「今日はわからないじゃないですかぁー!」


 私が叫ぶと、本多先輩はやれやれというように首を振ってからスマホをいじり始めた。

 私は胸に手を当てて深呼吸をしてから、休憩室にある姿見で身嗜みを整える。


 私たち女子高生にとって、恋愛は生活の一部だと言っても過言じゃないと思う。

 同じクラスの男の子、部活の先輩、塾の友達。

 私たちは色々な人に恋をするし、そこにはそれぞれの形、物語がある。


 もちろん、私も例外ではない。

 ただ私の場合、ちょっとその相手が珍しいってだけで。


「あの子がそんなに良いの?」


「良いですよ! 優しいし、なんかミステリアスで素敵ですもん!」


「ミステリアスねぇ」


 私の恋の相手、それは何を隠そう、バイト先の常連さんだった。

 ここカフェ『ロベリア』は、知る人ぞ知る隠れ家的な喫茶店で、私はこういうお店への憧れと時給の良さに惹かれて、バイトを始めた。


 働き始めてすぐの頃。

 まだ慣れない靴でふらついて、運んでいた飲み物を落としてしまった私に、その人は誰よりも早く駆け寄ってくれた。

 お客さんなのに。

 遠くの席に座っていたのに。


「確かにびっくりしたけどねー。あたしが行ったら、お客さんが掃除してるんだもん」


「掃除じゃないですよ! あの人、私の怪我の心配してくれてたんです!」


 あの人は急いで走ってきて、真っ先に私に「怪我してないですか?」って聞いてくれた。

 それから、パニックになって頷くことしかできなかった私の代わりに、自分のハンカチで私の服を拭いてから、割れたグラスの破片まで集めてくれた。


 その後はすぐ、先輩が助けに来てくれて大事にはならなかったけれど、私はその時から、そのお客さんのことが気になってしまうようになって……。


「今どきの学生には珍しい紳士ではあるね」


「そうなんですよ! しかも、実はちょっとイケメンだったり?」


「そうかな? あたしはあんまり好みじゃないけど」


「もう! いいんですよ、本多先輩の好みは!」


 その人は線の細い印象の色白の男の子で、たぶん近くの高校の学生だと思う。

 いつもふらっとやってきて、同じ飲み物を頼んでずっと本を読んでいる。

 私はバイト中に彼を見かけるたび、わざと近くのテーブルを拭きに行ったり、遠くから眺めてみたりしていたけれど、当然ながら何も進展はない。


 私は出来るだけたくさん彼に会えるように、何曜日に来ることが多いか調べたり、シフトを増やしてみたりした。

 でも彼が来るのは本当に不規則で、会えたらラッキー、くらいのものだった。


 しかも度胸の無い私は、まだ注文以外で彼と会話したこともない。

 ああ、もう……ホント、自分が情けないよ。


 ただ、いつまでもそんなこと言ってられない。

 そう思わざるを得ない事件が、少し前に起きたのだ。


「でも彼女いるんじゃないの? あの子」


「かっ、彼女じゃないですよ!」


「女の子と二人で来てたんでしょ? しかも美人の」


 そう。

 それはゴールデンウィークの前のこと。

 いつもひとりで来ていたはずのあの人が、同い年くらいの女の子を連れてきた。


 その女の子は本多先輩の言う通り、ものすごく美人で、大人っぽくて、しかもあの人と仲が良さそうだった。

 きっと、同じ学校のお友達か何かだと思う。

 でも、彼女じゃない。

 絶対に違う。


「どうしてわかるの?」


「私、ちゃんと会話聞いてましたもん! 近くで!」


「うわ。店員としてそれってどうなの?」


「そ、それは今はいいじゃないですか!」


「よくないと思うけど」


「と、とにかく! あの二人は本の貸し借りをしてただけです! それに、あの雰囲気は絶対、付き合ってないですよ!」


 私が言うと、先輩は「はいはい」と言って適当に手をひらひらと振った。

 むぅ……信じてないな。


 ただ私の見立てでは、あの女の子はたぶん、彼のことが好きなんだと思う。

 当然だけど、私には私の生活があるように、彼には彼の学校生活が、そこでのコミュニティがある。

 それにあんなに素敵な人が、モテないはずもない。

 もたもたしてたら、きっとすぐに誰かに取られてしまう。


 だから私は、次にあの人が来たら、今度こそ声をかけるって決めていた。

 具体的には、連絡先を交換して、通ってる高校を聞いて、それから……。


「でもさぁ古柴、そもそもお客さんと付き合うって、ダメじゃない?」


「えっ⁉︎」


 な、なんで……⁉︎


「だって、普通ダメでしょ。こういうお店ってイメージ大事だし。店員が客のこと物色してるとか噂されたらどうすんのよ」


「そ、それは……まあ、確かに……。で、でも! なんかよくドラマとかでありません? 常連客と店員の恋って……」


「お客さんから声かけるならともかく、店員からはさすがにダメだって。ここって雰囲気大事にしてるお店だし」


「うぅっ……」


「それに、店長あんまり店に顔出さないけど、あの人そういうの厳しそうじゃん」


 なんだか、本多先輩の言うことがものすごく正しいような気がして、私は思わず俯いてしまった。

 ってことは、私はこのバイト辞めないと、彼にアプローチできないってこと……?


「もし連絡先とか渡して、断られてネットにでも書かれたら終わりだしね」


「はうぅ……」


 本多先輩は適当なように見えて、こういうときはとっても冷静で頭がいい。

 だからいつも慌てないし、仕事もできるんだろうなぁ……。


「せ、先輩……私はどうすれば……!」


「さあ? 今の聞いても諦められないなら、リスク覚悟で当たってみれば?」


「えっ。で、でも……」


「結局、あんたが何を優先するかって話じゃん。ただのバイトなんだし、立場悪くなったらやめればいいしさ。モラル的にはよくないだろうけど、お客さんと恋愛しちゃダメって規則があるわけじゃないし」


「せ、先輩……!」


「まあ、あたしはそんな面倒そうなことしないってだけ。今日クローズまでっしょ? あたしも一緒だし、もしあの子が閉店までいたら、声かけてみれば? 閉め作業はまあ、あたしがやっとくし」


「ほ、本多先輩ぃぃぃい! ありがとうございますぅぅぅ!」


 優しすぎる……!

 やっぱりなんだかんだ言って、本多先輩はすっごくいい人だ。

 この人が先輩でよかった……!


「ジュースおごらせていただきます!」


「おっけー。あと、引き際肝心だから、気をつけなよ」


「はい、アネゴ!」


「アネゴ言うな」


 よし!

 そうと決まれば、後はあの人が閉店までいてくれるのを祈るだけ……!

 神様、お願いします!

 どうか私にチャンスを!

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