028 自覚はあります桜庭くん


 緊急事態だ。


 十数日ぶりにやって来た放課後の図書室で、僕は腕を組んで唸っていた。


 昨日でゴールデンウィークも終わり、学校が再開した。

 連休中にいろいろなことがあったせいで、僕は事態が良くない方向に進んでいるのを自覚せざるを得なかった。


 ずばり、遊薙さんと、親しくなりすぎている。


 気づけばこんなことになっていた。

 もちろん、最初から仲が悪かったわけではないのだけれど、最近ではなんだか、普通に仲良くなってしまっているような気がするのである。


 原因は明確だった。


 まず第一に、遊薙さんがものすごく、いい人だということ。

 彼女は持ち前の人懐っこさと人柄の良さで、僕との距離をゆっくり、けれど確実に縮めてくる。

 自他共に認める僕の人付き合いの悪さを、ものともしていない。


 ただ、これは仕方ない。

 言ってしまえば、わかっていたことだ。


 彼女が外見だけでなく、中身も素敵な女の子だってことは、わかり切っていた。

 だから、問題はもう一つの原因の方にこそ存在する。


「……ふぅ」


 静かな図書室の真ん中で、僕はゆっくりと長い息を吐いた。


 第二に、僕が、絆されすぎているということ。


 以前僕は言った。

 今の僕と遊薙さんの関係は、『僕が彼女を好きになるか、彼女が僕を諦めるか』、その勝負だと。


 そして僕は、時間が経てばそのうち、彼女が諦めると思っていた。

 僕という人間がどれだけつまらないやつなのか知れば、遊薙さんは自然と離れていくだろう、と。


 ただ、彼女は僕の予想に反して気が長かった。

 そして僕の予想以上に、僕のことを好いていた。


 もちろん、僕の方は彼女のことを好きになったりはしていない。

 していないけれど、彼女のことを知れば知るほど、彼女と一緒に過ごせば過ごすほど、やっぱり遊薙さんは非の打ち所のない女の子だということがわかってしまう。


 そんな彼女が僕に向けて、照れたような笑顔を向けたり、甘えるような言葉をこぼしたりする。

 そうしているうちに、いたって平凡な人間である僕の彼女への対応が、どんどん甘くなってしまってきているのだ。


 しかも彼女は、藍奈あいなや母さんにまで気に入られて、学校でも僕と友達として定着してしまっている。

 遊薙さんがそこまで考えていたとは思えないけれど、結果として僕は彼女に、外堀を埋められていたのだ。


「これは……まずいのでは」


 呟くような自分の声で、僕はますます心が重くなるような気がした。


 そもそも、意志が弱すぎるんだ、僕は。

 泣いてた彼女を慰めたのも、家に呼んでしまったのも、一緒に映画を見たのもそうだ。

 結局は彼女の可愛らしさといじらしさに、負けただけ。

 遊薙さんの魅力としぶとさを見くびっていた、僕の自業自得だった。


 対策を立てないといけない。

 遊薙さんが僕を諦めるのを待つんじゃなく、僕に愛想を尽かすような展開にしなければ。


「……よしっ」


 カバンを持って、僕は図書室を出た。

 本気で作戦を練ろう。


 愛想を尽かされると言っても、嫌われればいいというわけじゃない。

 わざと彼女が嫌がることをしたりすれば後が怖いし、何より気分が悪い。

 僕にこだわることがどれほどくだらないか、それを自然な形で、遊薙さんにわかってもらうしかない。


 なにか良い方法はないものか。

 いや、恋愛経験に乏しい僕が考えたって、そんなものが思い浮かぶわけがない。

 ここは恋愛に詳しそうな人に、リサーチしてみるのがいいだろう。

 

「今度、和真かずまあたりに聞いてみるかな」


 靴を履き替えて、昇降口を出る。

 なんだか、雲行きが怪しい。

 今にも雨が降り出しそうだった。


「……あっ!」


「ん……あれ。御倉みくらさん」


 声のした方を見ると、クラスメイトの御倉さんが立っていた。


 御倉さんは今日も背筋がピンと伸びていて、立ち姿がとても凛々しい。

 ただ、いつもはクールなイメージの彼女の表情が、何故だか今は少し緩んでいるようにも見えた。


「あ、碧人あおとくん……! や、やあ、偶然だね」


「そうだね。御倉さんも今帰り?」


「う、うん。少し用事があって、遅くなってしまった」


「そっか。……あっ」


 そうこうしている間に、案の定雨が降り始めた。

 しかもけっこうな本降ほんぶりだ。

 御倉さんと一緒に、急いで屋根の下へ避難する。


 参ったな。 

 もう少し図書室で時間を潰して、雨脚が弱まるのを待つべきだろうか。


 見ると、御倉さんの手にはしっかりと水色の折り畳み傘が握られていた。

 さすが御倉さん、用意がいい。


「あ、碧人くん、傘は?」


「いやぁ、予報では晴れだったし、折り畳み傘も前に壊れちゃって、まだ新しいのを買ってなくてね」


「そ、そうか……」


 仕方ない、カバンに読みかけの本があるから、しばらくはそれを読んで様子を見るとしよう。


「あ、あの、碧人くん。もし良ければ、その、一緒に……」


「……え」


「ふ、二人で……傘を使わないか?」


 僕はなぜだか、遊薙さんのことを思い出していた。

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