026 彼女に弱い桜庭くん
「……」
「……」
「……」
「……」
……。
……気になるな……。
「
「ん、どうしたの?」
「いや、なんでずっとこっち見てるの」
ベッドに横になって本を読む僕の横顔を、遊薙さんはただずっと無言で眺めていた。
何がそんなに嬉しいのか知らないけれど、ニコニコと満面の笑みで。
最初こそ特に気にしていなかった。
でもあまりに長い間そうしているものだから、さすがの僕も声を掛けずにはいられない。
「だって、桜庭くん本読んでるから」
「うん。いや、それはそうなんだけどさ。君も何かしてなよ。暇でしょ」
「ううん、私は桜庭くんを見てるだけで楽しいもん」
そう言った遊薙さんには、一つもふざけたようなところがなかった。
もしかして、本気で言っているんだろうか……。
「いや、君を放置して本を読んでるのは悪いと思ってるよ。でも僕は今日、これを読むって決めてるんだ。だから、遊薙さんも何かしてて」
「うん。だから桜庭くんを見てるね」
「……わかった、言い方を変えよう。見られてると集中できないから、やめて」
「えー」
「えー、じゃなくて」
「いいでしょ。減るもんじゃないんだし」
「そういう問題じゃない。気が散るって言ってるの」
「気にしてくれなくていいのに」
……だめだ、この人は。
僕は一度本に栞を挟んで、ミルクティーを一口飲んだ。
気がつくと、いつの間にか遊薙さんのケーキと飲み物は無くなっている。
ベッドに座ったまま、身体を遊薙さんの方に向ける。
遊薙さんは拗ねたように口を尖らせて、少しだけ身体を揺らしていた。
「君がどうしてそんなに僕のことが好きなのか、本当にわからないんだけど」
「優しい、カッコいい、あと声と目も好き」
淀みと迷いのない声で、遊薙さんが言った。
なんだか今日は、いつにも増して調子が狂うな……。
「だって桜庭くん、考えてもみてよ!」
「……なにを」
「私ほんの一ヶ月前まで、桜庭くんと話したこともなかったのよ? なのに今は、こうして妹ちゃんとも仲良くなれて、桜庭くんの部屋にまで入れるようになって……」
「……」
「これ以上贅沢なことないもん。だから桜庭くんに放置されたっていいの。それに、桜庭くんの邪魔だってしたくないし」
遊薙さんの口調はいたって真面目だった。
本当に、この美少女はなんというか……。
「……映画、見る?」
「えっ?」
「映画なら……まあ、一緒に見れるし。本も気になるけど、そっちは君が帰ってから読むことにするよ」
「ほ、ホント? いいの?」
「……いいよ」
「やったぁ! ありがとう桜庭くん! 大好き!」
嬉しそうな顔しちゃって……。
遊薙さんは飛び跳ねるように大袈裟に喜んで、
結局、僕は今回も彼女に負けたのだ。
「でも、何を見るかは僕が決めるからね。つまらなくても文句言わないこと」
「えー、恋愛ものがいいなぁ」
「すぐ調子に乗る」
言いながら、リモコンを操作してテレビをつける。
いつも使っている動画配信サービスで、気になる作品はいくつかチェックしてあった。
「見ーせて」
遊薙さんが、身体をくっつけるように僕の隣にやって来た。
不覚にも少し、ドキッとしてしまう。
天然か、それともわざとだろうか……。
そんなことを思ってちらりと覗いた彼女の顔は、僕の予想に反して真っ赤になっていた。
「……見ないで」
「……恥ずかしいならやらなきゃいいのに」
「いいでしょ……彼女なんだから」
「……」
「……」
なんだろう、この空気は。
なんだかまるで、本当のカップルのような……。
そう言えば、そもそも僕たちは、恋人同士と言えるのだろうか。
形式上付き合ってはいるものの、両想いというわけではない。
果たして、なんと呼ぶのが正しいのか……。
いや、やめよう、この話は。
なんとなく、深く考えてはいけないような気がする。
「あ、これは? 『ふたりの時間』。感動できそうじゃない?」
「それ、駄作で有名」
「え、そうなの。じゃあやめる」
「きみ、適当に選んでるだろう」
「だって、あんまり映画知らないんだもん」
「でも、僕に初めて会ったのは映画館なんでしょ」
「それはたまたま。あ、そうだ。あの時の映画はないの?」
「あれはまだ、公開から半年も経ってないからね。有料配信ならしてるかもしれないけど」
「有料かー」
結局、あーでもないこーでもないと言い合いながら、僕らは見る映画を決めた。
『水底で待ち合わせ』というミステリーで、最近配信が始まった作品だ。
ミステリーとしての評判も良くて、恋愛要素もあるので、二人とも納得した。
「怖いかな?」
「さあ。不気味ではありそうだけど」
「そっか。じゃあ、はい」
遊薙さんはそう言って、不意に僕の方に自分の手を差し出してきた。
初めてしっかり見る、遊薙さんの手。
想像よりも華奢で、白くて、まるで透き通っているみたいに見えた。
「……なに」
「手、繋いで」
「やだよ」
「なんで! 怖いかもしれないんでしょ?」
「怖くないよ」
「怖いの!」
「ほら、始まったから静かにしてて」
「いじわるー!」
遊薙さんは頬を膨らませて、テレビの方へ向き直った。
僕は何度目か分からなくなったため息をつきながら、リモコンでテレビの音量を調節した。
「……ねぇ、桜庭くん」
「なに、今度は」
「……どうしてあの時、助けてくれたの?」
あの時。
遊薙さんは言った。
あの時というのはきっと、あの時のことだ。
僕が、彼女のひっくり返したポップコーンを拾い集めて、新しいのを買ってあげたという、あの出来事。
遊薙さんは、今度はこちらを見なかった。
「……正直、覚えてないんだけど」
「……うん」
「たぶん僕は君に、映画を楽しんで欲しかったんだと思う」
「……」
「落ち込みながら映画を見るのって、もったいないから。せっかく見るなら他の人にも楽しんで欲しいし、僕だって、誰かが嫌な気持ちのまま映画を見てるって思いながら、見たくなかったんだ」
「……そっか」
「……だから僕は、相手が君じゃなくたって、同じことをしたと思う。つまり、君の気持ちは」
「桜庭くんっ」
僕の言葉を遮るように、遊薙さんはピンと立てた人差し指を僕の口に当てた。
遊薙さんは綺麗だった。
とても綺麗で、でも、今にも消えてしまうんじゃないかと思うくらい、儚げだった。
「映画、見よ」
「……そうだね」
なんだよ。
君からこの話、始めたくせにさ。
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