025 集中してます桜庭くん


 今日は学校が休みだった。

 いや、正確に言えば、今日“から”休みだ。


 ゴールデンウィーク。

 ついに今年も、この素晴らしい期間がやってきた。


 しかも、祝日と土日の位置関係によって今年は特に連休が長い。

 8連休だか9連休だか知らないけれど、とにかくたくさん休むことができる。


 人々はこのチャンスに、それぞれやりたいことをやり、行きたいところへ行って、会いたい人に会うんだろう。

 そしてもちろん、僕も例外ではない。


「兄さん、買い物に行きますが、何か必要なものはありますか」


「んー」


「……ありませんね。それでは、行ってきます」


 “ガチャン”という音で、僕は手元の小説から顔を上げた。

 なんだか、藍奈あいなの声がしたような。


 まあいいか、たぶん気のせいだろう。


 再び視線を文章に戻すと、僕の意識はスッと本の中へと吸い込まれていった。


 ……。


 “ピロン”


 ……。


 “ピロン”


 ……うるさいな。


 テーブルに置いていたスマホを取って、画面を確認せずにサイレントモードにする。


 僕はこの連休を、ずっと映画と小説で過ごすって決めてるんだ。

 連絡は寝る前にでも返せば、それで充分だろう。


 それにしても、今読んでいる本はかなりのアタリだ。

 四巻まであるうえに、一冊がかなり分厚いから、これはものすごく楽しめる予感がする。

 思い切ってまとめ買いして正解だった。


 こういうのはやっぱり、一気に読むのが一番おもしろい。

 他にも期待している作品がたくさんあるので、どんどん読み進めていこう。



   ◆ ◆ ◆



「兄さん、ただいま帰りました」


「んー」


「お昼ご飯はどうしますか」


「んー」


「……いりませんね。夕飯はさすがに食べてくださいね。19時予定です」


「んー」


「それから、先程静乃しずのさんから連絡がありました」

 

「……んー」


「兄さんがメッセージを見ないせいですよ。伝言です。『今日、会いたい』だそうです」


「んー」


「おうちに招待しても構いませんか」


「んー」


「わかりました。それでは、伝えておきます」


「んー」


 ………………。


 …………。


 ……。


 おお、さっきのセリフはこういうことだったのか。

 なら、側近二人の言動にも辻褄が合う。

 ただ、それでも結局は時間の問題だ。

 根本的に敵の策を瓦解させないと、情勢は変わらないわけだし。


 ……ふぅ。


 最後の一文を読み切って、僕は一巻をテーブルに置いた。

 おもしろくなってきた。

 それにしても、いいところで終わったなぁ。

 一気読みじゃなければ、待ちきれなくて暴れてたかもしれない。


 二巻を手に取る前に、紅茶を淹れることにした。

 階段を降りて、リビングへ。

 ミルクティーの粉末、まだあったっけ。


 ぼんやりとした意識のまま、僕はリビングの扉を開けた。


「あ、降りてきましたね、兄さん」


「桜庭くんだー!」


 ……ん?


 なんか、人が多いような。


「せっかく静乃さんが来てくださったのに、いつまでも本ばかり読んで」


「え……うわ、ホントだ。遊薙さんがいる」


「やっぱり聞いてなかったんですね、私の話」


 藍奈は不思議なことを言って、やれやれと首を振った。

 なんのことかわからないけれど、なんとなく心外だ。


 見ると、テーブルには二人分の飲み物と食べかけのケーキが置かれていた。


「お邪魔してます、桜庭くん。後で部屋にも行っていい?」


「え、いやだ」


 僕は一人で、落ち着いて本が読みたいんだ。


「兄さん、そんな冷たいことを言ってはいけません。お休みなのに来てくださったんですから、ちゃんとおもてなししないと」


「藍奈に任せるよ」


「馬鹿なこと言ってないで、早く連れて行ってあげてください」


 そう言って、藍奈は僕の方に向けて遊薙さんの背中を押した。

 ぶつかってしまわないように、反射的に遊薙さんを手で受け止める。


「藍奈、危ない」


「兄さんがしっかりしていれば平気です。それでは」


 そう言ってドアを閉めた藍奈は、思い出したようにもう一度戻ってきて、僕に遊薙さんのケーキと飲みものを渡した。

 はぁ、とため息をついてから、今度はそれを遊薙さんに渡す。


「先に部屋行ってて。場所わかる?」


「う、うん! 上がって左よね?」


「うん。僕は自分の紅茶淹れてから行くから」


 少し頬を赤くして、大袈裟な笑顔で頷いた遊薙さんを見送ってから、リビングに戻る。

 キッチンでお湯を沸かしていると、藍奈がトコトコとこちらへやってきた。


「静乃さんがいるのに、また本を読んだりしちゃダメですよ」


「読む」


「こら」


「なにをしようと僕の勝手だ」


「はぁ……こんなののどこが良いんだか」


「なにを勘違いしてるのか知らないけど、遊薙さんはただの友達だよ」


「そうですか」


 藍奈はそんなことを言って、呆れたようにキッチンから出て行った。

 今の口ぶりから察するに、藍奈はなにか誤解しているらしい。


 いや、正確には誤解ではない。

 藍奈は僕に似て鋭いところがあるから、まあ無理もないのかもしれない。

 ここは、下手な弁解はしないでおくのが正解だろう。


 グラスを持って、自室へ戻る。

 ドアを開けると、遊薙さんはなぜだかクッションの上に姿勢良く正座していた。


「おまたせ」


「う、ううん! 気にしないで! あはは!」


 なんだか様子が変な気もするけれど、まあいい。

 僕は藍奈に宣言したように、文庫本を手に取ってそのままベッドに横になった。


 ……あれ?


 部屋を出た時、確かまくらを床に落としてきたような覚えがあったんだけど。


「もしかして遊薙さん、まくら拾ってくれた?」


「えっ⁉︎ あ、ああまくら⁉︎ あーうん! 拾った! 拾っただけね!」


「……そっか。ありがとう」


「う、うん! いいのいいの! あ、あはは……」


 やっぱり、今日の遊薙さんは変だ。

 この前よりも少し部屋が散らかってるから、引いているのかもしれない。


 まあいいか。

 気にせず、早く二巻を読むことにしよう。

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