021 ついに勝負だ御倉さん


 午後の授業は、午前のそれにも増して頭に入らなかった。


『実は私、御倉みくらさんの気持ち、気づいてたの』


 悲しそうに笑いながら、成瀬なるせさんはそんなことを言った。


『それで焦って、桜庭さくらばくんに告白しちゃったんだけど、ダメだった……』


 知っている。

 君が思っているほど、高校生の口は硬くないから。


『でも、気持ちを切り替えて、御倉さんを応援したいなって……』


 強いな、と思った。

 本気でそんな風に考えられる人は、なかなかいないだろうに。


『桜庭くん、誰とも付き合いたくないんだって……』


『そ、そうなのか……』


『うん。でも諦めきれなくて、気が変わるまで待っててもいい? って聞いたんだけど……』


 終業のチャイムが鳴り、クラスメイトたちが思い思いに教室を出て行く。

 私は自分の席に座ったまま、俯いていることしかできなかった。


『やめて、って言われちゃった』


 そう告げた成瀬さんは少しだけ、泣いているようだった。


『だから、御倉さんには焦らず、ゆっくり恋して欲しいなって。今告白しても、きっと桜庭くんにとっても御倉さんにとっても、悲しいことになっちゃうと思うから……』


 成瀬さんが嘘をついてるようには、私には到底思えなかった。

 それは彼女の心優しい人柄のせいでもあるし、カフェでの碧人あおとくんの話のせいでもあった。


『でも、もしかしたら御倉さんなら、桜庭くんをその気にさせられるのかもしれないね……! 私をフるための建て前だったのかも!』


 泣き笑いのような表情で去って行った成瀬さんの背中を、私はただ見ていることしかできなかった。


 私は悩んでいた。

 このまま予定どおり、碧人くんに告白してしまっていいのだろうか、と。

 

 もしかすると、それはものすごく、碧人くんに迷惑な行為なのかもしれない。

 待っていてもいいか、と聞いた成瀬さんへの、「やめて」という答え。

 それが、彼の飾らない本心なのだとしたら。


 今朝には固まっていたはずの私の決意は、今やすっかり揺らいでしまっていた。


「御倉さん」


 聞き慣れた声に、私は反射的に顔を上げる。

 気づけば教室には、もう私と碧人くんしか残っていなかった。


「あ、ああ、えっと……碧人くん」


「どうしたの? 固まって」


「い、いや、なんでもないよ」


「そう?」


 碧人くんはいつもの涼しい表情で言って、私の席の隣にすとんと腰掛けた。

 私はひとつ深い息を吐いてから、鞄から取り出した文庫本を碧人くんに渡した。


「改めて、ありがとう」


「こちらこそ、読んでくれて嬉しいよ。どうだった?」


「う、うん! すごく良かったよ! まさしく、ページをめくる手が止まらない、という感じで……!」


「ホントに! かなり好き嫌いが別れそうな小説だと思ってたけど、それはよかった」


 碧人くんは心の底から嬉しそうな笑顔を私に向けていた。

 普段は落ち着いていて、大人っぽさの勝る碧人くんの雰囲気が、途端に子供っぽい無邪気さでいっぱいになる。


 本当に、本が好きなのだろう。

 きっと彼は今、目の前の女が悶々と、自分に告白するかどうか悩んでいるなんて想像もしていないに違いない。


 そう、これは一方的で身勝手な、私のお願いだ。

 碧人くんの気持ちを無視した、ただ彼を独占したいがための、自分本位な頼みなのだ。


『もしかしたら御倉さんなら、桜庭くんをその気にさせられるのかもしれないね……!』


 そんなことないよ、成瀬さん。

 私はそんなに自信家ではないし、無神経でもない。

 そして、勇気だってないんだから。


「……御倉さん、どうしたの? やっぱり、何かあった?」


「あ、あぁ、いや……本当に、なんでも……」


「……そっか」


 私の顔を下から覗き込むようにして、碧人くんは首を傾げた。


「何か困ってるなら、いつでも頼ってね。僕でよければ、力になるから」


 碧人くんは優しい。

 いつだって、誰にだって。

 そんな彼をいたずらに心配させてしまっていることも、困らせてしまうことも、私は嫌だった。


「また、何か読みたくなったら言って。おすすめはたくさんあるし、いつでも貸すからさ」


 碧人くんはニッコリ笑って、まだ机から動けずにいる私に手を振り、教室を出て行った。


 私は、意気地無しだ。


「言えるわけ、ないじゃないか……」


 私しかいなくなった教室で、私は肩を震わせて泣いた。

 悔しくて不甲斐なくて、自分が情けなくて、崩れるように泣いた。

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