015 しっかり者の藍奈さん


 桜庭くんと身体が重なる。

 触れたところがじんわり熱くなって、強張こわばるのが自分でもわかる。


 ただ、その幸せな熱を感じながらも、私の視線は部屋の入り口の方に釘付けだった。


 ゆっくり開かれるドア。

 もしかして桜庭くんのご両親、帰って来ちゃった……?


「兄さん、お菓子をお持ちしまし……た……」


 ドアの向こうには、小柄でキリッとした顔の女の子が、お茶とお菓子を載せたお盆を持って立っていた。


 だ、誰……?

 あれ、今この子、『兄さん』とかって……。


「……お取り込み中でしたか。失礼しました」


「こら、藍奈あいな。ドアを閉めるな」


「いえ、お二人のお邪魔をするわけには」


「違う。誤解だから」


「……でも、抱き合っていますよね」


 藍奈あいなさん、という子の言葉で、桜庭くんはハッとして私を押し戻した。

 残念……。

 じゃなくて! この子、もしかして……?


遊薙ゆうなぎさん、妹の藍奈。藍奈、彼女は友達の遊薙静乃しずのさん」


「……そうでしたか。はじめまして、桜庭藍奈です。兄がいつもお世話になっています」


 妹ちゃんいたんだぁぁあ‼︎


 知らなかった……。

 しかも、ちょっと桜庭くんに似てて可愛らしい。

 あっ、ということはこの子、私の将来の義妹いもうとじゃない!


「遊薙静乃です! いきなりお邪魔してごめんね?」


「いえ。むしろ、お邪魔したのは私の方のようで」


「藍奈、余計なこと言わなくていいから……」


 お盆をテーブルの上に置いてから、藍奈ちゃんは私の方をジッと見てきた。

 人生で何度も経験があるからわかる。

 この視線は、たぶん。


「……ものすごく綺麗な方ですね。兄さんにはもったいないです」


「こら藍奈、遊薙さんが困るだろ。それに、彼女は友達だよ」


「ううん、嬉しい。ありがとね、藍奈ちゃん」


「お友達……ですか」


 藍奈ちゃんはまだ驚いた顔をしていた。

 普段はそこまで嬉しくないのに、桜庭くんの妹さんに言われるとなると無性に嬉しい。


 ちなみに、桜庭くんは私とのこと、ご家族にも友達として話しているみたい。

 まあ、仕方ないわよね。


「桜庭くんとはいくつ離れてるの?」


「中学三年生なので、二つですね」


「わっ! じゃあ受験ね。大変だけど、頑張ってね。勉強ならいつでも教えるから」


「はい、ありがとうございます」


「藍奈、飲み物と食べ物ありがとう。でも今日は、下で大人しくしておいて」


「……わかりました」


 藍奈ちゃんはそう答えて立ち上がると、またドアの方にトコトコと歩いた。

 後ろで結んだ艶のあるポニーテールが揺れて、すごく可愛い。


「私はもうすぐ夕食の買い出しに行きますので、その間にごゆっくり」


 去り際、藍奈ちゃんはそんなことを言ってささっとドアを閉めた。

 さっきのことを思い出して、またドキドキしてしまう。


 そっか。

 ということは、今度こそホントに二人きり……。


「はぁ、まったく……。ごめんね遊薙さん。会わせるつもりはなかったから、黙ってたんだけど」


「う、ううん! 会えて嬉しい! 桜庭くんの妹ちゃんなら、仲良くなりたいもん!」


 桜庭くんは少しだけ笑って、私の方にお茶とお菓子を取り分けてくれた。


 なかなか見れない桜庭くんの笑顔!

 かわいい! これだけでも来てよかった……。


「あとは、大学一年の姉がいるんだ。一人暮らしだから、なかなか帰ってこないけどね」


「お、お姉様も! 会ってみたいなぁ……」


 そして、桜庭くんとの仲を認めてもらわないと!

 いや、それこそ親御さんにお願いすることか。


 藍奈ちゃんの登場のおかげで、私はだんだんリラックスできるようになってきていた。

 二人っきりってことを意識するあまり、ちょっとぎこちなくなってたからありがたい。


「やめといた方がいいよ、あの人は」


「え、どうして?」


「厄介だから」


 桜庭くんはそれだけ言って、グラスに入ったお茶を飲んだ。

 厄介、って言葉が気になったけれど、桜庭くんの表情が追求を嫌がっているように見えて、私はそれ以上聞かないことにした。


「あ、そうだ。ちょっと待ってて遊薙さん。買い出しのついでに、藍奈に頼みたいことがあって」


「うん、わかった。待ってる!」


「ごめんね」


 桜庭くんは立ち上がって、申し訳なさそうに部屋を出て行った。

 たぶん、私を一人にすることに罪悪感を抱いてくれているんだろう。


 そんなこと、気にしなくていいのになぁ。

 相変わらず、優しいんだから。


 ……あ。

 ってことは、今なら桜庭くんのベッドを……。


 ……。


 いや、ダメでしょ!

 それはさすがに卑怯よ!

 せっかく桜庭くんが気遣ってくれたっていうのに、その気持ちを仇で返すようなこと、しちゃダメなんだから!


 ……でも、まくらをちょっと触るだけなら、平気かしら。

 ま、まあ? 一応彼女なわけだし?

 彼女じゃなかったとしても、友達のまくらを触るのくらい、べつに普通というか、よくあるというか?

 逆によ? 逆に必要以上に気にしてる方がおかしいんじゃないかしら?


 そう、そうにちがいないわ。

 それに、何も変なことするわけじゃないもんね。

 ちょっと触って、あわよくば匂いも嗅げれば、私はそれで……。


 ……ゴクリ。


 手を伸ばす。

 まだ桜庭くんの足音はしない。

 ゆっくり、ゆっくり。

 あと、少し。


 “ピロン”


「きゃっ!」


 突然の電子音に、思わず飛び退いてしまう。


 あれ?

 私今、いったい何をしようと……。


 “ピロン”


 また、同じ音が鳴る。

 どうやら、スマートフォンの通知音のようだった。

 けれど自分のスマホはマナーモードにしてるし、画面にも何も表示されていない。


 ってことは……。


 勉強机の上にあった、桜庭くんのスマホ。

 思わず、横目で見てしまう。

 画面が点灯し、メッセージの通知が表示されていた。


「……えっ⁉︎」


御倉みくらさん:ありがとう』


『御倉さん:それじゃあ、明日の夜。楽しみにしてる』


 メッセージはその二通だけで終わっていた。


 気が遠くなる。

 全身から力が抜けて、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。


「桜庭くん、御倉さんとメッセージしてるんだ……。しかも……」


 『明日の夜。楽しみにしてる』


 ……何を⁉︎

 明日の夜に何があるの⁉︎


 その時、トントントンという足音が微かに聴こえてきた。

 桜庭くんが戻ってきたに違いない。


 私はなるべく平静を保つため、そのメッセージの内容を頭の中から追い出して、桜庭くんを待った。


 ……無理! 追い出せない!

 御倉さんと何があるの⁉︎

 会うの? どこか行くの⁉︎


 教えて、桜庭くん‼︎

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